鯉登音之進の場合



01


 多分、あの人は変な人なんだと思う。

「おい、聞いているのか神崎!」
「……聞いてます、聞いていますよ、鯉登さん」

 いいとこ育ちのボンボン……もとい、客先の若手社員、鯉登音之進。彼を目の間に、私は何度目かわからないため息を吐いた。

「真面目に聞いていないだろう」
「きいてますよ、お客様のヒアリングも私の仕事ですから」
「そうか……? まぁいい、それで話の続きだが――」

 はぁ、ともう一つ追加でため息。お客様に対してそんな態度をとるのもどうかと自分も思ってはいるのだが、こればかりはどうにも……私は彼が興奮しながら口にする、「鶴見さん」の話を右から左に受け流し適当な相槌を打ち続ける。
 もうこの話も何度目かわからないな、と、自分の記憶力の良さを今ばかりは恨みながら、私は広げた資料を片付け始めた。

「それでだな、鶴見どんはその時おいに……」
「はい、はい、そうですか、そうなんですね〜」

 仕事に関係ない上にものすごく興味がない。彼はそんな私の様子にも気がつかないのか、次第に方言まで混じり始める。完全に素だ。何が悲しくて私はわざわざ来たくもない他社の応接室で特に知りたいわけでもない男の好きな和菓子の話などを聞かなければならないのだ。

(そもそも鶴見さん、ってうちの会社の専務だよね、なんで鯉登さんがこんなにご執心なんだ……)

 昔からお世話になっているとはいえ、他社の人間にここまで心酔できるのもすごい。その情熱はぜひ自社内に向けてほしい。
 ……でも、

「やはり素晴らしい……! 私も、あんな風になれたらと……」

 ――顔は、良いんだよなぁ……。
 瞳を輝かせ、興奮のためか頬を好調させた彼がはにかむ。その笑みが自分の為でないとわかってはいても、その美しさが霞むことは一切ない。彼の地方の言葉でいうならわっぜよかにせ。正直この顔を見るために来ているまである。
 しかしそんな時間にも限りはあるわけで。

「鯉登さん、そろそろ……」
「む、もうそんな時間か」

 私の背後にある時計をちらりと見て、彼は拗ねた子供のように眉根を寄せる。大分話していたとは思うがどうやらまだ話し足りないらしい。私は苦笑をこぼしながら「また来ますから」と言ってまとめた資料をカバンに放り込んだ。

「悪いな、また私ばかり話してしまった」

 自覚はあったんだ、と少し驚き。

「いえ、先ほども言いましたがヒアリングも仕事ですよ、例えお仕事に直接関係なくてもです」

 そう言って私はさっさと席を立つ。彼には多分、おべっかで「楽しいお話でしたよ〜」なんて気を使うより仕事ですからと伝えた方がずっといいだろうと考えての言葉だった。……本気にされて次回から悪化しても嫌だというのも本音だが。
 すると彼はひとつも表情を変えないまま、「お前の話も聞きたいのに」と返してきた。

「……私の、ですか」
「ああ、お前はあまり自分のことを離さないだろう」

 貴方も貴方自信の話ではないですけどね。とは思ったが余計なことは言うまいと私は咳払いをする。

「面白い話はないですよ」
「構わん、私がお前のことを知りたいだけだ」
「んん……それ、あんまり言わない方がいいですよ、誤解されます」
「?」

 ストレートな言葉に分不相応な勘違いをしそうになってもう一度咳き込んだ。歯に衣着せぬ彼のことだ、多分他意はないのだろうが……見目の整った男にまっすぐな瞳でそう言われるのは、ちょっと、ぐらっときそうにもなる。……私はこんなに面食いだっただろうか。
 どちらにせよ今日はここまでだ、と、「ではまたの機会に」などとありきたりな返答で茶を濁す。しかしもちろんそんな適当な返答が通じる相手でもなく、彼は至極真剣な表情で「では次回はお前が話を用意して来てくれ」と当然のように提案した。

「えっ、いや、用意してくれと言われましても」
「なんだ、私と話すのは嫌か」
「そうは言ってませんが」
「ならいいだろう、よし、決まりだな!」

 強引にそう言い切って、彼は満足そうに頷いた。そうして私よりも先に部屋を出て、私の返事など待たずに「楽しみだな」なんて言いながらもうすでに次回のことを考えているようだ。
 この状態で何を言っても無駄か、と私は嘆息し、彼の開けてくれた扉から外に出る。しかして私はこのわがまま坊ちゃんのため、彼の満足する話題とやらを考える羽目になるのだった。