妬み嫉み僻み
「これも貘さんの仕業ですか」
「んな訳ないだろどう見たってお前の体調管理不足」
名前はマスクの下で咳き込みながら不満そうにそう呟くと、図書室で隣に座る五条がと空かさず返す。いつもの放課後タイムだった。
「夏油君は今日は…?」
「あ?知らね。上級生の女に呼ばれてたから告られてんじゃね?」
「なるほど」
あれだけの美貌と人当たりの良さ、そして物腰の柔らかさ。名前は夏油の長所を思い浮かべるなり「確かにモテそうですもんね夏油君」と一人小さく頷く。まだ夏油が来るまでに時間がかかるだろうと判断した名前は鞄の中から先日から借りている小野泰斗の本を取り出すと、携帯をいじっていた五条が顔を上げた。
五条の眼が本に纏わりつく微かな呪力を感知したのだった。
「あ?お前その本…」
「なんです?」
「それずっと持ち歩いてる?」
「はい…何か?」
「いんや、何も」
——貘の呪力が憑いただけか。
名前の返答に五条は彼女の背中にべったり張り付く貘を一眼見てから先ほどと同じように頬杖をつき再び携帯を眺めた。
暫く二人で夏油を待っていると、再び咳き込み始める名前。最初は数回だけかと思いきや、思いの外長く続く咳き込みに五条はいよいよ彼女の身を気にかけ始める。「おい」大丈夫かと背中を摩るべく無意識に持ち上げかけた手の存在に気付いてはそれをぎゅっと握る。ここまで面倒みる必要もないだろうが。五条は名前に気づかれない程度に息を吐いた。
「……なんか腹減った。折山さんとこ行くか」
「へ?」
「お前にぶっ倒れられても困るし」
「はあ…?」
図書室は埃っぽい。今の状態の名前には少々酷だった。
オリオンに行けば自宅に帰るようなものだ、何かあってもすぐに横になれると考えた五条は「傑に言っとくか」携帯を耳に当てながら名前に帰る支度をするように催促した。
「…出ないな傑のヤツ…」
北館の階段を降りつつ五条は携帯のディスプレイを眺める。通話終了の項目を押すと、最近設定したばかりの井上和香の待受画像が現れ、それを畳みポケットに仕舞っては渡り廊下に出た。
「そんな長引いてるんですかね話」
「人たらしだしな、アイ、ツ…」
途端に足を止める五条に「五条君?」名前が不思議そうにしてその背中に名前を呼びかける。
――呪いの気配!急だな…!
濃い呪いの気配を感知した五条がサングラスを少し下げ辺りを見渡す。様子を探っていると後ろで何かが崩れ落ちるような音が聞こえて咄嗟に振り返った。
「はっ…!?おい、苗字…!?」
五条が見たのは廊下に倒れ込む名前だった。様子を伺うべく彼女の肩を掴むと制服越しにでも分かる体の熱さ。それに加えて彼女の体を蝕むように強くなる呪力。名前に張り付く貘が呪力に怒っているように見えた。
「お前やっぱり、呪われて…!」
「うぅっ…」
「しっかりしろ苗字!」
五条の視界の外で呪いが徐々に遠退く気配。思わず舌打ちすると「ご、じょう君…!行って…!」名前が咳き込み苦しまぎれにそう言う。彼女には五条が呪いを感知したとわかっていた。自分のせいでせっかくのチャンスを逃すわけにはいかないと名前は必死に五条の腕を押す。
「馬鹿言え…!」
乾いた咳は徐々に肺から吐き出されるような酷い咳き込みへと代わりに、五条は名前の肩に腕を回しかける。ひと先ず保健室へ、呪いはそれからと五条は腹を括った。
「苗字!?どうした!」
「つつ、み、先生…」
駆け寄ってきたのは男教師の堤だった。名前に駆け寄って顔色を伺う教師を見て五条は立ち上がる。
「センセー…悪いんだけど苗字のこと頼める?」
「五条君…!?」
「ごめん苗字」
――お前の呪いはどうにか解くから。
五条は心の中でそう名前に伝えるとその場から駆け出した。
「逃すかよ…!」
呪いは南館に向かっている。五条は携帯を取り出し夏油へ再び連絡を試みた。『あ、悟?ごめ、』繋がった途端に「傑!南の三階に来い!呪い見つけた!」『は?』五条はそれだけ言うと携帯を通話を切って長い脚を使って階段を数段飛ばして駆け上がる。まだ学生とはちらほらいる時間帯、下手に術式を使えないこの状況がなんとももどかしい。
――強力な呪いなだけあって残穢がしっかり残ってるな。
校舎の三階に到着するなり、徐々に濃くなる残穢を見ては大股で足早にそれを追いかける。残穢はとある教室の中へ入っており、やや乱暴の部屋を開けると三人の女子学生の姿がそこにあった。
「五条君!?」
「えっ、うそ」
五条はその女子に見覚えがあった。同じクラスメイトだったからだ。A組の中でも一番花があり、いつだか名前に冷たい視線を送っていた女子生徒と記憶している。
突然の五条の訪れに驚きつつも色めく声を上げた女子生徒に彼は遠慮なく三人に近づき、そして中でも一人の女子生徒の手首を握った。その手には一層濃い呪いの気配。
「きゃっ」
「お前…コレをどうした!」
五条の言うコレとは、彼女が手にしていた小さな木箱で、箱の表面にはびっしりと護符が貼られていた。五条は直接中身を見なくとも、この箱の中身が呪いの王の指であることは分かっていた。
「どうって…!」
「教えてもらったのよ…!おまじないを…!」
「誰に!」
「ひっ」
不穏な空気を纏う五条に最初こそは照れていた女子生徒たちもその空気を察してから怯えたような表情へと移り変わる。
青褪める彼女たちを見る五条の肩に、大きな手が優しく触れる。
「悟、少し落ち着け」
「っ!」
夏油だった。親友に言われた通りに五条は少し深呼吸をするとゆっくり女子学生の手首を放して後ろに下がり、「傑」「あぁ」彼らは短いやり取りをした後に今度は夏油が前に一歩出た。それから少し怯えたようにする彼女たちに向かって「財前さん、すまなかった。悟の大事なものに似てたんだ」と努めて優しい声でそう彼女たちに言葉を放った。
「これは、どこで?」
「もらったのよ…。これに願いを込めると…叶えてくれるって…!」
まさか両面宿儺の指にそんなファンシーな尾鰭が付くことになるとは。呪いの王が聞いて呆れるなと夏油は思いつつも、それから「願い?」と宥めるように続けた。
「あなたたちの為だったのよ」
「そうよ、あの女が付き纏ったりしてるから…!」
「うん?」
「苗字名前よ…!いつもあなたたちに付き纏って…!身の程も知らないんだから、死ねば良いって…!」
何とも身勝手な言い分に五条は流石の夏油でも内心穏やかではいられないだろうと、長年の親友の心情を汲み取り、今度は「落ち着け傑」と先ほどとは変わって五条が夏油の肩を叩く。夏油からは己を制するための息が長々と吐かれた。
「……それで…これは誰に?」
「先生が…先生がくれたのよ…」
「先生?どの先生が?」
「堤先生よ…」
「――傑っ」
五条の切羽詰まった声に夏油は顔を上げる。
今五条の脳内ではここへ来る途中に会った男教師、堤が苗字の介抱をしていた場面が過っていた。反射的に駆け出す。
「アイツが危ないかもしんねぇ!」
「は?おい!悟!」
自分の呼びかけを無視して教室を出て行く五条に夏油は咄嗟の判断で己の小型呪霊を貼り付けた。
――悟なら間違って私の手持ちの呪霊を祓うことはないだろう。
五条が走り去ったことで静寂に包まれる教室の中、「……あー、これは貰ってくね?多分悟のなんだ」と夏油はにこやかな笑みを浮かべ、足早に教室を後にし携帯を取り出す。
ツーコールで出た彼に「まずは状況を教えてくれ悟」夏油は間髪入れずに冷静にそう告げた。
「何がどうなってる?」
『アイツが最近体調崩したの分かってたろ。両面宿儺の指を媒体に呪われてたんだよ』
「それで?」
『さっき帰る途中に指の気配と同時に苗字がぶっ倒れた。そんで、……倒れた苗字をあの堤とかいう教師に預けちまった』
「!?」
『……悪い傑』
携帯を耳に当てながら五条に付いている呪霊の気配を辿った夏油はようやく五条の姿を見つけた。渡り廊下で立ち尽くしていることから、おそらくここで名前が倒れたんだろうなと夏油は察する。
その場には残穢は一つもない。
「嵌められたな悟」
「チッ」
「先生の居場所を確かめよう」
◼︎
「堤先生?」
「はい、どちらにいらっしゃいますか?」
夏油と五条は教員室を訪れた。入り口付近のデスクにいた教師に堤の居場所を尋ねることにしたのだ。
「あぁ、苗字さんが倒れたとかで今家に送ってるところだよ」
「!」
「傑、先行ってる」
「悟!」
すぐに駆け出した五条に「…え、何?何かあったの?」教員は怪訝そうな表情を浮かべたが、「いえ、なんでもありません。お忙しい中失礼しました」と爽やかに笑うと教員室を後にした。
「悟のやつ…!飛んだか…!」
教員室を出たところすでに五条の姿は無く、近くには開け放たれた窓があった。
夏油は人の気配を確認した後に意を決してその窓に足をかけ、親友を追いかけた。