「よくもまァハデにやってくれたもんだ………」
立ち上がったのは、下っ端海賊2名とリッチー……ではなく、彼らを盾にして事なきを得た"道化"と黒い長髪の男だった。下っ端の安否についてはあまり興味がないが、リッチーは心配だ。オーラの様子を見る限り、幸いにも致命傷を負ったわけではなさそうだが。
しかしこうも堂々と仲間を盾にするとは。船長としての矜持というものはこいつらの頭の中にはないのだろう。
「旗揚げ以来、最大の屈辱ですね船長」
「おれァアもう、怒りでものも言えねェよ…」
言葉のあやだとはわかっていても言えてるじゃん、と揚げ足を取りたくなった。何かを察知したナミにさっと口を塞がれたため、実際に言動に移す事は出来なかったが。
何をするのだ、という思いを込めてナミを見ると、ゴン、と脳天に拳が落とされた。
「お前、何なんだ!? どうやってバギー玉を弾き返した!!」
「おれか? おれはゴムゴムの実を食べた、ゴム人間だ!!」
「お前も悪魔の実を……!?」
ナミにじとりと睨まれている間に、ルフィは早速能力の種明かしをしてしまっていた。ギリギリまで秘密にしておいて不意をつくとか、そういう作戦を彼が考えつくとは思っていなかったが、もう少しバラすのを躊躇ってもいいと思う。
「関係ない……」
「お?」
「バギー一味参謀長、"曲芸のカバジ"!! 一味の怒り、この私が請け負う!!!」
リッチーを盾にして助かっていた黒髪の男は、クールな外見に見合った冷静な態度でルフィの発言を聞いていたが、ふう、と1つ溜息を吐いたあと勇ましく名乗りを上げて、何故か一輪車に乗って突撃してきた。
その右手には剣が1本握られているが、そんな事より何故一輪車に。"曲芸のカバジ"等と名乗っていたが、本当に曲芸師なのだろうか。猛獣使いがいるわ、曲芸師がいるわ、船長は切っても切れないビックリ人間だわ、この一味は一体何を目指しているのだ。
あと、その一味の仲間を盾にしていたような男に請け負われても、どうにも説得力に欠ける。
真正面から突っ込んで来た男の突きをルフィが躱す前に、ゾロが割り込んでその剣を受け止めた。受け止めた刀の構えに危なげはないが、力を込めたせいか、じわりと腹部に血が滲む。
「剣の相手ならおれがする!」
「光栄だねェ、ロロノア・ゾロ…。1人の剣士として貴様を斬れるとは」
剣士としてのプライドがあるのは結構なのだが、私としては安静にして欲しい。何というか、こう……見ていてハラハラする。
ルフィもゾロの腹から零れた血と、貧血かはたまた痛みのためか、僅かに震える体に気がつき顔を顰めた。
「おいゾロ、やっぱ休んでろよ、おれがやるから」
だがゾロはルフィを一睨みしただけで退こうとはしなかった。一度相対した敵から逃げるつもりはないようだ。
しかし、本当に休んだ方がいいと思う。何しろゾロの様子を観察していた曲芸師は、口元を覆い隠しているマフラーの下で、いい弱点を見つけたとばかりに顔を歪めているのだ。
曲芸師は突如剣を退け一歩後ろへ下がると、そのまま真上へ向かって放り投げた。そして空いた右手でマフラーを引き下げ、相手が武器を手放した事に呆気に取られたゾロの顔に向け、火を吹きかけた。
「曲技っ! "火事おやじ"!!」
「うわっ!!」
恐らく口の中に予め燃料を含み、火種を用意していたのだろうが、果たしてこの男は本当に剣士としてゾロに勝ちたいのか、曲芸師としてゾロに勝ちたいのか、それとも"海賊狩り"が倒せれば何でもいいのか。剣士として斬れて光栄だとかどの口が言っていたのだろう。
しかも突然目の前に吹き出た炎にゾロが顔を背けた瞬間、男は器用にも、一輪車に乗ったまま足を振り抜き、靴先でゾロの傷口を抉った。
「ぐ、あああっ!!! くそっ!!」
「なんだ、そんなに強く蹴ったつもりはないが?」
ただでさえ深い傷を容赦なく狙われ、ゾロは堪らず叫んだ。それを見て、曲芸師は笑いを含んだ声でいけしゃあしゃあと抜かす。ゾロが痛がる理由などわかっているだろうに、なんて嫌な奴。
「曲技っ!!」
また何かやるつもりなのか、曲芸師が地面に剣を突き立てる。そしてその状態のまま剣を風車のように回転させ始めた。
「"湯けむり殺人事件"っ!!」
高速で回された剣がガリガリと地面を削る。もともと先の爆発で細かい瓦礫やらが散乱していたのも手伝って、あっという間に土煙がゾロと曲芸師を覆う。
「何が曲技だっ…!! ただの土煙じゃねェか!!」
ゾロが苛立ち混じりに怒鳴る。確かにその通りなのだが、この状況で声を上げるのは悪手だ。視界が悪く相手の動きを予測出来ない状態で、相手にわざわざ自分の位置を知らせてしまったも同然である。
「ゾロさん!! 前から来ます!!」
私が叫んだと同時に、ゾロは片腕では受け止めきれないと見たのか、2本の刀を体の前で交差させ、曲芸師の斬撃を受け止めた。
土煙に覆われても、オーラの見える私には相手の動きが丸見えだった。曲芸師が右手を振り上げたのを見て思わず口出ししてしまったが、私が何も言わなくてもゾロは曲芸師の攻撃をちゃんと受け止めていたような気もする。
しかし剣を止められたからといって相手に怯む様子はなく、寧ろ2本の刀を構えた事で塞がった両腕に好機とばかりに唇の端を歪め、無防備な胴体、それも先程と全く同じ箇所を蹴りつけた。
「うああああああっ!!」
「どうした? 大の男が大声でわめいて。みっともないぞ…」
どの口が言う。
ああも傷口ばかり執拗に狙われては流石に分が悪い。加勢するべきだろうかと腰のナイフに手を伸ばしたが、その手を横から掴まれた。ルフィだ。
ルフィも曲芸師の遣り口は気に入らないのか、不機嫌そうに眉根を寄せてはいたが、ゾロの意志を尊重したいらしい。明確に言葉にはしないが、手を出すなと態度が告げている。
私は渋々手を下ろした。
「貴様の相棒の妙な能力のお陰で、こっちはとんだ災難だ……。まあ、いくら海賊狩りだとて、我々バギー一味を敵にした事は失敗だったようだがな」
傷口を押さえ、せめてこれ以上無様な悲鳴は上げまいと歯を食いしばったゾロが荒い息を吐いている。そんな様子を見て、最早勝利を疑ってすらいない曲芸師が悠々と告げた。
「無茶だわあんなの……。ちょっと、あんた何黙って見てんの!? あいつ殺されちゃうわ!!」
「……ナミさん」
今にも殺されてしまいそうなゾロに気が気ではないのか、ナミの顔色も深手のゾロに負けず劣らず悪い。
「落ち着いて、何だかナミさんまで倒れちゃいそうですよ」
「ばか、私よりあいつを…!!」
どうにか落ち着かせようと努めて優しく声を掛けたが、顔色は悪くなるばかりだ。これでうっかりゾロが殺されようものなら、下手をすると一生もののトラウマになりかねない。
もしゾロがこのまま負けそうになったら、その時はルフィに制止されようが構わずゾロを助けよう。そう決意した視界の端に、ゾロが僅かに顔を上げてこちらを見たのが映り込んだ。痛みで顰められた表情が、一瞬別の感情で歪む。それが何か確かめる間もなく、曲芸師はゾロに向かって剣を構えた。
「ロロノア・ゾロ!! 討ち取った!!!」
いつまで経っても立ち上がらないゾロを見て、立ち上がる余力もないと考えたのか、曲芸師は大袈裟に剣を振りかぶった。しかしその瞬間、ゾロは目つきを更に鋭くさせると、地面を強く蹴って体を跳ね起こし、刀を押し出してその粗末な斬撃を曲芸師の体ごと跳ね返した。
「ぬが!!?」
「え…」
「おお!!」
先程まで立ち上がれない程弱っていたのに、信じられないとばかりにナミが目を見開き、ルフィが歓声を上げる。
やっと復活か。まあ、よかった。ゾロだって、いくら重傷だったとはいえ、格下相手にいいようにあしらわれて、女に助けられるなんて羽目にはなりたくないだろう。
全く、あんまり心配かけないで欲しい。これで死んだりしたら、あることないこと言い触らしてその死を不名誉で飾り立てていたところだ。
「うっとうしい野郎だぜ!! おれの傷をつつくのがそんなに楽しいか!!」
ゾロは体を一瞬不安定に揺らしたものの直ぐに持ち直し、刀を構えた。その切っ先は、不思議な事にゾロ自身に向いている。
ちょっと待て。まさか。
「ゾロさん、ストッ──」
ストップ、と。言い終える前に、ゾロは自分の傷口に刀を突き刺した。
「いてェっ!!」
「ちょ、ああ馬鹿、ほんとに馬鹿!!」
ルフィは自分が同じ事をした場合を想像したのか、己の腹を押さえて架空の痛みに悲鳴を上げ、ナミは声も上げられずに口を手で覆い、私はといえば、とにかくゾロを罵った。馬鹿だ、この男は真正の馬鹿だ。信じられない。
「てめェ一体何を…!!」
「……おれの剣が目指すのは世界一…」
ゾロの突然の奇行に動揺しているのは相手も同じで、警戒するように数歩後退った。そんな曲芸師に対し、ゾロがニヤリと笑う。
「ハンディはこれくらいで満足か? おれとお前の格の違いを教えてやるよ」
一瞬で立場を逆転させたゾロは、3本目の刀を構えた。
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