上空から海を見て、波を読む。そして恐らく樽が流れ着くであろう方向へ向けて飛ぶようツヴァイに指示した。
今すぐ海に飛び降りて少年の救助を行いたいのはやまやまだが、残念ながら、本当に残念ながら、私には自分より身長の高い異性の詰まった樽を抱え上げて鳥の背中に乗せるだけの力はないし、樽を引きながら陸地まで泳ぐだけの体力もない。下手にそんなことをしようものなら、溺れて少年と共に海の藻屑だ。
樽の流れ着くであろう島が見えてきた。そこには小さな港らしきものがあり、一隻の船が停泊している。少なくとも人の住んでいる島であることにほっとしたのも束の間、その船に髑髏の旗を見つけて、うわ、と思わず声を漏らした。
どうやら何処ぞの海賊のアジトらしい。何とも運の悪いことだ。これでは陸地で樽が流れ着くのを待とうにも、海賊に見つかれば最悪交戦になりかねない。私1人ならそれでも一向に構わないのだが、少年の救助という目的がある以上、無駄な諍いは避けたいところだ。
別れを惜しむツヴァイを送り出してから、海岸近くの雑木林に身を潜めた。波の速さから言って、樽が流れ着くのは90分ほどかかるだろう。それまでは大人しくしていよう。
じっと息を詰めていると、海賊船の方から誰かが歩いて来るのが見えた。麦わら帽子の少年とそう変わらないぐらいの年に見える眼鏡を掛けた少年だ。警戒を強めてますます気配を殺したが、ふとその様子がおかしいことに気付く。彼の足取りは重く、表情も暗かった。
何かあったのだろうか。様子を伺っていると、少年は砂浜に腰を下ろし、膝を抱えて俯いてしまった。
「何で、こうなっちゃったんだろう…」
その情けなく震える声から、悲嘆、後悔、諦念、そんな感情が透けて見えて、眉が寄る。遠目からでもわかるほど、少年はあちこち痣や擦り傷だらけだった。シャツには靴跡がいくつかついており、誰かに蹴られたことがわかる。恐らく、日常的に暴力を与えられているのだ。
嫌な予感をひしひしと感じて、声を掛けようか迷った。どんな事情があるにしろ、彼が海賊の仲間である以上は安易に関わることなど出来ない。しかし、あんな様子の少年を放っておくのは気が引けた。
迷っているうちに、時間は過ぎる。「あれ? 何だろう…」と少年が呟いたのが聞こえて顔を上げれば、麦わら帽子の少年が入った樽が浜辺に流れ着いたところだった。
少年は立ち上がり、樽に近づいていく。そして持ち上げようとして、中身が入っていることに気が付いたらしい。しばらく悩むように樽を見つめたあと、ゴロゴロと海賊船のある方向へ転がし始めた。
麦わら帽子の少年は、樽に入ったまま海賊船の方へ向かって連れて行かれてしまった。それも恐らく、酒か何かと勘違いされたまま。
普通に考えれば大変危険な状況である。本来ならば、今すぐにでも飛び出していってあの眼鏡の少年の意識を奪い、樽を確保するべきなのだろう。…だが、何となく大丈夫だと思えるのは、きっと麦わら帽子の少年が纏っていた"オーラ"のせいだ。
私は、普通の人には目視できないものが見えている。人の性格、性質を表す、私が"オーラ"と呼ぶもの。個人の違いはあれど、誰もがその身に纏っているそれが、私には色や質感を伴ったものとしてこの目に映るのだ。しかし人それぞれ違うと言えど、それでもあの人とこの人は似ている、あんなオーラを纏った人を前にも見た、なんてことはざらにある。
しかし、他に類を見ない不思議な色をしたオーラの持ち主が稀に存在した。海軍本部中将やら、七武海やら四皇やら、そういう"普通"とかけ離れた人物だけが纏う、とある特徴を持つオーラ。それと同じものを、麦わらの帽子の少年も持っていたのだ。
それはつまり、彼が只者ではないことを表していた。いつかの未来、間違いなくそれらの存在に匹敵するほどの何かに、少年はなるのだろう。
たが大丈夫と思えても、やはり安否ぐらいは確認して安心したいところである。暫し逡巡してから、樽を転がす少年の後を尾けることした。
樽を運んで行った少年は、こう言ってはなんだが体も心も弱そうだった。ろくに鍛えていないのが見て取れる贅肉ばかりの体は、とても海賊のものには見えない。動きを見る限り武術の心得もなさそうである。纏うオーラもどう見ても一般的な善人のそれだ。何かしらの理由があって、ここで無理やり働かされているのだと考えるのが自然だろう。
少年が転がしていった先には、倉庫のような建物があった。その屋根にも、港の海賊船と同じ海賊旗が掲げられている。そのマークには見覚えがなかったので、恐らく新聞には乗らないような小さな海賊団だろう。
取り敢えず様子見をと、私は倉庫の影に身を潜めて聞き耳を立てた。
「おいどうしたコビー、そりゃなんだ」
中に誰かいたようで、海賊のものだろう野太い声が少年に話し掛けた。
「それが…海岸に、酒樽が流れ着いていて…」
「なんだと? "雑用"コビー、そりゃ本当か?」
今度は別の声が、先程よりもハッキリと聞こえた。わざわざ倉庫から出てきたのかもしれない。海賊と言えば酒好きのイメージがあるが、この海賊団の船員もその例に漏れないらしい。
「は…はい。まだ中身も入っているようなので、どうしたらいいか聞きに…」
コビーと呼ばれた少年は、緊張からか恐怖からか、あるいはその両方か、震えた声で答えた。
わざわざ雑用と付けられているあたり、どうにもコビー少年のこの海賊団での地位は相当低いようだ。それは当然だろう。むしろ彼のような平凡でお人好しそうな人間が、海賊なんてやっている時点でおかしい。
そのままを話を聞いていると、樽の中の酒は居合わせた連中でこっそり飲むことに決まった。残念、入っているのは酒じゃない。転がしたときの感覚で中身が液体ではないと気付かなかったかいコビー少年。…まあ違和感を持ったところで、流石に人が入っているとは思わないだろうけど。
このことを誰にも言わないように脅されたコビー少年が、そんなことはしない、だから殴らないでくれと必死に懇願していた、その時だ。
何かが砕けるような音の後、彼の言葉を遮るように、緊張感のない快活な大声が響いた。
「あーーーーっ!!!! よく寝たーーーっ!!!」
「寝起きバッチリか…」
大渦に飲み込まれて波に揉まれたばかりとは思えないほど元気な声に、色々なものが削がれて一気に力が抜け、私はその場に膝を突いた。心の声が思わず口から飛び出たが、幸いにも海賊たちは酒樽から男が飛び出てくるという怪現象に気を取られて私の声など拾っちゃいない。そして私もそれどころではない。
よく寝たって、よく寝たってなんだ。寝たのか。気絶じゃなくて寝たのか。なんだか、今までの私の心配とか返して欲しい。
「…ん? あいつは? 仲間にしようと思ったのに、どこ行ったんだ?」
頭を抱えたまま神妙な顔で事の成り行きを聞いていたが、ふとそんな少年の言葉が聞こえて心臓が変な音を立てた。
そのあいつというのは、もしかしなくても私のことか。仲間にするつもりだったとは初耳である。そもそも何の仲間だというのか。丁重にお断りしたいのだが、それは決定事項だろうか。それに「どこ行った」って、何処かへ行ったのはこの場合少年の方ではないだろうか。疑問が次から次へと湧いて出て、私はため息を吐いた。
直後、何故か海賊船から飛んできた金棒に小屋ごと吹き飛ばされた樽を追いかけながら、もしかすると下手な悪人よりも厄介な人間と出会ったしまったのではないかとようやく気が付いた。
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