転がった先で、少年は何がおかしいのか爆笑していた。1人なのに。少年の首から下が樽の中に収まっているという状況も相俟って、何だかすごく話し掛けづらい。
暫く少年に姿を見せるか放置すべきか逡巡したのち、私は結局少年の前に歩み出た。
「……何を笑ってるんですか」
「ん? あ、お前さっきのやつか! おれの仲間になれ!」
「脈絡がないにも程がありますね?」
樽の中に未だ首から下を突っ込んだまま、嬉しそうに「仲間になれ」と言ってきた少年に呆れる。何への勧誘か知らないが、それより先にやるべきことがあるのではないだろうか。例えばその樽から出るとか。
私はじっと少年を見下ろした。蘇るのは先程の光景だ。無謀にも樽の中に入って大渦を乗り越えようとした姿。渦に飲まれた樽。
無性に腹が立った。べしっ、と頭を叩く。結構強めにやったが、少年は痛くも痒くもなさそうで、ただただ不思議そうにこちらを見上げていた。
「あの」
「ん?」
「心配したんですけど」
少年はぱちぱちと幾度が瞬きをした。何のことを言われているのかわかっていないようだ。その様子には、不思議と怒りが湧かない。ただ、モヤモヤとするものが胃の腑の辺りに蟠っているのだけは感じた。
「目の前で、人の入った樽が渦に飲み込まれて、……だいぶ、心配、したんですけど。あと、怖かったんですけど」
少年は私の言葉に目を見開いた。
何か言うことは。そう尋ねると、少年はすぐに「ごめんなさい」と頭を下げた。どうやらそれなりに申し訳ないと思っているらしい。へにょりと情けなく眉尻が垂れ下がっていた。
「素直でよろしい」
よしよし、と頭を撫でる。それは決して少年の様子が叱られた犬のようだったからではない。ないったらない。ただ単に、年下の相手を褒めたり慰めたりするときに、頭を撫でるのが癖になっているだけだ。少年の年をまだ聞いていないので年下かどうかはわからないのだが、これだけ無鉄砲なら年下扱いでもいいだろうと判断した結果である。
撫でられた少年は、不思議そうに私を見上げた。何故撫でられているんだろう……とでも言いたげだ。
「何で撫でるんだ?」
いや実際言った。
「なんとなく、ノリで」
「そうか、ノリか」
私の適当な説明で何をどう納得したのか、少年はそのまま大人しく撫でられ続け、私は黙々と撫で続けた。やめるタイミングが見つからない。あとこの少年頭が丸くて撫で心地がいい。髪もサラサラだ、男のくせに。ベストオブ頭部という単語が頭に浮かび、なんのこっちゃと自分で自分にツッコミを入れた。意味がわからない。
「あの…」
…ふと、背後から声が聞こえた。
はてな、つい先程にも聞いたことのあるような。
そう思いつつ振り向けば、そこには、恐らく麦わら帽子の少年を心配して探しに来てくれたのだろう、困惑しきった顔のコビー少年が立ち尽くしていた。
ちょうど彼と目があって、私は取り敢えず撫でるのをやめた。首から下が樽の中に入ったまま転がっている少年の頭を見知らぬ少女がひたすら撫で続けているという謎の光景を見てしまったコビー少年には、本当に悪いことをしたと思う。反省も後悔もしている。
「えっと、あの…大丈夫ですか? ケガは? ずいぶん吹き飛ばされちゃいましたけど」
そして先程の光景は一体……とその目が訴えていた。しかし口には出さない辺りなかなか賢明である。
「はははは! ああ大丈夫。なんかびっくりしたけどな。おれはルフィここはどこだ?」
「ルフィ君自己紹介より先にすることがあるんじゃないですか。例えば樽から出てみるとか、樽から出てみるとか、樽から出てみるとか。因みに私は通りすがりの生物学者で、アメリアと言います。初めまして、どうぞよろしく」
「あ、これはどうもご丁寧に…。ここは海賊“金棒のアルビダ”様の休息地です。ぼくはその海賊船の雑用係コビーといいます」
「ふーんそうか」
ひとまず自己紹介をし合う。私の提案を聞き入れてくれたらしいルフィ少年は、体重移動だけで器用に転がっていた樽を起こすと、立ち上がって樽から出た。
「実はどうでもいいんだけどなそんなこと」
「はあ…」
「えっ自分から聞いておいて?」
ルフィ少年、なかなかに辛辣である。というより正直なのかもしれない。何はどうあれひどい。
そんなことより、とルフィ少年はコビー少年に船はないかと尋ねた。自分のものは渦に飲まれて壊れたのだと聞いて、コビー少年は目を丸くしている。
「う…渦巻!!? 渦巻に遭ったんですか!?」
「あーあれはびっくりしたよまじで」
「軽いなあ…」
「ふつう死ぬんですけどね…」
「コビー君もっと言ってやってください」
少年の無謀さに2人でツッコんだが、ルフィ少年が意に介した様子はない。
「で…船は?」
それどころかコビー少年に船の催促までしている。コビー少年はルフィ少年の言葉に一瞬視線を彷徨わせると、眉を八の字に寄せながら「小船ならない事もないですが」と私たちを別の場所へ導いた。
連れて行かれた場所にあったのは、布で覆われた細長い何かだった。大きさからして舟だろう。コビー少年はそれに歩み寄り、バッと布を剥ぎ取る。その下から現れたのは、そう、紛れもなく……船ではあるはずの何か。
「何だこりゃ、棺桶か?」
ルフィ少年のセリフにその船の全てが集約されていた。恐らく手作りであろうそれは、細かい木材を大量の釘で無理やり継ぎ合わせたような代物だったのだ。見たところ目立った隙間等は見られないが、到底長い航海に耐えられるとは思えない。
なんとも言えない気分になりながら、彼が2年かけて作り上げたというその船のヘリを撫でた。まあ…2年かかっただけあって、造船の技術も知識も全くなかったであろう素人が作ったにしては、なかなかいい出来になっている。一番近くの島まで行くくらいになら、一応なんとか使えないこともなさそうだ。
そんなことを考えていると、いつの間にか、コビー少年はポツリポツリと自分が海賊船に乗る羽目になった経緯を語りだしていた。
何でも、釣りに行こうと船に乗り込んだら、乗り込む船を間違えていて、しかも間違えた先がよりにもよって海賊船で。海賊に囲まれ、命を助ける代わりに雑用として働けと脅され逆らうことも出来ず、今日まで至る、と。
今までのあれこれから、恐らく望んで海賊船に乗ったのではないだろうことは予想がついていたが、そういう事情だったとは。間違えて海賊船に乗り込んだって、海賊船と釣り船を間違えるようなことがあるのだろうか。似てたのか。あのやたらキャピキャピした感じの可愛い船に、釣り船が。疑問は尽きない。
そして、コビー少年の独白に対するルフィ少年の感想は。
「ひゃーーっ、お前ドジでバカだなーーーっ」
これである。
彼の発言には概ね同意だが、思っても口に出さないであげて欲しい。しかも言葉のナイフだけでなく輝かんばかりの笑顔付きだなんて、相手の心を抉るには十分過ぎるというか、むしろオーバーキルだろう。
あと多分それ、本人が一番思っている。
「そのうえ根性なさそうだしなー、おれお前キライだなー」
しかも追い討ちである。
思ったことがそのまま口から出るタイプだというのはこの短時間で理解出来たが、それでも初対面の相手に面と向かって「キライ」と言ってのけるその神経は何なのか。ナイロンザイル製なのか。
コビー少年は悲しみの涙を流しながら「え…えへえへえへえへへへへへ…!!!」と笑った。心に深い傷を負ってしまったらしい。私はポシェットに入れてあったキャラメルを、そっとコビー少年に差し出した。
「どうぞ」
「あっ、ありがとうございます…」
コビー少年はペリペリと包み紙を剥がし取ると、キャラメルを口に放り込んだ。ルフィ少年はその様子をじっと見つめ、それから物欲しそうな目をして私を見る。無視しようにもその視線はあまりにも強くて、仕方なく、私はキャラメルの最後の一つをルフィ少年に渡した。…顔を輝かせるな腹立つ。
「でも…その通りです…」
コビー少年が、口の中でキャラメルを転がしながら呟いた。
「ぼくにも、タルで海を漂流するくらいの度胸があれば…」
「なくていいですそんなもん」
「比喩ですよ。……あの…、ルフィさんは、そこまでして海に出て、何をするんですか?」
コビー少年の問いに、ルフィ少年は一瞬ぱちくりと目を瞬かせ、それから直ぐに眩しいほどの笑顔を浮かべた。
「──おれはさ、海賊王になるんだ」
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