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 ナメやがって、と毒づきながらも、ゾロの気迫に圧された曲芸師の顔色は悪い。先程までと同じように余裕の笑みを浮かべようとはしているものの、口の端が引きつっている上額には脂汗が浮かんでいる。
 ゾロの行動が敵に与えた動揺は相当に大きい。だが、味方にもダメージが入っているので諸刃の剣だ。特に隣のナミの顔色が酷い。……ルフィなどは、「かっこいーっ!」と目を輝かせているが。どうにもこうにもアホである。

 しかし、まあ、この様子なら大丈夫か。曲芸師はゾロが、"道化"はルフィが倒すだろう。私が何もしなくても、彼らだけでどうにか出来る筈だ、2人とも私より強いのだから。

 安堵しかけた時、私は1つ重大な事に気がついた。
 もしかすると、今この瞬間は、ルフィから逃げ出す最大の好機なのではなかろうか?
 ゾロは重傷だし、ルフィはこの後"道化"との戦闘を控えているから、暫くはこの場を動くまい。今の内に出来るだけ遠くへ行って、そのまま別の島へ向かってしまえば、航海術を持たないルフィとゾロは私を追い掛ける事は出来ないだろう。ナミがルフィ達の仲間になるなら話は別だが。
 今を逃したらもう二度とこんな機会は来ない気がした。よし、善は急げ。思い立ったが吉日とも言う。とにかくこのまま、混乱に乗じてこっそりと──

「──じゃあ、あんたも行くわよ」

 ……立ち去ろうと一歩足を後ろに引いたところで、ナミに右腕をとられた。

「……え、何処に?」
「話聞いてなかったの? あそこの、吹き飛んだ酒場の裏に小屋があるでしょ?」

 ナミの指差した先に視線を向ければ、確かに小屋があった。ちょうど酒場の裏にあったが、大砲が直撃した場所からは遠かったおかげか、倒壊を免れたようだ。屋根が一部欠けてはいたが、砲撃の威力を考えれば十分運のいい方だ。

「ありますね」

 頷いて答えると、ナミも頷き返した。そして何故か、腕を掴む力が強まる。なに、怖い。

「さっき入った時、宝の場所を探そうと思って酒場を見て回ったけど、隠せそうなスペースはなかった。それに港に止めてあったバギーの船にも積んでなかったし、あるとしたらあの中に違いないわ」

 どうやらナミは、私があの酒場へ最初に赴いた時よりも前に、酒場の中を見て回る機会があったらしい。そう言えば、何だかんだ忙しくて、事の経緯を全く聞いていなかった。
 ナミの職業は泥棒で、"道化"もそれを知っていた。という事は、ナミが泥棒だと知られるような出来事があったのだろう。それこそ、"道化"から何かを盗もうとしたとか。

「……つまり?」
「盗みに行くわよ」
「何故私まで!?」

 やはりか。
 ナミは泥棒、しかも海賊嫌いを公言しているから、もしかすると海賊相手の仕事が主なのかも知れないとは思っていた。別にそれはいいのだ。私があれこれ口を出す事ではない、ナミの自由だから。
 しかし何故私がナミの仕事を手伝う事になるのか。いや、私とて暇なら手伝いもするが、今は一刻を争う。ルフィから逃げられるか否かの瀬戸際なのだ。勘弁してくれ。

 何とか逃れようと腕をぶんぶん振ったが、あのバケモノ共の戦闘に巻き込まれるとマズいからと、抵抗虚しく建物の陰に引っ張り込まれた。己の非力さが憎い。ウェイトの無さも憎い。来世があるのかないのか知らないが、次は出来ればムキムキマッチョになりたいと思う。

 私が輪廻転生というものに思いを馳せている間、建物の角から戦況を窺っていたナミは、私に向き直ると目を伏せた。

「まあ、いきなり泥棒手伝ってなんて言われても、困るわよね。……うん。ちゃんと話すわ。聞いてくれる?」

 真剣な顔で訊ねられ、反射的に首を縦に振った。
 それを聞いてしまえば、私はますますここを離れられなくなる気がしたが、それより聞いておきたいという気持ちが強かった。

「私はね、海賊専門の泥棒をやってるの」
「海賊専門、ですか」
「ええ。もちろん、何の理由もなくそんな事してるわけじゃないわ。海賊相手になんて自殺行為だし、普通はやらないのはわかってる。でも、私はやらなきゃいけないの」
「どうして、そうまでして?」

 海賊というのは、大概クズだ。人を殺し金銭や食料を奪う事に、何ら抵抗のない輩も少なくない。そんな奴ら相手に、うら若く美しい少女が泥棒行為など働いて、どんな目に遭うかわかったものではない。
 単に儲かるから、というだけの理由ではない筈だ。無事にやり遂げたとて、それで恨みを買って、次に何処かで出会った時に報復されるという事態も起こり得る。海賊には財宝を貯め込んでいる者も多く収穫も大きいだろうが、リスクの高さには見合わない。
 そんな子どもでもわかる事を、ナミが理解していないわけがない。相当な理由がある。

「1億ベリーで、村を1つ買う」
「村?」
「そうすれば、私の8年の全部が報われる。もう既に9千万近く貯まってるわ。……後少しなのよ」

 ぐっと下唇を噛みしめて黙ってしまったナミの目には、揺るぎない決意が浮かんで見えた。
 村を買うという行為によって、彼女に何がもたらされるのか、私にはわからない。けれど、確固たる覚悟があっての事だというのは想像がつく。

「そこで、よ。あんたに提案があるの」
「提案とは?」
「私と手を組まない? 今だけじゃなく、これからも」
「1億ベリーが貯まるまで?」
「1億ベリーが貯まるまで」

 ナミは率直にそう告げた。

「具体的に、何が目的で?」
「私は1億ベリーが貯まるまで泥棒を続けるつもり。で、あんたはそこそこ腕が立つみたいだから、私の用心棒をやって欲しいのよ。当然タダでとは言わない。分け前もちゃんとあげるわよ?」
「分け前……」

 ぶっちゃけいらない。
 ジャングルにでも行けば現地の生き物や植物を食べて生きていける。服は、丈夫で動きやすいのが気候に合わせて何着かストックがあればいい。宿は8割野宿で、あとの2割は「どうぞ家に泊まって行ってください!」と申し出てくれる親切な人の善意でまかなっている。特に金のかかる趣味はないし……強いて言うなら読書だが、本屋の中で速読術を駆使して立ち読みして、ついでに内容を暗記するという本屋にとっては迷惑きわまりないことばかりしているから、これにも金はいらない。贅沢といえば、時折ペンと紙を買うのと、郵便を出すくらいだ。郵便は地味に金を食うが、そう頻繁には利用しない。
 つまり、私にとって金はさして重要なものではないのだ。世間的にはそれで人を殺したり、恨んだり羨んだり、当然逆もあるわけだけども、その辺りは「見解の相違」という言葉で片づけさせてもらおう。
 どうしても必要になったら、最悪その辺の賞金首を狩ってしまえば金は手に入る。飲食店でバイトした事もあるし、何なら獣医師免許(ちゃんと世界政府発行の国際基準を満たしたもの)を持っている。お金持ちの可愛い愛犬の予防接種でもしてやれば、彼らは結構簡単に金を落としてくれる。

 だから、断じて分け前に惹かれたりはしない。しかしここで断れるようなら、そもそもルフィにここまで引っ張って来られていないわけだ。

 あと少し、なら。
 目的を果たすまでならば、付き合ってもいいのではないだろうか。だって、このまま1人で海賊専門の泥棒なんてやっていたら、いつか何処かで酷い目を見そうだ。せめてナミが、泥棒などしなくてもいいようになるまでは、守ってあげても。

 こういう考え方だから、いつまで経ってもあの、燃え上がるような赤いオーラの少年から逃げられないんだろうけど。

「いいでしょう、引き受けます」

 頷けば、ナミは顔を綻ばせた。元から美少女だが、笑うと更に美少女だ。
 私は無言で顔を覆った。

「なにしてるのよ」
「目の前の美少女の笑顔が眩しくて……」
「あら、あんまり見惚れてるとお金取るわよ?」
「お金取るんですか?」
「ええ、まばたきするごとに千ベリーをね」

 いくらなんでもぼったくり過ぎだと思う。
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