五条と12月7日


 師走。それは師匠である僧侶が、お経をあげるために東西を馳せる月という意味の「師馳す」から来ているらしい。もしもそれが呪術師だったら呪走だったのだろうかなんてくだらないことをふと考えた。
 それはこの呪術業界でも同じで、もう本当日々アホみたいに忙しいから。

「…あ゛ぁああー」

 報告書を書き上げるために叩いていたキーボードから手を放し、だらしなく座椅子の背もたれに寄りかかっては天井を仰ぎ見る。天井のライトが目に沁みて、目を閉じたら疲れすぎと眠すぎのダブルパンチでそのまま寝落ちしてしまいそうだ。
 今日は一年生の実習付き添い、それから授業、その前日は新幹線で3時間ほどのところに日帰りで一級討伐、さらにその前日は北海道行ったけどそれもまた日帰りで、さらにその前は海外でー…、とここ数日、いや数週間の自分がこなしてきたスケジュールを思い出していたら頭が痛くなってきた。
 しかも信じられないことにこれだけ働いてるのに報告書を書くのが遅いと上から言われる始末。労働基準法とは?
 頼むから上層部の皆さん綺麗にハゲろと心の中で呪い念じておいた。

「さてと、五条さんはまだ飛行機の中かな」

 息抜きと眠気覚ましを兼ねてあったかいコーヒーを用意し、何気なくスマホでメッセージを開く。五条さんのトークルームを開けば最後のメッセージはちょうど4時間ほど前の時刻を最後に音沙汰なし。
 『今から帰るから待っててね愛しのハニー』と、相手から送られてきた文章とハートの絵文字連打が最後に途切れている。

「……会えるのは明日か」

 あまり細かい話は端折るけれど、なんやかんやで恋人の仲になった五条さんは先週からカナダへ出張に行っていた。
 私達は教師でもあるけどそもそも呪術師なわけで、特に今の時期は年の瀬も迫っていることもあって厄を落としたいだのなんだの依頼は増え、ここ最近ぐっと冷え込んだせいで呪術師はもちろん補助監督が相次いで体調不良でバタバタ倒れるしで日々てんてこまい。できるものなら私も倒れてみたい。
 ま、とにかく早く仕事終わらせて明日高専で五条さんを出迎えてやろうかと再びパソコンと向き合った。


――


 ほのかに感じる毛布の重みと温もり。夢と現実の間で耳がかすかに聞こえるテレビの音を拾った。ほんのりと漂うのはコーヒー、それから石鹸の匂い。なんだろうこの懐かしい感じ。
 …あ、そうだ実家だ。実家のような落ち着きが空間に満ち溢れているのだ。アンタまたそんなところで寝てー!風邪ひいても知らないわよ!と昔母がよく言っていた小言が聞こえた気がした。そんなこと言ったって仕事大変なんだもん。

「だって…お、かあさん」
「――ぶはっ」

 ……ん?

 一瞬聞こえた吹き出すような笑い声に違和感を抱く。あれ、そういえば私実家に帰った記憶ない。寝ぼけてたな。
 じゃあ何、このテレビの音とコーヒーの匂い。何故か今頃感じる人の気配。
 何やら嫌な予感、いや、嫌って言ったら失礼なんだろうけど、よぎった予感にゆっくりと目を開き、少し上を見上げると優しく細める青とばっちり目が合った。

「おはよ、眠り姫」
「なんでここにいるんですか五条さん」
「えー開口一番にそれー?」

 ソファーで寝転ぶ私の頭のすぐそばに座っていたのはやはり五条さんだった。何日ぶりかにみたその麗しい顔に、肩の力が抜けたような、そんな安堵感を覚える。五条さんが帰ってきたと心の中で喜びを噛み締めた。
 「ちょっとー、海外から帰ってきた彼氏に向かって真っ先に言うセリフじゃなくない?」なんてぶつくさ文句言う五条さんの髪はほんのり濡れている。また勝手に人の家のお風呂に入ったな。慣れてるけど。

「本当…なんで……」
「だって僕ダーリンだし。ここに帰ってきたって良いでしょ別に。あ、お母さんじゃなくてごめんね?」
「…ぐ、それは聞かなかっとことに…」
「ははっ、相当寝ぼけてたね?可愛いなぁ」
「どうやって入ってきたんですか」
「ん?あそこから」

 カフェオレを口に含みながら五条さんが指差した先はベランダ。え?

「え、うそ、私鍵閉め忘れて…?」
「あんな昔からついてるような鍵くらい無限でどうにでもなるよ。僕最強だから」
「おかしいな、私のプライバシーどこ行ったんだろ」
「僕と付き合ってる地点でそんなのあるようで無いでしょ」

 「名前、コーヒー飲む?」すっかり人の住まいを我が物顔してキッチンに向かう五条さんに半ば諦めモードでコーヒーを頼み、ようやくソファーから体を起こした。か、体いたい…。
 よたよた洗面所に向かい、最低限の歯磨きと顔洗いを済ませてリビングへ戻るとコーヒーの良い匂いが部屋に充満していた。ソファーに座り直してテレビの時計を見るとまだ6時半だ。それから部屋の隅に五条さんのキャリーバッグが置かれてることに気づいた。

「え、帰国後直で来たんですか?」
「当たり前でしょー?名前に会いたくて早く帰ってきたんだから」

 淹れたてのコーヒーをローテーブルの上に置いた五条さんがさりげなく私の頭を自分へと引き寄せ、こめかみ辺りに口をつける。それから私と同じようにソファーへぽすんと腰掛けた。
 やられた。なんというか、五条さんのこの不意打ちに近いさりげない愛情表現が久々すぎて、つい顔が熱る。くそう。

「…」
「あ、照れた?かわいー!」
「…コーヒーいただきます!」
「ドゾー」

 なんだか急に悔しくなって、ニヤニヤほくそ笑む五条さんに顔をみられないようにソファーから床に座り直す。マグカップを片手にパソコンをぱちぱち打ってやりかけの仕事を見ていたら、私の真後ろに座り直した五条さんに足で挟まれた。うわ、あったかい。
 どうやら私が仕事に追われているのを分かっていて、最低限の絡みで留めてくれるらしい。五条さんはたまにそういう時がある。普段のあのテンションだと「私より仕事が大事なのね!?」って言いそうなのに(いや、たまに冗談では言うけど)、意外とこういう場面では言わなかったりするのだ。


「――うわっ、びっくりした」
「あ、ごめんごめん」

 ぬくぬく五条さんの足の間でパソコンと睨めっこしていたらいつのまにかすぐ側に置かれていたスマホが震えてびくりと跳ねた。
 私のではないとなると当然五条さんのものなのだが、つい反射的にそちらを見た途端、待ち受けに表示されたえげつない量の着信やチャットを知らせる通知が見えてしまって固まる。

「……なんか、着信、とかメッセージ凄くないですか?」
「ん?」

 つい出た一言。
 ほんの一瞬過ってしまったのだ。五条さんを狙ってる人なんじゃないかと。五条さんは性格こそ難あれどもやはり見た目は麗しいし、呪術師としての能力も、何もかもが全てケタ外れの持ち主だ。ぶっちゃけこんなちんちくりんみたいな私を恋人としてそばに置いてくれてることが自体奇跡に近い。
 そんな日頃から抱えていた引け目が表立ってしまって、気づけばついそんなことを口に出ていた。

「なぁに?嫉妬?」
「……出てあげてくださいよ…い、伊地知さんかもしれないし」

 ここへきて面倒くさい女と思われたくないがために伊地知さんの名前を出す私はなんとも可愛げがない女だ。

「大丈夫大丈夫ー、今日は伊地知脅して絶対オフにしてるし。それに、今日は一日中うるさいんじゃないかなぁ」
「はい…?」
「なんなら見ていいよそれ。パスワードは名前の誕生日だから」
「……へ」

 いろいろと情報が過ぎて素っ頓狂な声しか上がらない。ちょっと待って、パスワード私の誕生日って…。それから、今日一日中うるさい?……今日?今日はたしか、とパソコンの右下にある日付を見るなり思考が固まった。12と7。
 ちょっと待って、もうそんな時間経ってたの?慌てて五条さんと向き直る。

「五条さん、やばい、わたし…っ!」
「まぁまぁ、そんな辛気臭い顔しなさんな。ホラおいで!」
「へ、どわっ!?」

 マグカップを取り上げられて腕を引っ張り上げられる。ソファーに座る五条さんの上に乗り上げるような体勢になって、下から五条さんの青い目が私を見上げた。

「まぁ、僕としては別に誕生日とかどうでも良いわけよ。もうこんな歳だし」
「いや、でも、」
「でも不思議なんだよねぇー。名前からは何か貰いたいなぁなんて」
「う」

 つい言葉に詰まる。
 最低だ私。五条さんのスマホの通知に他の女の人想像して勝手にモヤモヤしておきながら、肝心な恋人の誕生日をすっかり忘れてただなんて。
 幸いまだ朝だ。五条さんは今日はオフと言っているし、私も午前中までには……いやどこかのお店が開くまでには報告書を片付けよう。ぐっと意を決して口を開く。

「じゃあ、今日何か買いに…」
「うん、だからさ、これからの君の時間を僕にちょうだいよ」
「え…?あ、買い物、ですよね!はい!」
「ふっ……、いや、ごめ、はは、あはははっ」

 何故かツボにハマった五条さんが笑い出す。いや何故だ。しかもなんか涙目になってるんですけど。
 一通り大笑いした五条さんは満足そうなため息を吐くと、ソファーにかけられていた自分の仕事服のポケットからあるものを取り出して私の手に乗せた。

「今日の時間ももちろん貰うつもりだし、明日以降も、って話よ」
「これって…」

 手のひらに乗ったものはご当地キティーの根付けストラップがついた鍵だった。何年か前に五条さんと二人で出張行った時にいつのまにか買ってたもの。
 あの時はつい「五条さんもそういうの買うんですね」と言ったら「初のコンビ記念にね」とか訳わかんない事を言われたのを覚えてる。
 急に渡された鍵に目を白黒させていると五条さんがふと優しく微笑んだ。

「結婚指輪じゃなくて悪かったね。でも昨日帰りの飛行機の中でふと思ったんだよ。帰る家が一緒なら良いじゃんって」
「ごじょ、さん」
「これからはさ、僕の家に帰ってきてよ」

 それを意味する言葉、とは。そう言うことで間違ってないのだろうか。まだ微妙に確信が得られなくてつい戸惑ってしまう。そうとしか思えないけど自惚れるな自分、とどこかで冷静な自分がそう言ってくるのだ。

「仕事が一息ついたらさ、銀座で指輪を行こう?その足で式場見に行ったって良いし」
「あの、ちょ、ちょっと待ってください」
「あ、ごめんごめん。これが先だったね」

 左手をとられ、薬指に五条さんの唇が触れた。

「名前、僕と結婚してください」