# 02


「ただいまー!」

一人暮らしではなかなか言うことのないこの言葉も、日向は無人の部屋相手でも言うらしかった。おかえりぃ、と呟いた自分がこそばゆい。治も一緒に帰ってきたのだから、ただいまが正しいのだが、日向に応える声が反射のように出た。

今朝、治の部屋から手を繋いで外に出たのは、色っぽい理由があったわけではない。折角やし、朝飯も一緒に。そう提案したのは日向の食べる姿を見たいからであったし、もっと言えば、治が作った飯を口いっぱいに入れて欲しかったからだ。既に胃袋は掌握しているのだから、これを使わない手はない。今日一日を共に過ごすその活力を、自分の生み出したもので満たせたら。そう思うと、胸になんだかぽやっとしたものが浮かぶようで、調理をする手も軽やかだった。少しでも他人の入る隙を消せるのなら、そこに入り込んでしまいたい。それは心も胃袋も同じことだ。

かくして初デートという、別段普段と変わらぬ買い物から帰って来た二人は、冷蔵庫の前にどかっと保冷バックを置いた。協力して冷蔵庫に食材を詰めるのも手慣れたものだ。以前と違うことと言えば、目が合ったときに心臓が跳ねて会話が止まっただとか、隠れてつついた指を軽く絡めて遊ばれただとか、そんな数秒間の積み重ねだけ。要するに、恋人を満喫するには十分な時間だった。ああそれから、デートに行く服が欲しいと言う日向を着せ替え人形よろしく服屋に連れまわしたのも楽しかった。衣服を恋人に選ばせるという技を天然で繰り出してくるのだから、末恐ろしいことこの上ない。

「翔陽くん、麦茶でええ?」

暖かい気温になってきたといっても、夕方の風は少し冷える。アパートの外階段を上って火照った体を、窓から抜ける風がちょうどよく冷ました。はい、と呟いた日向がちょこんと座る。朝食のときと同じように座ったのに、なんだか小さく見える日向の前にグラスをことりと置いた。一口含んでから、治も座る。

「……緊張しとる?」
「ハッ……イイエ!」

……取って食ったりせんよ、と出した声が、存外不貞腐れたようになってしまって取り繕った。ついさっきまで触りたがりだった日向の指が、緊張に固くなるのは面白くない。

「冗談やって言うたろ、初デートの後にぺろっと食ってまうような男に見えるんか」
「……」

黙りこくった日向は肯定も否定もしない。人でなしの片割れの横におると、自然と俺の心象も悪くなるんやろうか。

「……あの、違くて」

ついに顔を俯かせた日向が、膝の上で拳を握った。表情は読み取れなくて、ただ、筋肉のついた肩は少し震えていた。

「おれが、楽しみにしてたんです」
「……ほんま?」

頬に手を伸ばす。治に触れられて前を向いた顔が、まっすぐ治を見る。熱を持って揺れる瞳は、治の箍を外すには十分だった。――翔陽くん、俺な、据え膳食いっぱぐれるのが一番嫌いやねん。

「んっ」

唇に吸い付くと揺れる肩。そう言えば、キスをしたのは告白の日以来だ。緊張に固くなった割れ目を舐める。おずおずと開いたそこに、にゅるりと舌を差し込んだ。唾液が甘くて熱い。それが美味くて、夢中になって味わった。じゅるる、と音がする。どんな味か、なんて考えていたそこは例えようなんてない、日向の味だった。

「ふぅ……ぁ、ん、ぅ……」
「っは、……ん、」

徐々に傾いていく身体を痛めないように、日向の頭の下に手を置いた。ほとんど冷静さを欠いた頭で、それでもふと過る。クッションなんて気の利いたものなんてない部屋で、床に縫い付けた身体は平気なのだろうか。

「翔陽くん」
「はい……?」

つうっと伸びてから日向の口端に落ちた糸を、日向の手の甲が拭っていった。そんな仕草にも反応する愚息のせいで下半身がそわそわする。

「布団敷こか?」

ぼ、っと発火するみたいに赤くなる顔。馬乗りになって見下ろす顔も悪くない。絶景と呼んで遜色ないポジションからのそりと降りて、隣室の襖を開けた。畳の上で折られた布団を開き、日向を招く。
カラン、家主の居なくなった部屋の中で、氷の解ける音が小さく漂った。



日向の身体は甘い。とにかく甘い。夢中で唇を合わせて、覚えたばかりの好物を貪った。許しを請うように、そっと胸に手を這わせる。その度に、ん、ん、と声を漏らすのが可愛くて、じっくりとそれを楽しんだ。帰宅したときはまだ明るかった空も赤く色付き始めた頃合い。隣室のグラスの中身はもうすっかりぬるくなっただろうか。枕には汗と涎の染みが所々にできていたし、治の腰に触れる手は互いの汗でしっとりしていた。

指一本咥えたことなどなかった排泄機関も長い時間をかけて柔らかく解され、性器のようにぐちゅりと音を立てていた。執拗な愛撫が降り注ぐ中で、その昂りの中心は未だ触れられないまま腹に付かんばかりに屹立している。

声を出すのさえ恥ずかしがっていたのは最初だけで、暫くすれば日向の表情は懇願に変わった。それもまた過ぎたことで、後ろで快感を拾い始めてからというもの、口を開いたまま枕に顔を押し付けることしかできない。治とて興奮に膨れ上がった自身に触れるでもなく、日向の全身を貪るのに必死だった。形が分かるほどに下着を持ち上げるそれは、ただただ布地に大きな染みを描いている。

「しょよくん、も、挿れる」

仰向けのまま、勃起した陰茎をふるふると揺らして日向が頷く。治が下着を下ろすと、上を向いた性器がぼろんと零れた。蒸れたそれに空気が触れてスースーする。開かれた日向の脚を更に曲げて、膝を腹の方に押し込んだ。腰が浮いて、十分に慣らされた孔が治に向かってひくつく。あてがえば期待と躊躇いの間でくぱくぱと動くその場所に、ゆっくりと亀頭を埋めていく。

「あ、あぁっ……」
「っ……! はぁ……」

入口が先端を包む。予測のできない周期できゅうと締まる内壁が、まだ首しか飲み込んでいない膨らみの精を促してくる。蠢くそれを掻き分けて進むほどに、日向の手に力が入っていく。波打つシーツと色づく肌がやけに艶めかしい。眼が爛々と冴えて呼吸も荒くなっているのが自分でも分かるほどなのに、ゆっくり押し入っていくのが愉しくてたまらない。毎秒角度を変える日向に釘付けで、気付けば橙と黒の下生えが触れていた。時折治を盗み見ては恥ずかしそうに眼を逸らしていた日向も、焦れったい快感にくたりと身を投げ出している。跳ね返すような筋肉からも、柔らかく布団に沈む身体からも想像できないくらい、中は狭くて熱い。

「んっ……入り、ました?」
「おん、ずっぽし」

ゆさ、と身体を少し揺らすと、日向の声が鼻に抜けた。聞いたことのない甘い声に、もう動き出してしまえと腰が疼く。脚を抱え直そうとしたところで、日向の手が繋がった場所を腹の上から撫でた。

「はぁっ、お腹……」
「苦しいん?」

汗ばんだ額をそっと撫で上げる。とろとろとして眠たそうに見える顔は幼子のようでもあって、けれどやっぱり淫靡な熱に満ちていた。

「ん……、お腹、きもちぃ……」

「っ、あほ」
「あっ!? ぁっあ……! ひぁ、あ……っ」

一度深く抉ったのを皮切りに、始まってしまった抽挿は止めようがなかった。快感を待っていた身体が甘く痺れて、全身に鳥肌が立つ。逃がすまいと絡みついてくるうねりに、びきびきとそそり立った自身が悦んでいるのが分かる。

「や、ぁん、きゅ、急に……っ」

突き上げられて、日向の身体がずりずりと進んでいく。結合部から鳴る水音が鼓膜を支配していく中で、ざり、と日向の頭が畳に擦れる音が聞こえた。腰を抱えて、ぐいと日向を引き寄せる。

「う゛ぁっ……!!」
「っは、あっづ……」

深く繋がったまま後方へ退くと、殊更強く日向を感じる。じわりと滲んだ双方の汗が肌のぶつかる音を湿らせていた。頭とともに畳に落ちたのであろう枕はいつしか日向の腕の中で抱き込まれていて、快感を耐えるかのように力を込められて形を変えたそれが、日向と治との間で汗を吸う。

「翔陽くん、それどけて、顔見たいねん」

間に挟まる邪魔者を引っペがすと、火照った顔と目が合ってまた下半身が重くなる。珍しいことに、日向から駄々っ子のような声がした。

「ゃ、これ、治さんのにおいするから」
「そんなん直接嗅いだらええやん」

顔を日向の首元に埋めて、日向の鼻先も治の肩に押し付けた。日向のにおいが充満する。耳元に日向の熱いものを感じて、治も息を荒げた。奥をとんとんと突くと中がぎゅうっと締まる。

「あっ、ん、あ、あっ……」
「いきそう?」
「ん、いく、いく……っ」

唇に吸い付いて、絶え間なく腰を送った。喉の奥から聞こえる声が甘い。ぐずぐずに溶ける腰が熱くて、突き抜けるような痺れが下半身を通っていく。長いことお預けを食らっていた昂りが、がつがつと獲物を貪るように日向の奥に食いついて離さない。ふと気付くと日向の手は自身の筒を上下に動かしていて、決壊寸前のそれがぴくぴく震えていた。

「翔陽」
「ひゃ、ぁ、あっ……!」

ねっとりと耳元で囁きながら治も日向の陰茎に手を這わす。二、三度扱くとびゅっと白濁が吐き出された。手を止めた日向の指ごと、にちにちと扱き上げると精液が止まることなく出続ける。

「や、待って、いって……いってる……!」

長い間焦らされ期待に膨れていた熱はだらしなく大量の精を零していた。扱く手を止めれば、一個体の生き物のように蠢く様子に治のそれも触発されていく。

「翔陽、奥突いてええ?」
「ま、待って、ひ、ぁんっ! っあ、……!!」
「っ、締まる……」

絶えず動く壁に搾り取られるように、限界を超えた肉棒が勢いよく射精した。どくどくと血液の集まった場所から白濁が出ていく。絡みつく壁にどろどろの液体を撒くと、自分が出したそれで中が温くなった。一人で処理するには不快ささえ感じる粘つきが、日向の中にあるだけでこんなにも高揚する。一度出したというのに収まることのない昂りが、日向の中を掻き回した。

「もう一回、するんですか?」
「したい、ええ?」

いいですけど、と呟く日向とて、まだ腹の空いた顔をしているのだ。にこりと笑った日向が、おれも、と言ったもので、自らの口から出たのが愛の言葉だったことを知る。どうにも、思ったことが口から出てしまうのは防げないらしい。中継を見ながら何度も、かっこええなあ、と零すものだから、治ちゃんはほんまにバレーが好きやね、なんて常連さんに笑われてしまうくらいだ。だからこうやって、何度も何度も、日向が真っ赤になるくらい、好きだって、かわいいって繰り返してしまうのも仕方のないこと。

「も、いいですから、続きしてください」
「おん、動くな」



おでこにキスをする。汗の味がした。翔陽、と呼ぶと嬉しそうに窄む奥。口を合わせれば入り込んでくる舌。律動を送る治の肌に食い込む指。全てが腹を満たしていく。何度も出した精液が入口から零れて、動く度にシーツを濡らす。夕焼けの赤さえ薄暗くなって、そろそろ灯りなしでは日向のすら見えなくなってしまうかもしれない。そんな雑念を責めるかのようにぎゅっと締まった内壁に追われて、もう何度目分からない絶頂を日向の中で迎えた。

「ん、あっ………!!」
「ぅ、出、……っ、」

さすがに疲れ果てて、日向の上にどさりと落ちた。暗い部屋で目を合わせて、こそばゆい空気の中で触れるだけのキスをする。どんなに混ざり合ったって、唇の皮膚と皮膚が触れ合うだけでどきどきするのだから、お気楽で幸せだった。

「腹、減ったなあ」

起き上がってゆっくりと肉筒を引き抜くと、ごぽりと大量に流れる白い液。小さく声を漏らした日向を見逃さず、揶揄うように腹を押した。

「なんや、翔陽くんは腹一杯って顔しとるな」

この顔が好きだ。満ち足りた顔。ごちそうさまって、店を後にする顔。そんな顔で帰らせるのが誇らしくて、でも心のどこかで、もっと居ったらええのに、って思うのが常だった。

「恥ずかしいこと言わないでください、おじさんみたい」
「なんやと」

げし、と足の甲で腰を押される。足裏で踏まれないのは年上を相手にするせめてもの道徳心なのだろうか。つつかれた足を掴んで持ち上げる。わ、と声を上げるわりにバランスを微塵も崩さないのは、さすがアスリートといったところだ。足指を口に含むと、やっぱり汗でしょっぱかった。

「や、やめてください」
「ふふ、風呂入って飯にしよ」

立ち上がって電気をつけた。風呂に向かおうというところで、カーテンを閉めていなかったことに気が付いて、さっと下着を履いた日向が窓に駆け寄った。

「……治さん」
「なに?」

赤いんだか青いんだか分からない奇妙な顔色をした日向が、ぎぎぎと振り向く。

「窓、全開ですね」
「……マジか」

明日燃えるごみの日なんやけどなあ、と頭を抱える治を、日向がくすくすと笑った。俺面割れとるもん、翔陽くん代わりに行って、と甘えた声で言ったのに、嫌ですよ、今日のうちに帰ります、と何とも初めて肌を交えた直後とは思えぬ薄情っぷりだ。満腹でご機嫌なぷりぷりのボクサーパンツを前に見据えながら、風呂でもう一度鳴かせてやろうかと企むほどには、満ち足りた幸せが治を満たしていた。