◇ 35 ◇
――4日目 23:39
目の前で手錠をかけられる光景を目の当たりにした面々は、それぞれが苦悶の表情を浮かべ、美羽を見つめる。
中でも一番複雑な顔をしていたのは、影山だった。
「……どうしたんだよ、影山。らしくねえぞ」
すぐ隣に立っていた日向がいつものように声をかける。しかし返ってきた視線はいつもとは明らかに違う、覇気のないものだった。
「……もしかしたら、あのままだったら、ああなってたのかな」
主語も何もない科白に日向は一度首をかしげるも、意図を理解したのか途端に険しい顔になった。影山を一瞥し、彼の視線をたどるように美羽へと視線を移す。
「違う」
「何が違うんだよ」
「……仮に、バレー出来なくなっても、お前は引きずり下ろしたりしない」
「……んなの、分かんねえだろ。あの人だって、最初からああだったわけじゃねえだろ」
影山の言葉に、日向は口ごもる。次の言葉を探しているのか、視線を右往左往させた。その様子を少し離れた場所から見ていた月島は、小さくため息を吐きつつも普段の調子で声をかける。
「ない頭絞って考えたって、無駄でしょ。変人コンビは」
「なんだとぉ!」
食ってかかる日向を適当にいなしながら、月島も2人と同様に美羽を見つめた。彼女の、全ての感情が抜け落ちたかのような顔を一瞥し、
「あの人はあの人。王様は王様。……それだけ分かってれば良いんじゃないの」
「……お前、励ますのへったくそだな!」
わずかな沈黙の後、月島が無言で日向のつむじを指で押した。
「しっかし、おいしいとこ持って行きやがりましたね!」
相手を挑発するときに浮かべる顔で、及川に絡んだのは田中だった。彼が言うところの『おいしいとこ』とはつまり、先ほど美羽相手にサーブを放ったときのことを言っているようだった。
対する及川は両手でピースサインを作り、軽くウインクしてみせた。隣に立つ岩泉のこめかみがひくりと動く。
「へへーんだ。及川さんですからねー! って痛い! 岩ちゃん痛い!」
「その顔うぜえやめろ!」
「酷いな! ……まあ、彼女がどう動くか分からなかったし、いくらチビちゃんやリベロ君がいるとは言っても、あの距離を考えたらボールの方が断然速いでしょ? だから最初から準備してたんだよね」
岩ちゃんのボールだけどね、とついでのように続ける。
及川たちは一番最後に駆けつけたこともあり、集団の一番後ろで一部始終を見守っていた。その影に隠れて、あらかじめボールを鞄から出し、有事の際にはいつでも動けるように準備していたそうだ。
「でも彼女全然隙見せてくれなくてね。結局あんなギリギリになるまで、動けなかった。情けないよねぇほんと」
そう言って伏せられた目は、どこか悲しげな色を浮かべていた。
及川たちから少し離れた場所で、そういえば、と谷地がこぼす。
「なんであの体育館じゃないかもってときに、そのそばだって思ったの?」
「そういやそうだな。全然関係ない場所にいる可能性だってあるのに」
西谷が言葉を重ね、谷地と2人山口を下から覗き込む。自分より頭一つ分以上、下から集まる視線に少しだけ居心地悪そうに苦笑を浮かべた。
「殆ど勘、みたいなもので、明確な理由があるわけじゃないんだけど……。誘導されてるみたいで気持ち悪いって、ツッキーが言ってたの思い出して」
日向が入院したと知ったその日、菅原と月島、山口の3人は武田とともに病院へと訪れていた。その際に、犯人に誘導されているようで気持ち悪いと、たしかに月島はこぼしていた。
それとこれとがどう関係するのか、と言わんばかりの2人の視線に、戸惑いながらも言葉を続ける。
「ええっと、スポーツマンシップがあった、って言っていいのか分からないんだけど……あの人は逃げ切る気がまるでないんだなって思ったんです」
「逃げ切る気がない?」
「普通罪を犯したら、捕まりたくないって心理が働くと思うんです。だけど、彼女にはその気がなかった。絶対に、自分に繋がるように足跡をわざと残してたんですよ」
そう言って美羽に視線を移した山口の目は悲しげに伏せられた。彼に習うように、2人もそちらへと視線を動かす。
「俺たちはいろんな情報を集めて、影山が誘拐されたって知ってようやく真相が分かったけど。例えば、日向が暴行を受けた場所からだけでも、警察は彼女を見つけていたはずなんです。そうなるように、あえてやってたんだ」
「……そんな」
「彼女にとって、あの場所は人生の転機を迎えた場所。だけど、3年も経って復讐しようとするくらいだから、今もまだバレーが好きなままだと思ったんだ。なら、そこを使うはずない。それに逃げる気がないなら、こっちが予想出来ないところに行くとは思えなかった」
当たっててよかったよ、と静かに続けた。
建物を出て、美羽がパトカーに乗せられようとした時だった。
「あの!」
慌てて駆け寄ってきたのは日向だ。未だに巻かれたままの包帯をぼんやり眺めながら、首をかしげて彼の動向を伺う。
「……ああ、そっか。痛い思いさせちゃったもんね。恨みごとの1つや2つ、あるよね」
「……もうそんな痛くないし、影山も怪我しなかったし。恨み言とか、そういうのないです」
その言葉を聞くに付け、美羽は目を見開いた。これだけのことをやったのに何も言わないとは。事実、日向の榛色の瞳は、怒っているというより戸惑いが滲んでいるように見える。
ようやく意を決したのか、彼の視線が上を向いた。
「俺、どんなトスでも打ちます」
「……」
「だから、えっと、そのっ」
必死に言葉を探している様子の彼を見て、美羽が小さく笑う。先ほどまでの異常性、恐怖を感じるものではなく、人を安心させるような、優しい笑顔だった。
ちゃり、と音を鳴らして、手錠がはめられた手をわずかに上げる。
「ありがとうね、でも、ごめん。今回のことについて、謝る気はないんだ」
その言葉が聞こえていたらしい、田中と西谷が眦をあげて近寄ろうとするのを、寸でのところで澤村たちが止めた。
「……なんで、ですか」
「……自分のしでかしたことの重大性は、理解してるわよ。だから、謝らないし、君も、許さなくていい」
そう告げるとすぐ、警察官に促されて美羽はパトカーに乗った。それが遠くなるまで見送り、それぞれにため息をつく。
同時に、誰かが小さく声を漏らした。
「どうした?」
「携帯、メール届いてますか?」
影山の問いかけに、各々携帯を手に画面を見る。青葉城西の4人は何も言わなかったが、烏野の14人には共通で1件のメールが届いていた。タイトルには『続報!』と書かれており、送信元は、今回の事件の始まりを告げたのと同じアドレスだった。
「続報……傷害事件の真犯人が捕まった……」
本文には前回とは異なり、丁寧な敬語でもって書かれた文章が並ぶ。
要約すると、実行犯とそれを指揮した者が逮捕されたこと。そして日向はこの事件の被害者であること以外何も関わりがないことが書かれていた。
「警察の前で、携帯操作出来るとは思えない。事前に送信予約してたんだろうな」
「ってことは、警察が来なかったとしたら、自首でもするつもりだったってことか……」
受信時刻は23時59分。正しく警察に捕らえられてから、送られたメールだった。
こうして、事件はようやく幕を閉じたのだった。