可視化する眼
名前は夢を見た。
夕日が差し込む教室の中で呆然と立ち尽くしている名前の視界には男子生徒の姿がふたつ。二人は一つの机を挟むようにして座っていた。
一人は机上に置かれている分厚い原稿用紙を捲っており、もう一人はその様子を緊張した面目で彼を見たり、膝の上に置かれている自分の手を見たりと、落ち着かない様子が伺えた。
「堤」
原稿用紙を読んでいた少年が不意に名前を紡ぐと、近くにいた少年がハッとして顔を上げた。
「お前やっぱり天才だよ!なんだよこれ!めちゃくちゃ面白いじゃないか!」
バシンと派手に肩を叩かれた青年、堤は彼の激励の言葉を少しずつ受け入れると照れ臭そうに顔を綻ばせた。
「……あ、ありがとう小野。お前が一番最初に読んでくれて嬉しいよ」
「出そうよ!今度の公募!大丈夫、絶対行ける!賞も夢じゃない!」
原稿用紙を手にしているもう一人の青年、小野が興奮したように「公募」というセリフを告げた途端、何故か堤の表情が暗くなる。「……あ…、そ、それはいいよ…」先ほどの嬉しそうな表情から一点、何かに臆するかのように堤はそう呟いた。
「な、なんでだよ…!」
「僕は…うん。そういうのはいいんだ。お前に…親友に面白いって言ってもらったら…それで充分だよ」
堤は「ごめん、今日は帰るね」と椅子のすぐそばにあった自分の学生鞄を引っ掴むと、小野を一人残して逃げるようにして教室を出て行ってしまった。
教室の引き戸が閉められた途端、引き戸にかけられた文芸部と書かれた木番が人知れずに揺れた。
「……んだよアイツ…」
教室に一人取り残された小野は苦しそうな表情を浮かべると持っていた原稿用紙をぐしゃりと握った。
◼︎
「……あ…夢…?」
目を覚ました名前は見覚えのある部屋の景色を見ては自分がそれまで眠っていたことを理解した。
――今何時だろう。喉渇いたな。
熱っぽい体を起こすと不意に違和感。
「え」
『きゅ』
マレーバクの赤ちゃんのような奇妙な生き物が名前の腹の上に寝転んでおり、名前が体を起こしたことで自然と目が合う。それは名前が目を覚ますなり、挨拶代わりに小さな鳴き声を溢した。
「――う、あ、……うわぁあああ!?」
ベッドから転がるように跳ね起きた名前は布団を蹴飛ばして部屋の扉に手をかけると「苗字!?」一瞬扉の外から名前を呼ばれたような気がしたが、お構いなしに廊下へ飛び出した。
途端に何かに思いっきりぶつかり、それに向かって倒れ込む。
「どわっ!?」
「いでっ…!苗字…!どうした!?」
「は!?」
名前の下にいたのは五条だった。まるで自分が押し倒してしまっているような状況に
「ごごごごご五条君!?なんで!?ここに!?」余計に名前の頭がパニックに陥った。
◼︎
五条と夏油が学校を飛び出してから数分後、二人は途中で合流し喫茶店オリオンに向かって駆けていた。クローズの吊り下げ看板が下げられている木製のドアを遠慮無しに開けると、店内では折山がコーヒーを片手に寛いでいる。
突然の想定外な来客に慌てて時計と五条たちを交互に眺め「うおっ、どうした!?え、もうそんな時間!?」と折山は一人で混乱を起こす。
「折山さん!よかった、無事ですか!」
「無事もなにも…え?何?何かあった?」
「苗字は!?」
「あぁ、さっき帰ってきて上にいるけ、ど…!?」
折山との会話に特に異常は無さそうだった。五条はキッチンカウンターへ向かい、「ごめん、ちょっとアイツに会わせてくれる?」とさらに向こうのキッチンへと進む。
「ちょっ…苗字ちゃん多分今寝てるよー!」
五条はすっかり使い勝手のわかったキッチン奥にある階段を目指す。
「――う、あ、わぁあああ!?」
「!」
「苗字の声だ!」
「失礼します折山さん!事情は後で!」
二階から聞こえた名前の悲鳴に二人は顔を見合わせるとキッチンを駆け抜けて階段を駆け上がった。
先を行く五条が名前の部屋に手をかけようとした途端、先に中からドアが開いた。
「苗字!?」
五条が反射的にそう口にするなり、部屋の中からは寝巻きに身を包んだ名前が慌ただしく飛び出し、そのまま五条と衝突。思わぬ展開に無限を張り損ねた五条はそのまま名前の下敷きになるようにして廊下へ転がった。
「どわっ!?」
「っ…!苗字どうした!?」
「は!?」
名前は自分の下にいる五条の存在に気づくなり目を白黒とさせる。「ごごごごご五条君!?なんで!?ここに!?」あからさまに気が動転している様子を見かねた夏油が「良かった、苗字さん無事か」なるべく落ち着いた声でそう告げた。
五条だけでなく夏油の姿まで気付いた名前は「げ、夏油君…!?」と五条と夏油を交互に見渡す。自らのプライベート空間になぜこの二人が。衝撃的な出来事に畳みかけられたことですっかり思考がとっ散らかってしまった名前は状況が理解できずにひたすら言葉を詰まらせた。
『きゅ』
「きゃぁ!?」
途端に背中から聞こえてきた鳴き声にピクリと肩を震わせた名前が驚いて蹲ると「待て待て待て待て頼むからどいて!そこはヤバい!」と五条が切羽詰まった声を上げる。
「あれ!あれなんですか!」
名前が五条の腹に額を押し付けながらそう叫ぶ姿は珍しく取り乱していて夏油は珍しいものを見たなと思いつつ「あれ?」と小さく同じ言葉を述べた。
「あれですよ!あの生き物!」
「……まさか苗字さん…見えてるのか?貘の姿が」
「へ?」
涙目な名前が夏油を見上げると、下にいた五条が「だはーっ」全身でため息をつき、廊下に四肢を放り出すようにして脱力した。
「それだよ。お前の眠気の正体」
「……は」
二人が揃ってため息をついた。