善い日の夜に

 あれから一悶着あったのは言うまでもない。
何の縁もゆかりもない人に見返りも理由もなく一方的に高額なホテルの一室を与えられて、ありがとう!なんて言える人間がどこにいると言うのだ。


「大体、わたしが今こうなっているのはわたし自身の問題よ!島の情報をもっと探っていればわざわざここに来なくても済んだ。次の島への迂回路だって他にもあった筈だもの。完全にわたしのミスなのに部屋を譲ってもらう権利なんてないわ!」

「そう言うならお前は運悪くたまたまこの日にここに辿り着いちまったってわけだろい。自分で言うのもなんだがおれ達が船を寄せようとしているせいでもある。それにこんな大雨の中若い女を外へ放り出すなんざ出来るか!」

「あなたこそその口ぶりじゃ、まだ本船はここに来ていないってことじゃないの?船がまだ離れた海の上なら、こんな大雨の中能力を使って帰るなんて出来ないから宿を探していたんじゃなくて?」


 正直わたしはこの男に相当ビビっていた。何たって四皇の幹部、それも海賊王に一番近いと名高いあの白ひげの右腕と言われる男だ。どんな恐ろしい人間だと思っていたけれど、わたしの恐怖心は既になりを潜めてしまった。
 その名を認識してから恐ろしくて目も合わせられなかったと言うのに、鍵を手渡された時の力加減も、生意気なことを叫んだとて手も出さないどころか声を荒げもしない大人の対応も。
何ならその辺の酔っ払いやチンピラの方が余程タチが悪いのではないかと思った辺りから、目の前の男に勝手に抱いていた負の印象ががらりと変わった。

 だからと言ってわたしは余計なことを口にしてしまったのではないかと、今になって思うのだ。
背後から錠をかける音がやけに耳についたところでふと冷静になってそんなことを考えてみる。


「自分で言ったんだからな。やっぱ嫌だはなしだよい」

「あ、当たり前じゃない…!女に二言はないのよ」


 目の前には落ち着いた印象ながらも高級感の漂う客室の風景が広がり、振り向けば呆れた顔をした不死鳥マルコが溜め息をつきながらこちらを見遣っていた。
ちなみに部屋の錠をかけたのはこの男で、この状況を作った張本人はわたし自身。
ああ言えばこう言うの応酬に「そんなに言うなら2人でこの部屋泊まったら良いんじゃないの!?」なんて言ってしまったものだから、本気かと問いただしてくる男に意地になり、引くに引けなくなってしまって現在に至る。

 そうは言えど。見知らぬ男と一夜を共にすることなど、正直今更である。相手がこんな大物海賊というのは初めてだけど、旅に出た時から少なくはない経験をしているわけで。
そんなことを思い返してみれば肩の力が抜けていくのがわかった。キョロキョロと辺りを見回して色々な扉を開けていく。そうして2つ目のベッドルームを見つけたところでメインルームに戻ってきたわたしは部屋の入り口から一歩も動かない男に向かってその旨を伝えたのだった。


「寝室が別れているんだから何も問題ないんじゃない?」

「問題ねェってことはねェと思うけどな。少しは危機感持てよい」

「ん?何かされちゃうの?わたし」

「バカ言うなよい」


 大きな溜め息をついて数歩こちらへ寄ってきたかと思えばどかりとソファに座る姿はどう見たって不機嫌そのものだったけれど、逆にわたしは軽口を言えるくらいには気分はほんの少し上向きだ。色々あったけれど、まず自分の財力では一生経験出来ないような部屋に泊まらせてもらえるわけだし、覚悟していた野宿も回避出来たわけだし。

 鞄を漁って昼間に仕入れていたこの島の名物酒を眼前に翳して「ね、飲まない?」なんて超マイペースに誘ってみれば、不死鳥さんは更にもう一回溜め息をついて、でも断ろうとはしなかった。
 これまた美しい細工の切子硝子をミニバーから引っ張り出してきて酒を注ぐ。とろみのある琥珀色が映える片方をどうぞと手渡すと、彼は満更でもなさそうな顔付きで一口煽り「相変わらず美味い酒だ」と言った。
ただ酒屋で薦められるままに買ってきただけのわたしですらちょっぴり嬉しくなってしまった。こう見えてわたしはゲンキンなやつなのである。


「酒屋さんでね、これが一番美味しいって教えてもらったの。色々買い込んだけど今日宿を取ったら真っ先に飲む予定だったお酒なのよ」

「良かったのか?おれなんかに分けても」

「あなたがいなかったら飲めてなかったかもしれないじゃない。だから遠慮しないで欲しい」

「ならお言葉に甘えようかねい」


 言葉数は多くはなかったけれど決して居心地の悪い空間ではなかった。
話したことと言えば自分が目的地のない旅をしていることや、今までの思い出深い土地のこととか。時たま「そこは寄ったことがあったな」とか相槌をくれるだけ。それが良かった。
大凡誰もが聞いてくる、どこから来たのかとか家族はいるのかとか、そんな確信めいたことは聞かないでいてくれる距離感が嬉しくもあった。

 そうしているうちに気付けば買い込んだお酒も底を尽きたらしい。彼が「すまねェ。調子に乗りすぎた」と言うけれど本当に気にしないで欲しかった。わたしもとても気分が良いのだから。


「とは言えもう少し飲みたいなァ。ねェ、今からでも開いてる酒屋さん知ってる?」

「どうだかねい。時間的に商店なんかはさすがに閉まってるだろうな」

「そっか。残念」


 明日はもう少し買い込んで次の島に渡ろうと決意して瓶を片付けていると高い位置から「もう良いのか?」と声が降ってきた。
いつの間にか立ち上がって見下ろしてくるその目を不思議そうに見返していたわたしに「飲みに行くなら良い店知ってるよい」なんて彼は言う。
もちろん二つ返事で後をついて外に出ればいつの間にか雨は上がっていて、綺麗な月が雲間から顔を出していた。
水たまりを避けながら足を進めた先には、昼間の喧騒を忘れ去ってしまったのかと思う程、静かな暗闇の中に落ち着き払ったバーが佇んでいた。

 マスターと思わしき人と何言か話をしてカウンター席に通してもらうと出されたお酒はやはり美味しくて、たぶんわたしは飲みすぎたのだと思う。


「ふふふ。おさけおいしいね、しあわせ」

「そりゃ良かったが、飲み過ぎだよい」

「ふしちょうさん、おさけつよいのね」

「この酔っ払いが。変な呼び方するんじゃねェよい。お前はもう酒止めておけ」


 この人の呆れ顔は今日何度見たものだろうか。カウンターに頬杖をつきながらこちらを見やり、わたしの手元にあったお酒を奪っていってしまった。
それはいい。たぶんもうそろそろ限界なのもわかってる。でも、どうしてかこれだけは言いたかった。


「ナマエよ」

「ん?」

「わたしのなまえ。おまえじゃない。ナマエ」


 自分から名乗ったのなんていつぶりだろうか。聞かれれば答えるし、別に隠し立てするような物でもないのに。今まで出会った誰よりも、この人には何故か知って欲しいと思ってしまったのだ。

 もう、むり。起きてられない。
微睡に飲み込まれるその直前。最後に目に入ってきたのは、驚いたようにその眠たげな目をいくらか持ち上げた顔と、わたしの名前の形に作られた唇の動き。ただそれだけだった。

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I don't know