菊田部長の場合



07


「そんなわけで無事お付き合いすることになりまして!」
「そうか……よかったな」

 週が明けて月曜日。昼食のために席に着くやいなやという感じで週末のことを有古くんに報告する。さんざん相談に乗ってもらっ……付き合わせたのだ、顛末を話すのは義務というものだろう。

「……まぁ、金曜は結局私がぐずぐずだったから、落ち着くまで公園で慰めてくれて、そのあとタクシーで返されただけなんだけど……」

 けどそんなところも好きだ。女性慣れしてそうだの手が早そうだのなんだのと心無い噂話も耳にしたことがあるがそんなことはなく、至って紳士であることが証明されたわけなので。
 ちなみにその菊田さんはといえば、金曜に無理やり業務を切り上げたせいか現在進行形で尾形先輩に付き合わされている。お昼休憩に入れるまでにはもう少しかかりそうだった。

「しかし本当に良かった、俺も安心した。……実は、菊田さんからも相談されて――」
「えっ!?」

 それは初耳だ。なにを、いつ、どんな風に、と迫る私に、彼は「余計なことを言ってしまった」と苦い顔をしながらもぽつりぽつりと教えてくれる。

「も、も、もしかして、菊田さんも私のことがずっと好きだった……とか!?」
「……い、いや……お前が、その……」
「私が!?」
「…………菊田さんのことを好きなことに気づいていて……それで、どうしようか、と……相談を……」

 今すぐ消えたい。
 自分では、本人には隠せているつもりだったのだが? というか、それを相談するということは最初は疎まれていたということか? そんなことを考えながら、私は深く深く息を吸った。

「そぉ〜……んなことを〜……そう……なんだぁ……」
「いや、迷惑だとかそういうことではなかったぞ、多分」

 今はその励ましがちょっと辛い。

「それに……その相談をされてからすぐ、菊田さんもお前のことばかり聞くようになったから……そういうことだったんじゃないか」

 お前と同じで、と付け足した有古くんの言葉に、私は思わずドキリとする。

「私と、同じ……」

 ――あいつ何が好きなんだろ。
 ――俺のこと、なんか言ってた?
 ――付き合ってる奴、いるのかな……

「――、」

 自分と全く質問をしている彼を想像する。これはただの妄想で、本当にそんなことを聞いていたかなんてわからないけど。
 ……けど、もし本当にそうならと考えると――

「よ、おつかれ」
「! 菊田さん……お疲れ様です」
「お、おつかれさまです」

 動揺を悟られないよう、私は背筋をピンと伸ばす。噂の只中に本人が現れ驚いたのは有古くんも同じようで、私と同様に姿勢を正していたのが少しだけおかしかった。

「なに? 内緒話? 俺には言えないような話でもしてた?」
「ち、違いますよ……菊田さんの話をしてただけです」
「俺の?」
「はい、菊田さんの仕事、いつ終わるかなーって」

 私がそう言って誤魔化すと、彼は苦虫を噛み潰したような顔をしながら私の隣に腰掛けた。「尾形のやつ、この前仕事押し付けたの根に持ってやがる」と言ってから、いただきます、と手を合わせる。

「……あ、俺水持ってきますよ」
「ん、悪いな有古、助かる」

 気を遣った有古くんがそう言って席を外す。私は先ほどの話を思い出し、なんだか落ち着かない心地で食べかけの親子丼を口に運んだ。とりあえずおいしい、これは当たり。

「……なぁ、今日はお前、特に残業しなきゃいけない案件とかねぇよな?」
「えっ、な、ないです」

 上擦った自分の声を誤魔化すように咳払いをし、チラリと彼の方を覗き見る。彼はといえば今日も今日とて美味しそうにもりもりとご飯を口にかき入れながら、私の方は見ないままで「なら良かった」と平然とした顔をしていた。……ということは多分、別に特別な話とかではないのだろう。無駄に緊張していた自分が恥ずかしい。

「俺もないから一緒に飯食いに行こうぜ」
「え! ……尾形さんの業務大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫、そのために今頑張ってるんだからよ」

 なんだ、いつもの飲み会のお誘いか。私は引き続き食事を続けながら「じゃあ」と自分の希望を口にした。

「私今日は魚の美味しいところがいいです! 有古くんにも声かけて……」
「あー……」

 そう言いかけた私の言葉を彼のため息が遮った。少し唇を尖らせて私の方を振り向いた彼は、赤みの差した頬でこう続ける。

「…………あのな、デートに誘ってんだよな俺は」
「………………は、」

 ぼぼっと音がするような気にさえなるほど急速に私の顔に熱が上がった。耳の先まで熱くなっているのを感じながら「そうか、私は付き合ってるんだもんな、この人と」という自覚が出て、今更ながらその事実に対しての照れやら恥じらいやらがじわじわと迫り上がってくる。

「そ、そう、ですね、えっと、すいませ、わたし、ええと、わかってなくて……」

 しどろもどろになりながら謝罪の言葉を口にすると、彼は笑いながら「しっかりしろよ」と私の頭を撫でた。

「ほんと、可愛い奴だなお前……ま、いいさ、これから嫌ってほど自覚させてやるからな」

 覚悟しとけよ? ――なんて、そんなことを言われてしまえば、私はもう返事すらまともにできなくて――
 結局、その後有古くんが気まずそうな様子で帰ってくるまでずっと、私は彼の顔を見ながら固まっていた。