月島部長の場合



01


「「「かんぱーい!」」」

 この日、ガヤガヤと騒がしい大衆酒場の大座敷で、私、神崎涼は、新入社員歓迎会という名の洗礼を受けていた。

「神崎ちゃ〜ん! いいねぇ飲める口だねぇ! ほらほらもう一杯!」
「あ、あはは、ええと、流石にもう……」
「そう言わずにさぁ〜! 君の歓迎会なんだから!」

 なみなみと注がれた酒の表面を見つめながら、私は乾いた笑いをこぼす。まさか今日日こんなテンプレ的なアルハラが行われるなんて三時間前までの私は予想していただろうか。いや、ない。いずくんぞである。

「……んぐ……はぁ……」
「いいねぇいいねぇいい飲みっぷりだ!」

 もう一杯! とさらに注がれる酒に何度目かわからないため息を漏らし、私は再度それを飲み干す。……あぁ、なんとなくわかっている。こうやって飲んでしまうから先輩方は止まらないのであって、最初から断っていればこんな事にはなっていないのであって。
 自分は一応それなりにお酒は嗜む方ではあるが、さすがにそろそろ限界が近い。近いというか、なんならもうまずいのかもしれない。しかし普段は気のいい先輩方の酒を断るのも気が引けて、私はまた「今度こそ最後」「これで最後」と自分に言い聞かせながら手にしたグラスを握り直した。
 ——と、その瞬間。私のグラスを大きな手が荒っぽく奪い去ってしまった。

「あれ……? え、あ……月島部長……!」
「……ん、無理はするんじゃないぞ」

 日本酒をまるで水みたいに飲み干して、顔色ひとつ変えずにそう言ったのは、私と同じ営業部の部長、月島基さんだった。
 彼は空のグラスを私の手の中に返すと、周りで煽っていた先輩方……部長にとっては部下の二人の頭を順に叩いてから、「お前らも飲み過ぎだ」と伝え、少しだけ申し訳なさそうな顔をした二人を置いて宴会の中心へとのしのし歩いていく。

「ほら、そろそろお開きにするぞ! 解散解散!」
「えー! 部長〜これからじゃないっすか〜!」
「飲みたいやつは二軒目でも探せ、ほら立て、忘れ物するなよ!」

 はぁーい、と素直な返事がちらほらと。私もそれを聞いてハッとして、慌てて自分のバッグを手に取って立ち上がる。しかしいきなり立ち上がったのが悪かったのかやはり自分で思っているよりも飲み過ぎていたのか……私の足元はおぼつかず、ふらりと後ろへ倒れ込みそうになってしまった。

「っ、と……大丈夫か?」
「あ、すいませ……」
「……大丈夫ではなさそうだな」

 ふらつく私を支えてくれたのはやはり部長その人で、私はアルコールで回らない頭のまま彼に「だいじょうぶです」と返してみたが、彼はそんな言葉を信じるつもりもないらしい。周囲の何人かに「俺はこいつを送っていく」とことづけて、私の意見も聞かず私の手を引いて店を出る。

「あの……大丈夫です……本当に……ちょっとしたら大丈夫になりますから」
「無理するなと言っただろう……大丈夫だろうと、駅までは送る、そこからは一人で帰れるな?」
「いや、本当に……ほんとうにだいじょうぶですから……」

 半分は本当だ。確かに今は酒に足を取られふらついているように見えるが、幸い私はすぐ抜けるほうなのだ。わざわざ気にかけてもらわなくても、きっとすぐにいつも通りになるだろう。
 ……まぁ、現状はちょっと大丈夫じゃないのも事実だけど。

「すいません……」
「謝るな、飲ませたのはあいつらだろ。……後でちゃんと言っておく」

 少し低い声で部長がそういうのを聴いて、後日怒られるであろう先輩方に申し訳ない気持ちさえわいてきた。
 掴まっていいぞ、と差し出された腕に寄りかかりながら、私は何度もすいません、すいませんと繰り返す。そんな私の様子を見て、彼は普段通りの無表情のまま「もういいから」と言ってため息をこぼしていた。

「ほら、駅着いたぞ定期出せ…………何線だ?」
「えと……あっちの、ほう…………」
「わかった」

 私が出した定期入れを受け取り、彼は私を連れて改札をくぐる。高めの電子音が続けて二つ、よく見てなかったけれど多分、私と彼の二人分なのだろう。

「少しは落ち着いたか」
「はい、おかげさまで………すいません、迷惑をおかけして」
「これくらい構わん」

 ホームの風を受けて頭の冷えた私は、思いのほか近づいていた部長との距離がとたん恥ずかしくなり距離を取る。彼のほうは何とも思っていないような態度のまま、「気をつけて帰れよ」と言って踵を返した。

「あ………ありがとうございます」

 私は慌ててぺこりと頭を下げる。背を向けた彼には見えていないとはわかっているが、つい、身体が反射的にそう動くようになっているのだ。
 そして顔を上げたとき、彼の背中が改札を出ていくのが見えた。——つまり、彼はこの電車には全く用がなかったのに、私のためだけにここまでついてきてくれたということなのだろう。

(いい人、だなぁ)

 先ほどまで触れていた彼の体温を思い出すと、途端に私の心臓は高鳴った。酔いのさめたはずの頬はまだ熱く、頭の中は彼のことでいっぱいになっていくようだった。

「————すき、かも」

 まるで恋する少女のような言葉が私の口から洩れる。信じられないことに、自身はもう正気だと思っているにも関わらず、だ。
 そんな気持ちも言葉も恥ずかしいとは思わないほどに、思えないほどに————この時、私は確か恋に落ちてしまったのです。