一節「父の話した尋ね人」
「お前も諦めの悪いやつだ」
幾度目かの挨拶に伺った時、短く吐いた息と共に彼がそう言った日。あの日が、私の運命の日であった。
「……お、お願いします! 私、貴方に着いていきたいんです!」
「騒がしいですな、土方さん」
軒先で言い合う私たちの元へ、家の奥から老人が一人近づいてくる。彼は永倉新八、かつての新撰組二番隊組長その人だ。
私は彼にもペコリと頭を下げてから、もう一度「お願いします」と声を張り上げる。
「どうしても土方さんの役に立ちたいのです!」
自分で言うことでもないが、私くらいの子供が必死になっている様はやはり人目を引くのだろう。通り過ぎる何人かが小声で何かを囁き合うのを聞いた二人は、顔を見合わせて息を吐いた。
「……とにかく、中に入れ」
「! は、はい!」
だから静かにしてくれ、とでも言いたげな顔で永倉さんが私を招き入れる。彼等としては目立ちたくはないのだろう、なにせ、あの新撰組副長の土方歳三は今や脱獄囚≠セ。騒ぎになれば困るのは私だってわかっている。
――我ながら卑怯だとは思うがそれを利用しない手もなく。
「それで、一応聞くが何の用だ」
「はい! 今日こそは土方さんのお供をさせていただきたく……」
「断る」
「……っ、そ、そこをなんとか……っ」
ぴしゃりと言い放つ土方さんに、私は今日も追い縋る。お願いしますと下げた頭の上の方から、二つ分のため息が降ってきた。
「やれやれ、どうしたものですかな……この娘、断ってもあなたの後をついてまわる気だ」
「そのようだな、実際、私の元に押しかけ始めてどれくらいになる」
「半年ほどかと」
「正確には八ヶ月と十日目です!!」
顔を上げ胸を張ってそう答えると、永倉さんがもう一度長い息を吐き、土方さんは眉間のあたりを指で押さえている。頭でも痛むのだろうか。
無論、八ヶ月と十日と言っても日参しているわけではない。生きるためには労働は不可欠で、今日だってこんなところで油を売っていることが雇い主に知られれば何を言われて何をされるかわかったものではない。
そんな危険があったとしても、それでもどうしてもこの人の首を縦に振らせたいと、隙を見ては彼らの消息を追っているというわけだ。
「それにしても毎度毎度よく見つけるものだ、宿も一定ではないというのに」
「そこはまぁ、私そういうのを調べるのは少々得意で……お役に立ちそうですか!?」
「調子に乗るな」
ぴしゃりと私を叱りつける永倉さんの後ろでは、土方さんが何か考え込むような様子で顎に手を当てていた。
「土方さん?」
私がじっと見つめていたのが気になったのだろう、永倉さんは背後を振り返り彼の名前を呼ぶ。少し間が空いてから、呼ばれた土方さんは口を開いた。
「――それで、お前は他に何ができる」
「……っ! あっ、えっと……、えっと……! け、剣を! その……父に! お、教わって、いました……!」
思わぬ問いかけに私はどもりながらも必死で応える。彼は軽く頷いて、隣に立つ永倉さんへと視線を向けた。
「永倉、見てやれ」
「私がですか」
「樺戸では師範をしていたのだろう、適任じゃないか」
「……まったく、こんな小さな子を相手にするのは気も進みませんがね」
そういうと同時に、私の方へ木刀が投げ渡される。それを慌てて受け止めると、「宿の裏に林がある」と言って二人が部屋の外へと足を向けた。私は慌ててその背中を追い、林の中の少し開けた場所まで大人しく着いていく。
「よし、では打ち込んでこい。……永倉から一本取れたなら、良しと認めてやろう」
「は……はい! よろしくお願いします!」
これは、チャンスだ。
私は、やけに重く感じる木刀を力一杯握りしめた。
――とはいえ、そんな簡単に一本なんて取れるわけもなく。
「……日も暮れてきた、ここまでだな」
「はぁ……はぁ……っ! ま、まだ、もう一回だけ……! もう一回だけお願いします……!」
「いや、終わりだ。お前もそろそろ戻らないと不味いだろう」
「……っ」
最後の言葉にはなんの反論もできず、私は肩で息をしながら腕を下ろし「……ありがとうございました」と頭を下げた。永倉さんは息ひとつ乱さないまま、「なかなかの腕だった」と気休めにもならない言葉を私に投げかける。
「さぁ、今日は戻れ。これ以上暗くなると危ないだろう」
「はい……」
木刀を彼に返し、私はもう一度お辞儀をしてから二人に背を向けた。せっかくのチャンスだったのに、と滲む涙を堪えながら、私はその場を後にする。
「――次はもう少し、肩の力を抜いてこい」
「え……っ」
次、という言葉に思わず振り返ると、口角を上げた彼の顔がそこにはあった。それはつまり、と、浮き立つ心がバレないように、私は大きな声で「はい!」と返事をして彼らの元を走り去る。
(次、次がある、まだ、諦めなくてもいいんだ……!)
私は興奮で熱くなった頬を冷まそうと、涼しくなってきた街の中を一人駆け抜けた。
そんな風に、彼の元へ通ってはこてんぱんにされること数度。嬉しいのと同じくらいの悔しさに苛まれながらも私は諦めることなく永倉さんとの打ち合い……もとい、剣術指導を受け続けていたある日のことだ。
「…………久しぶりに来たかと思えば、その顔はどうした」
「えへへ……そんなにひどいですか、これ」
苦々しげな表情をする土方さんに、私は頭をかいた。
「実は鏡、見てなくて」
そう言って笑う私に、彼はしかめ面のまま手鏡を差し出した。それを覗き込むと、その中では目の上を青くして、腫れた頬を赤く染めた私が笑顔ともつかない微妙な表情で曖昧に口の端を上げていた。
「どうりで」
笑うたびに口の中が痛いはずだと納得する。すいません、こんな顔で、と小さくこぼすと、永倉さんが困惑した様子で私に尋ねた。
「何があった?」
「その……こうやって、土方さんと永倉さんに会いに来てるのが……というか、仕事を抜け出しているのが、旦那様にバレてしまって……」
怒髪天を衝く。カンカンに怒った雇い主の顔を思い出し私は身体を震わせた。……この逢瀬が気づかれれば叱られることは覚悟していたが、まさかここまでされるとは思っていなかったのだ。
「……それでよくまた来ようと思ったな」
「当たり前です! 認めてもらえるまで諦めな……あ……」
大声を出すと同時に私のお腹は大きな音を立てた。はしたない、と恥じらいに俯く私と裏腹に、永倉さんは真剣そうな声で「まさか何も食べていないのか」と狼狽した様子で問いかける。
「えぇと、まぁ……その、しばらく納屋から出してもらえなくて……実は今日も、そこからこっそり抜け出してきたんです」
「な」
「えへへ、ほら、私見ての通り小さいので……こう、上手く隙間を潜り抜けて」
「とんだお転婆娘だな」
返事の代わりとでも言うように、ぐぅ、という音が鳴った。私はもう耳まで真っ赤になるのを感じながら、小さな声で「すみません」と繰り返す。
「……ガムシン」
「わかりましたよ、土方さん。……やれやれ」
なにただそれだけの言葉で二人の間では何かが通じたのだろう、外行きの帽子や羽織を身につけて、土方さんは「行くぞ」と私の肩を叩いた。
「は、はい! ……でも、木刀は……? 持っていかないんですか?」
「今日は打ち合いはやらん」
「? じゃあどこへ……」
彼が私をじっ、と見る。ほつれてボロボロになり、土埃にまみれた袖を軽く手ではらいながら、「まずはその服装をどうにかしないといけないか」といって微笑んだ。
「ふ、服ですか?」
「あぁ、飯はその後だ」
「めし」
その単語を耳にして私のお腹はまた鳴いた。慌ててお腹を抑える私に、二人は少し笑ってから「少しだけ我慢しろ」と言って宿を出る。
「あ、あの、でも、その、」
「ほら、早く着いて来い。……土方さんは言い出すときかんぞ」
「お前がいうか、ガムシン」
「言いますとも」
何故か楽しげな二人の背をぽかんと見つめていると、土方が振り返り「なんだ、私に着いてきたいんじゃなかったのか」なんてことを言い出した。
「……! い、あ、えっ……そっ、あ……い、いいんです、か……!?」
「とりあえずはな」
「あっ……ありがとうございます……!!」
「……相変わらず声がでかい……まぁ、それだけ元気があるなら良いことだ」
再度踵を返して歩き出す土方さんを追い、私は早足で二人の後ろをついて行く。
それが、私が彼と共にいる事を許された、最初の日のことだった。