# 01


長年の遠距離恋愛の末、おれがプロ入りして大阪にきてから数年。
そろそろ一緒に住まへんか、という言葉に頷いてからはとにかく早かった。
お互いの家族へのご挨拶にはじまり、友達、というか主にバレー関係の仲間たちにも、きっちりばっちり隙なくこの人は挨拶を済ませてくれた。
日本の法律上、俺たちは正式なフーフという関係にはなれないのだけど、北さんは「俺の嫁さん」と、方々でおれをそう紹介した。おれはおれでその言葉を否定することもなく、よろしくお願いしゃーす!と頭を下げてた。
そして北さんは兵庫、おれは大阪ということで、お互いの職場の中間であるところに住居をきめて、計画性ばっちりの北さんのおかげで引越しを滞りなく終えたのはつい先日だ。
いまどき和室のあるマンションは見つからなくて、北さんが見つけてくれた中古の一軒家を前におれの手はするりと握られた。

「ここが今日から、俺らの家やで」

そう言って微笑まれたとき、雷に打たれたように心臓を撃ち抜かれて、おれは膝から崩れ落ちてしまった。

「おれの旦那さんヤバくないですか…ッ」
「今更知ったんか」
「せやで、翔陽くんの旦那さんはヤバイ人やで」

引越しの手伝いを申し出てくれて、そんなおれたちを後ろで見ていた侑さんと治さんは膝をつくおれを見下ろして、ニヤニヤとひとの悪い笑みを見せていた。
おれの旦那さん、と口に出したのはそのときが初めてで、北さんはおれの言葉に目をきょとりと丸くさせてから、声をあげて笑ってくれたのだ。
桜の咲き始めた春、おれたちの新婚生活とやらは、無事にスタートを切ったわけである。



寝る時は畳がいいという意見は見事に一致して、ふたつぴったり並べた布団の上で、おれと北さんは向き合って座っていた。

「…言っておきたいことがあんねんけど言ってもええか。かなり厳しい話もするかもしれんのやけど」

目の前で正座する北さんを見て、おれはその至って真剣な面差しにビッと背を正した。そして、ぼんやりと橙色に照らされたその顔は何度向き合ってもうっとりするほどきれいだなぁ、と今更ながらに思った。
枕元に置いてある和紙張りのスタンド照明は侑さんと治さんが、結婚祝いです…と北さんにうやうやしく献上、いや、プレゼントしてくれたものだ。
寝室を照らす乳白色の柔らかいけれどぼんやりとしたあかりは、なんだか変にドキドキしてしまう。
4月に入り職場の部署異動となった北さんは最近引き継ぎだとかの関係でとっても忙しそうだった。帰宅時間が午前様になるってことはさすがに無かったけれど、それに近い時間のときもあって、おれはご飯を用意してから机に突っ伏して寝てることがたびたびあった。そのたびに、明日こそは起きて出迎えるぞと悔しく思っていたのだ。
そんなおれに北さんは思うところがあったらしい。

「俺より先に寝ててええから」
「?」
「翔陽の仕事は身体が資本やろ」
「…」
「なんやそのぶすくれた顔は」

北さんは、おれの無言の訴えにちょっとだけ低い声を出すけれど、おれはそう簡単に、はいわかりましたってはならない。変なところが頑固だと定評のあるおれの納得シテマセンという顔は北さんにはお見通しである。
しばし無言で見つめ合う。
帰ってきた北さんがネクタイをゆるめながらスーツの上着をおれに渡してくれる瞬間が幸せだ。靴をそろえてる背中を見ると飛びつきたくなるし、北さんがおれの作ったごはんをきれいな箸遣いで食べるところをみるのがすきだ。北さんに今日の侑さんや木兎さん、臣さんの話をすると静かに笑って頷いてくれるときがたのしい。主に侑さんの話だけれど、ときたまツボに入ると、はっは、とすずしげな見た目とは真逆の豪快に笑ってくれる声がだいすきだ。
ついでにいうと北さんが疲れてるんだったら肩でも揉んで、愚痴も言わないこの人をめいっぱい労ってあげたい。侑さんがよく言ってくる『デキタ嫁はん』でありたいのだ。
北さんはそんなおれの思いを、ちゃんとわかってるからあまり強く言えないのをおれはわかっている。
先に折れたのは、ほんまにもう…と苦笑いした北さんだ。

「飯やってうまいし、家やってきれいにしてくれて感謝しとるわ」
「…」
「忙しいんは今だけやから、いいかげんちょっとは俺の言うこと聞いてくれへんやろか」

どうやら北さんは作戦を変えたらしい。侑さんや治さんにはガツンと厳しくいう方が手綱を握りやすかったようだけど、おれにはこういう懐柔策の方がキクということを北さんは既に知っているのだ。
北さんは正座を崩すと、おれの布団のうえに手をついておれがめっぽう弱い北さんの麗しいお顔をずいっと寄せてきた。
ま、まぶしい…!思わず目をそらすおれの顔を逃すまいと、キスする前みたいに顎を掴んで視線を合わせてくる。とたんに熱が上がりほっぺが熱くなって、それはぼんやりとした照明でもわかったらしく北さんの目が細まる。

「定時にも帰れん、仕事も出来ひん男が、家庭をまもれるはずないんよな」
「そんなことないです!」
「さみしいおもいさして、すまんな」
「……そ、そんなことは…」
「そこは素直にさみしい言え」

きんとした圧を野生の勘で受信したおれは、ぽそりと素直にそれを告げた。
北さんは満足げに口の端を上げて、ほうかほうか、さみしいんかかわええなぁ、と満足げだ。おれのほっぺをやわやわと撫でた手の体温が低いと感じたけれど、おれが熱いのかもしれない。

「翔陽が布団かけんと寝てしもて風邪ひいたり、お腹壊してしもたり、寝不足でふらふらなって怪我したら、侑に怒られてまうわ」

そんなことありません、なんてはいえなかった。北さんに関しては借りてきた猫のようにやけに縮こまる侑さんだけど、バレーに関しては別物である。

「アイツに北さんはダメ亭主やなんて言われたら…ショックで寝込むで」
「う、うう」
「お前にはお前にしかできんことがあるんやからな。ちゃんと飯食って、クソして寝ろ」

北さんの口からクソだとかって言葉が出るとなんだかイケナイことを聞いてしまったような気になるのはもうしょうがない。こんな物言いをするのは、身内相手だけであるとアランさんがこっそり教えてくれたことがあるが、なんだか心臓に悪い。いい意味で。

「やから、頼むわ」
「…はい…」
「明日はちゃんと先に休んどってくれるか」
「……はい……たぶん…」

やはり諦めの悪いおれの小さな声に、北さんは小さなため息をついてしまった。おれはちょっとびくついて、あっどうしよう、きらわれちゃったかな、仕事で疲れてるのに言うことを聞かない悪い嫁と思われたかな。
翔陽、とぴりつくような低い声で名前を呼ばれて、だって、とおれは続けた。

「おれ、おかえりなさいって言いたいし、あったかいできたてのごはん食べてほしい」
「おう」
「ミツユビついてお出迎えしたいし、」
「…おう」
「お風呂で背中ながしたいし、」
「…」
「一緒の布団で寝たい」

あと、と続けようとしたおれの前に手のひらが向けられた。制止するように向けられた手のひらと逆の手で北さんは顔を覆っていた。首を傾げるおれからは北さんの表情は見えない。しばしの沈黙のあと、北さんはくつくつと肩を震わせたかと思うとおれを横目でちらりと見た。

「わかったわ。今日も、俺の負けや」

聞き分けの悪い子どもを相手するみたいにおれの頭をぽんと撫でると、北さんはあっさりと布団にはいった。布団のかたっぽをあげて、寝よ、と微笑まれておれは心の中で両手をあげた。しゃあない子やなぁ、とぼやく北さんの声に、ふふふと笑いながらふかふかの布団にすべりこむ。
この話し合い、通算15勝0敗、おれの圧勝である。
そして今日もおれは北さんの腕のなか、ぬくもりに包まれて眠りにつくのであった。
旦那さんの後ろを黙ってついてくような、おれはそんなつつましいタイプではないみたいだ。