呪われた学園
――隣のクラスの小野君が行方不明になったらしい。
朝のホームルーム前、スクールカースト中位に属する女子グループの会話が不意に名前の耳に入る。
いつも思うのだけど彼女達は一体どこからそういった類の情報を仕入れるのだろうか。名前は教室の中の廊下側、その一番後ろにある自分の席に座り、机の中から一限目の教科書を取り出し眺めながらふとそう疑問を浮かべた。
「小野ってB組の小野?」
「そうそう。お父さまに恨みがある人間が攫っちゃったって噂」
「でも身代金の要求は無いって話よ?」
その情報はもうすっかりクラス内に行き渡っていたらしく、別のグループからも例の彼の話題が耳に入る。今度は男子グループだ。
「小野ってアレだろ?親父が有名な小説家とかっつー」
「いや、親父は小説家としては出来損ないだよ。アイツのじーさんが有名な小説家だったんだよ」
「へぇ。うっすら小耳に挟んだことあるけど、確かサスペンスとか事件物書いてなかった?ネタ切れで自分の息子手にかけちゃったりして!」
「お前それ言っちゃダメなやつー」
途端にわっと派手に笑う男子グループの声に名前は耳を塞ぐふりして耳をぽりぽり掻いた。うるさい、耳栓があれば誰かくれ、そう言いたげな表情だ。
噂が一通り耳に入ってきた所で名前は"小野君"という人物を思い浮かべた。
――私の記憶が間違っていなければ、彼、小野君とは半年前に一度図書室で話をしたことがあるな。
この学園に入った一年生の時も、二年になった今でも名前は図書委員に在籍していた。過去に一度だけ話した内容は、彼にとある小説家の本の場所を尋ねられ、その場所を教えてあげたこと。たったそれだけの接点である。
名前から見た小野という生徒は特別派手というわけでも地味という訳でもない、普通の学生だ。初見での判断ではあるが、まさかあんな無害そうな青年が自ら進んで行方不明になるとは思えなかった。クラスメイトが誘拐という伏線を出すのも頷けた。
たった一分か二分しか話をしたことがない同級生の身を案じつつ、彼らの話に耳を傾けるのをやめようとすると、今度は前方に座っていた女子グループの話し声が入ってくる。上位カーストの中でも特に上に属する女の子グループだ。三角形の頂点と言ってもいい。
「あの人、最近"納金"が足りなくてC組降格とかの話があったらしいわよ」
「えーそれ本当?」
「ええ。……大変ねー、お金がないって」
くすくすと小さな笑い声が耳に入り、名前は少し視線を上げた。
そのうちの一人がチラリと名前の方を見ては嘲笑うかのように目を細める。彼女の先ほどのセリフは名前に向けた言葉のようだ。しかし名前は気にしない。
机の中にあった文庫本を取り出してしおりを挟んでいたページを広げつつ、名前はつくづく思う。
――この学園は呪われている。それも金や権力に。
都内の青山近くに鎮座するこの長宝院学園は通称貴族学園とも言われていて、全国各地から集まった御曹司やお嬢様が集う金持ちによる金持ちのための金持ち学校だ。過去には外務大臣、警察長官、弁護士、中には総理大臣を排出した実績がある。
各学年にはA組からD組までがあり、これらはある基準を元にランク付けされている。その基準は言わずもがな、金だ。
学園には毎月納金制度と呼ばれる所謂お布施、悪く言えば賄賂のシステムがあり、納金ランク上位二十名までがA組、二十一名から四十名がB組、というように配属される。余談を言うとD組はドベ組とも言われているそうだ。こんな学校が金に呪われてないというならなんだっていうんだ、というのが名前の考えである。
「良いご身分よね、お金は無くても頭さえ良ければ在学できるんだから」
「しっ、あの子聞こえちゃうよ」
「良いのよー別に。見なさいよあの顔、毛程も気にしてないわよ。じゃなきゃこんな環境の中一人太々しくA組にいられないわ」
――あんな環境の中で育てばそりゃ太々しく育ちもするさ。名前は手元の文庫本の文字を追いながら内心そう反論した。
名前は一般家庭出身だ。父親は知らない。唯一の肉親であった母親は昔から男に媚びを売っては別の男へ金品を惜しまず貢ぐような女だった。だから金がないなんて日常茶飯事で、名前の家は一般家庭の中でもかなり貧乏な方だった。
そんな彼女の母親は名前が中学二年生の時に死んだ。警察から聞いた話によればキャバ嬢同士の争いで取っ組み合いの喧嘩になり、相手の女に酒瓶をぶん投げられて辺りどころが悪くて死んでしまったそうだ。喧嘩の根源はやはり金絡み。母親らしいことをしてもらった記憶があまりない名前は母親が死んでも涙を流すことはなかった。
その後は縁があり、偶然学費完全免除制度を導入しているこの学園の存在を知った名前。入学試験を受け、奇跡的に入学することができて今日に至る。
金を積み上げてA組入りした他生徒からしたら勉学だけでA組入りしている名前の存在が理解できないのは当然だろう。
「そういえば、今日転校生来るらしいわね?A組に、それも二人」
名前を嘲笑った女子がまるで教室中に知らせるかのように大きめ独り言を響かせた。自信に満ち溢れた声だ。恐らく相当な納金を収めているが故についてくる自信からなんだろう。
彼女の声で教室内があっという間に動揺の声がわき起こる。
「ま、マジかよ。じゃあまさかB組降格者が…?」
「嘘だろ…二人…?」
「勘弁してくれ…ずっとA組キープしてたのに」
「やべぇ今月の納金大丈夫かよ親父…」
途端に納金やB組降格の心配をする生徒達は、名前が側から見てみて病的な何かを感じさせるレベルだった。B組降格というだけで将来が左右されることもあるいう噂もあったが、彼らのあの表情を見れば噂の真偽は一目瞭然だ。
名前は例外だった。入学時のルールで一定数の成績を収めればA組に在籍していられる条件だったからだ。故にくだらない納金システム如きでクラス変動の心配は不要だった。彼女としては高卒認定そのものが欲しいがためにこの学園に入学した訳であるからそもそもクラス変動ぐらいなんともないのだが。
名前は青褪める生徒を横目に見て、また文庫本に視線を移す。少し気の毒だ、とも思った。
「皆さんおはようございます。静粛に。ホームルームを始めます」
いつも通りの時刻に入室してきた女担任の凛とした一言で教室に緊張感が走る。名前は読みかけの本にしおりを挟んで机の中に押し込んだ。
「それから突然ですが転校生を二人紹介します。入ってください」
「はーい」
「失礼します」
担任の呼びかけに対して男の声が二つ。二人とも男子なのかとクラスの誰もが思っているうちに、教室の扉から学園指定の制服を身に包んだ男子生徒二人が入ってきた。
――デカい。
一番最後列に座る名前が見ても分かる彼らの背丈の高さ。それから麗しい容姿。二人の姿が現れた途端、教室内の生徒が一斉にざわつき、「イケメンなど」「やばい」彼らの容姿を褒め称えるワードがあっという間に飛び交う。担任はある程度の反応は分かっていたかのように白々しい顔で白板に黒い水性マーカーで二人の名前を書き記す。「夏…、何て読むんだろう」名前は一人、夏と油と書かれた名前を凝視した。
「五条君と夏油君です」
「夏油傑です。よろしくお願いします」
「五条悟、よろしくー」
黒髪の青年が柔らかく微笑む。それから隣に立っていた白髪にサングラスの青年が続けて名乗ると瞬く間にクラスの女子が色めき立った。耳をつんざくような声に、あぁもううるさいと名前は今度はあからさまに両耳を塞いでその場をやり過ごした。
黄色い声を浴びる二人はこういった類の状況に慣れているのか、白髪の方の五条は自分に見惚れている女子生徒に微笑み、黒髪の方の夏油は苦笑いを浮かべていた。
名前は五条の顔に堂々と置かれているまん丸のサングラスを見ては、「五条君のサングラス…よく先生達許可したな」机に頬杖を着きながら思った。
「五条君は体質的に日差しに弱いそうで、サングラスを手放せないそうです。特別に許可が下りてますから皆さんはかけないように!没収しますからね」
名前の疑問を汲み取ったかのように担任が騒がしい教室の中で声を張り上げて説明する声が耳に入る。
「それでは席については…」
「あー、センセ。俺ら背高いからさ、一番後ろがいいんだけどアリ?」
「私からもお願いしたいです。後ろの人に迷惑がかかってしまうと申し訳ない」
「…そうね。二人は一番後ろにしましょう。では席を動かす前に、B組行きを二名発表します」
担任は上質紙に書かれた紙を広げ、クラスメイトの名前二人を読み上げた。
その後、生徒二人の断末魔が響く。