鯉登音之進の場合



02


「へぇ〜、それでその鯉登ちゃんが気になっちゃってるわけだ!」
「違うよ、話全然違う」

 休日、私は友人である白石由竹と共にお気に入りのカフェで仲良くティータイムを嗜んでいた。その最中にふと先日の彼の無茶振りの話をしたところ、彼はにやにやしながら先の的外れな言葉を口にして、今は「そぉ?」なんて意味ありげにカップを回している。

「何話しても『なんだ、他にないのか、つまらんな』とか言われそう」
「えぇ〜? じゃあそんなの無視しちゃえばぁ?」
「……それはそれで仕事ができないやつだと思われそうじゃない? 雑談の一つ用意できないなんて〜って」
「考えすぎだと思うけどなぁ」

 多分白石の言う通りなのだろう。彼だって真剣に言っていたわけじゃないだろうし、ただの気まぐれだ。深く考える必要もないはず。
 けれど私は、やっぱり言われたからには真面目に考えてしまうタイプなわけで。

「まぁ、次会うの確か来月だっけ? 時間はあるしゆっくり考えたら〜?」
「そうする。……ところで白石は時間ないんじゃない? この後用事あるんでしょ」
「え? うわっ、本当だ! ありがと涼ちゃん!」

 時計を確認し途端に慌て出すその様子を微笑ましく見守っていると、彼はバタバタと身支度を整えながら、あのさ、と最後に私を振り返った。

「多分、向こうは話なんてなんだっていいと思ってるし、本当になんだっていいはずなのに――そうやって悩んでること自体が答えになるんだって俺思うんだよね」
「……? 答え……?」
「そうそう、多分ね? んじゃ、ご馳走様〜!」

 なんの? と尋ねる隙も与えず彼は去っていった。当たり前のように伝票は置いたままでいるのが、なんとも彼らしい。

「…………はぁ」

 賑やかな連れが居なくなると急に寂しさや静かさを感じてしまうこの現象に名前はついているのだろうか。そんなことを考えながら息を吐く。そうだ、例の話のネタは彼の話などどうだろう。話題に事欠かない面白いやつなのは確実だし。

(……いや、でも鯉登さんは好きじゃなさそうだな白石みたいなタイプ)

 もう一度ため息をこぼし、温くなったカフェオレに口をつけたところで――背後から、私を呼ぶ声が聞こえる。

「えっ……」

 声をかけてくる知り合いなんて数えるほどしか居ないはず、と振り返ると、そこにいたのはまさに今私を悩ませる当の本人、鯉登音之進が立っていた。

「奇遇だな」
「え、えぇ、はい……お世話になっております」
「ん、そういうのはいい、お互い休みだろう」
「はぁ……そう、ですか?」

 先ほどまで愚痴のように話題にしてしまった気まずさも相まってか、私の心臓がドクドクと激しく脈を打つ。彼は特に腰掛ける様子もなく、なにやら物珍しそうに辺りを見渡していた。

「……結構くるんですか、このお店」

 その様子からそんなわけはないとわかった上でそんな質問をしてみる。しかし意外だ、このカフェもどちらかといえばしっかりした価格帯のお店だし、鯉登さんでも利用しそうだと思っていたのだが。
 いや、本当の上層階流は会員制のセレブカフェみたいな店でも行っているとか? あるかどうかも知らないけれど。

「初めて入った、よさそうな店だ」
「ですよね、お気に入りなんです。もしかして期間限定メニューの看板に釣られて?」
「いや――外からお前がいるのが見えたから来た、それだけだ」
「……それは、驚きました」
「ふふ、私の目は良い方だからな」

 そうじゃなくて、私を見かけてわざわざ中まで来たことにですよ。
 的外れな返事と得意げな表情がおかしくて、意外と可愛いところもあるのだなぁ、なんて考えながら残り半分ほどになっていたカップの中身を飲み干した。多分、このままだと向かいの席に座りかねないし、そうなるといつもの長い話が始まるだろうし今日は仕事じゃない分余計に付き合わされそうな気がするので。
 ではこれで、と立ち去ろうとする私を見て、彼が怪訝そうな顔で「一人なのか」と首を傾げた。

「ええ、正しくは一人になった、ですが」
「? 連れがいたのか」
「はい、用事があるらしいので」

 なのでこの後の予定はない。とまで言いそうになって私は口をつぐんだ。あぶない、そんなことを言えば「今日こそは鶴見どんの百の素晴らしいところ」談が始まる可能性がある。それは流石に勘弁してほしい。
 彼はといえば、「そうか」と言って口元を手で隠しながら何か考え込んでいた。正直そんな素振りをされるとなんだかお暇しにくいのだが……と躊躇し二の足を踏んでいると、彼が突然ぱっと顔を輝かせ――

「――よし、昼食をとりにいくぞ、付き合え」

 などと、突然なことを言い出した。

「…………は、はぁ? いや……行きませんけど……」
「安心しろ、今日は私が誘ったのだから私が出す」

 話が噛み合ってませんよお坊ちゃん。

「実は前から行こうと思っていた店があってな! しかし一人で行くのも味気なかったのだ」
「い、いやいや、行きませんて、行けませんて」
「何故だ」

 なぜ、とは? 行かないと本人が言っているのだからこれ以上誘わないでほしいというのが本当のところ。それでも彼を納得させられる理由さえあればいいのか、と私はしどろもどろになりながら言葉を続けた。

「えーと、鯉登さんが行きたがってたお店ってくらいだからドレスコードとかあるんじゃないですか? ほら、私今日カジュアルな服着てますから……」
「確かにそうか」

 我ながら完璧な断り文句である。残念だなー、また機会があればー、という雰囲気を醸し出しながら今度こそ帰ろうと伝票片手にレジへ向かう――そんな私の目の前に立った彼は今日一の笑顔で言うのだ。

「――なら、服を買いに行くところからだな!」