月島部長の場合
02
——と、それが半年くらい前の出来事。
「神崎、資料できてるか」
「は、はい! ばっちりです! ………多分」
「多分ってなんだ、しっかりしろ」
「はいぃ………!」
一人で勝手に慌てる私とは違い、落ち着いた様子の月島部長はため息を吐く。私はそれがなんだか恥ずかしくて「すみません」と俯いた。
「大きい商談とはいえ長くお世話になっている取引先だ、そんなに緊張する必要もないぞ」
「だ、だだだって、そうは言いますけど、私、そんな、経験なんてまだまだで………!」
「落ち着け、大丈夫だ」
恐らく励まそうとしてくれたのだろう、結構な強さで背を叩かれ、私は余計に「うっ」と息を詰まらせる。それでもそれが部長の優しさであることはよくわかっていた私は、礼だけは伝えることは忘れなかった。
「ありがとうございます……、うぅっ……が、がんばります……!」
会議室へと向かう彼の後ろを少し駆け足でついていく。相変わらず緊張はしていたけれど、なんとなく、部長の背中を見ていると少しだけ安心するのはやはり、私が彼に惹かれているからなのだろうか。
「――来たか、月島」
「お待たせしました、鯉登さん」
中から凛とした声が聞こえる。私は部長に続き「失礼します」と会議室の中へ足を踏み入れ、目の前の男性に会釈をした。
「ん……そちらの方は?」
「あ、えと、神崎涼と申します」
顔を上げ、震える手で名刺入れの硬いふたを開く。そんな私とは対称的に、目の前の青年は慣れた手つきで自身の名刺を差し出した。
「鯉登音之進だ、よろしく頼む」
鯉登、……つい最近、同じ名前をどこかで見たことがあるような……そう考えながら受け取った名刺を見て思い出した。というか、そこに書いてあった。
「鯉登さん……ってことは、じゃあ、鯉登グループの……」
「あぁ、会長の鯉登平二は私の父だ」
――ボンボンじゃないか……!
鯉登グループといえば私でも知っている大企業グループだ。確か会長さんのご子息は子会社の経営をしているとかなんとかきいたこともある。
だが確かその方は雪のように白い肌をしているという噂だったが……そう思いながら彼の褐色の肌をじっと見つめていると、その視線が不愉快だったのだろう、眉間に皺を寄せた彼が低い声で私に話しかける。
「……恐らくお前が知っているのは兄の方だろう、私は今は父の会社で勉強をしているところだ」
あぁ、なるほど、兄弟が……いや、しかしそれでも流石は御曹司といったところか、私と同じくらいの歳に見えるのに、着ているものも持っているものも上等で――何より、こういう場に一人で来るくらいの立場がある。
「…………おい、月島、なんだこいつは」
「あー……神崎、気持ちはわかるが……顔に出てるぞ」
「えっ」
しまった。と私は自分の顔を手で覆ったが時すでに遅く、鯉登さんは不機嫌さを隠すことなく「随分と失礼な新人を釣れてきたな、月島」と言って席に着いていた。
「そう言わんでください、仕事はできるやつですから」
「す、すいません、私、あの、」
「ふん、まぁいい、始めるぞ――」
数時間後。
とぼとぼと廊下を歩く私。そしてその横でやれやれと息を吐く月島部長。その手には次回の打ち合わせまでにまとめるべき項目と、担当者名に私の名前が書かれた書類が握られていた。
「すいません月島部長、私のせいで、先方の機嫌を損ねてしまって……」
「ん、あぁ、それは気にするな」
「でも、鯉登さん、ずっと険しい顔をしてました」
「あの人はいつもあんな感じだぞ」
それはそれで先が思いやられる。なんにせよ今日の初顔合わせは大失敗、最悪な第一印象となってしまったのは間違いなかった。
それでも取引自体はきちんと中身を見た上で精査をしていたあたり、鯉登さんは素晴らしいビジネスマンなのだと再確認する。……再確認して、余計に自分の失態を深く後悔した。
「大丈夫か?」
「はい……」
「しっかりしろ、次回からはお前一人で言ってもらうんだぞ」
「はい……えっ」
「ん? 言ってなかったか」
「えっ、き、聞いてないです!!」
先ほどまで落ち込んでいたのも忘れ、私は勢いのまま部長を振り返る。それに驚いたのか、彼はいつもより目を大きく開きながら、「それは悪かった」といつもより小さな声でそう言った。
「俺も補佐のような形では入るが基本はお前一人でやってもらう予定だ」
「えぇっ!?」
「安心しろ、ずっと取引のある会社だ、滅多なことがなければなんとかなる」
今日の無礼は滅多なことには入らないのか。
「あの人も面倒な……ンンッ、難しい人かもしれんが、悪い人ではない、うまくやれるだろう。年も近いし、お前に似てるところもあるしな」
「どっ……」
どこがですか!? と聞くより早く、彼は私の顔を見て笑った。なぜ笑われているのかもわからないまま私が口をぱくぱくさせていると、彼が少し私から視線を外しながら、「あの人、わかりやすいだろう」と言う。
「お前にみくびられたとわかった時、目に見えて怒っていたし」
「え、えぇ」
「それが、専務の名前を出した途端に途端に笑顔になって……」
「まぁ……」
先程の会議で彼がソワソワし始めた時の会話を思い出す。
「――なぁ、月島? 鶴見専務殿はこの件には……」
「来ないでしょうね、お忙しい方ですから」
「キェ……」
不思議な鳴き声と共に、遠足前日の子供のように落ち着かなかった彼が、肩を落とししょんぼりと小さくなっていく。
「……まぁ、もしこの商談がうまくいって、長く続いたとしたら、スケジュールに余裕ができた時に顔を出してくれる時間くらいはあるんじゃないですか」
しかし部長がそう付け足すと、今度はみるみるうちに顔が明るくなり、声には出さないものの「やっほい!!」とでも聞こえてきそうなほどの満面の笑顔になっていた。
「…………たしかに、わかりやすい人ではありますね」
「だろ、……そういうところだな」
「あぁ、なるほど、そういう……そういう……?」
あれ、なんの話をしていたのだっけ、と私は少し前の会話を思い返す。確か、私と鯉登さんに似ているところがあると、そんな話をしていたはずで――
「わ……私、そんなにわかりやすいですか……?」
「なんだ、自覚なかったのか」
ははは、と笑った部長が私の頭に手を乗せる。本当にそう思っているのかからかわれているのかはわからなかったが、その手の暖かさに私は思わず頬が熱くなった。
「……頑張れよ、俺も、できる限り手伝う」
「! ……は、はい、がんばります!」
えがお、はじめてみたかも。
私は弧を描く彼の口元を見つめながら、そんなことを考えて高鳴る胸を強く強く押さえつけた。