眠たい春のおぼろ

 湿った初夏の風が髪を撫ぜる夏島に辿り着いたのは午後を二刻程回った頃だった。

 降り立った港で繰り広げられるどんちゃん騒ぎのお祭りに目を白黒させているわたしに今し方乗ってきた乗合船の船長さんが「何を驚いてるんだ?お前さんも白ひげを見に来たんじゃなかったのかい?」と首を傾げて言うものだから更に目を剥いたのは言うまでもない。
白ひげ?あの四皇の?見に来たって何??それだけが頭にぐるぐる渦巻いて船長さんを見やれば彼は下船後の作業をしながら簡単にこう教えてくれた。
 明日はこの島が白ひげのナワバリになった記念祭であり、前日の今日からお祭りが繰り広げられていること。そして今年はその白ひげの本船がこの海域の近くを通るからと彼らが寄港すること。大々的に公表は出来ないものの、人伝に情報を入手した近隣の島の住民や観光客も巻き込んで島中がごった返していること。――要約するとこんな感じだった。
もちろんわたしはそんなミーハーな人間じゃないし、この島は次の島への中継地点だから通らざるを得なかっただけだ。むしろ知っていたらどんなに遠回りでも迂回していただろう。


「…え、船長さん達次の出航時間は?次はどの島に行くの?いやどこでも良いんだけど続けて乗せてくれないかしら?」

「ハハハ!残念だがおれ達も白ひげをこの目で拝むつもりで来てるからよォ。次の出航は明日の夕刻だ!」

「最悪だわ…」


 とは言うものの諦めが早いのもわたしの長所である。次の瞬間には明日の出航券を買っていたし――他の船を探そうとしたが今日は他所に出る船などないと船長さんに言い切られてしまったからだ――、宿探しにの為に街中へと足を動かしていた。その頃には気の良い島民達やたくさんの屋台に少しは心が浮つくくらいには気持ちが上向きになっていたのだが。


「宿が見つからない…」


 そう。行く先々で満室・満室・満室の文字。
まァそれもそうかと納得してしまうのは島中の熱気を見るに明らかだ。旅人の身空、あまり大金をを使いたくないが仕方ないと踏み込んだのはこの島で一番グレードの高いと言われるホテル。先で断られたドミトリーで「あそこなら金額が金額だからもしかしたら部屋もまだ取れるかもしれない」と言われて最後の手段として辿り着いたわけだけれど外観からして気が重い。
ここを教えてもらった際に聞いた金額には心臓が冷えたものの払えない額ではないと決意してやって来たわけだが、声を掛けたホテルマンの返答にわたしは「やっぱりか…」と口の中で諦めを呟いた結果となった。
 頭を下げる男にこれ以上食い下がるのも無意味だ。潔く野宿を決意して出口へ踵を返せば、すれ違う寸前でやけに紫と金色が目に付く男の存在に気が付いた。男はわたしと入れ違いに先程のホテルマンへと向かっていく。


「よォ、久しぶりだねい。急で悪ィが部屋はまだ残ってるか?」

「マルコさん!お久しぶりです!丁度まだ最上階に空きがありますので是非!」


 そうしてこんな会話を繰り広げているのだ。いや待て、さっきあの男は何と言ったか。「申し訳ございませんが本日は生憎満室でございます」と、そう言わなかっただろうか。
これには当たり前だが納得なんて出来るわけもない。手を掛けた扉から大股でフロントへ戻れば、来客の男と談笑するホテルマンは気まずそうにこちらをみやる。


「ねェ、あなたさっきわたしに何と言ったかしら?覚えているからそんな顔をしているのよね」

「申し訳ございません!!しかしお客様、その、これには事情が…」

「あなた達の会話からそこの人も飛び込みで部屋を探していたように聞こえたけど?なら先着していたわたしにまず空室の案内するのが筋ではないの?」

「何だ?どういうことだい?」

「あなたはちょっと黙っててくれる?!これはわたしのもんだ…い………え、?」


 野宿するならどこでしようと考えていてろくに顔など見なかったあのすれ違い際然り、ここに戻ってくる時だって見ようと思えばその人物像くらい伺えたというのに腹が立ちすぎてそこまで気が回るわけもなく。
だから、頭を下げるホテルマンの弁明に更に苛々が増す中、頭上から降ってきた声に勢いよく見上げて言い返したところでわたしはようやく気付いたのだ。

 昔、旅に出た頃に自衛の為にと読み漁った手配書の数々。高額すぎる懸賞金にいっそ自分には無関係だろうとすら思えたその顔…そして胸の刺青のマークはこの島に降りてから散々目にしてきたもの。


「ふ、不死鳥マルコ…?!」

「…ああ。悪ィな、驚かせたよい」


 意識せずともわたしの口から漏れ出た声は情けなくも震え掠れたものだった。
いたたまれなさそうにわたしからふいっと視線を逸らしたその人はそのままホテルマンに再度向き合うと「それで?どういう経緯だい?」と事のあらましを求めたのだった。

 本当は最初から最上階の部屋に一室だけ空きがあったこと。その部屋の価格はわたしが聞いていた金額の5倍以上すること。わたしの風貌が明らかにそれを支払えるような客ではなかったこと。
ホテルマンは素直に答えた後、「本当に申し訳ございませんでした」と何度も頭を下げた。
 それを言われて確かにその額は払えまいと今度は諦めがついた。不死鳥マルコは「人を見た目で判断するのは良くねェけどな」と言ったけど、逆にホテルマンの言い分はごもっともだろうとすら思えてしまった。何せその判断通り、わたしにはその額は払えなかったのだから。
逆にお金がないことを突きつけることなくスマートな断り方だったのではないかとすら思える。空室があると耳にしなければわたしはあのままただ「仕方ない」とここを出て行けたのだろうから。
…まァ、そもそもあの四皇の右腕である不死鳥マルコと対面している辺りで感覚がバグってしまっていてもう怒る気力もないというのが一番の理由かもしれないけれど。


「それならもうここに用はないわね。お騒がせしてこちらこそごめんなさい。他を当たるわ」


 本当は他などないのだけれど。
そうは言えずに再び踵を返そうとしたわたしに待ったを掛けたのは想像だにしない人物だった。
 そう、不死鳥マルコだ。
彼は「外は土砂降りだよい。スコールとはまた違う降り方をしてやがる。いつ止むのかもわからねェ。こんな状態で野宿は無理だなァ」なんて言う。

 改めて窓から外を見やると、この重厚感のある建物のせいで雨音は聞こえないものの、地面に叩きつける大粒の雨が見て取れた。
グッと眉間を寄せるわたしを見て「お、野宿を考えてたのも正解だったみたいだねい」と言うものだからハッとする。悔しくて何も言えずに俯き気味のわたしを嘲笑うわけでもなく、不死鳥マルコはホテルマンと一言二言話をしてルームキーを受け取るとわたしの目の前までやってきて身を屈めた。


「これはお前が使え。金は気にしなくていい」


 そう言ってわたしの右手を優しく掬って美しい細工の施された鍵を握らせたのだった。

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I don't know