12
「ん、これでもう普通に生活はできるだろう」
「ありがとうございます家入さん」
200万の任務に向けて家入さんになかなか治らない怪我を治してもらいに来た。相変わらず反転術式の仕組みは不思議だ。マイナスのエネルギーを掛け合わせて人の身体を治癒してしまうだなんて、なんと医者知らずな能力だろう。家入さんの治療が完治した手をまじまじと眺めながら、今しがた施術を終えて包帯などを片付ける家入さんを見上げた。
「時に名前」
「はい」
「お前、上層部と繋がっているな?」
「…ごふっ」
いきなりとんでもない一言が飛んできて血の気が引いたのと同時に気管支に唾液が入り込む。
「ごほっ、げほっ…!!ど、どうしてそれを…!?」
「年中高専にいる私を舐めるなよ」
「あの、その、五条さんには…」
「アイツには言ってない」
ズバンと言い切った言葉に安堵の息を吐きながらお礼を言う。しれっと嘘を吐くときもあるけど、こういう風に堂々とした言い方する家入さんは信用していいのはわかる。
「ここ最近お前がやけに怪我しまくっていたのは知ってた。ここへ来ないということは私に聞かれたら、それから五条に漏れたらマズイ話があるってことだろう」
「ぐっ…なんて名推理…」
「ちょっと考えれば分かる。このアホが」
しれっと私をディスりつつも包帯を丸めながら家入さんは続ける。
「ただ…高報酬とはいえ、そう焦って危険な任務行く必要はないだろう?早く返したい理由があるのか?」
家入さんの有無を言わせない瞳が私をまっすぐに見た。
「……元々早く返したかったんですよ」
「それだけか」
「…それだけ、です」
「そうか」
それ以上聞くことはやめたのか、家入さんはデスクに置かれたコーヒーカップを手に取るとチェアに深々と腰掛け、短く息を吐いた。
「ま、早く完済したいのなら早く私の所へ来ることだな」
「え?」
思いもよらぬセリフに顔を上げると、家入さんはデスクに頬杖を着きながら赤いリップがのせられた唇の端を吊り上げた。
「訳ありの怪我をすぐに治してやると言っているんだ」
「!…ありがとうございます家入さん」
「ただし勘違いするなよ名前、私は死んだ人間を生き返らせることはできない。どんな仕事でも必ず生きて帰ってこい」
「分かりました」
思えば家入さんは呪術師になってからとにかくたくさんお世話になった。この任務が終わって、借金を全て返し終わったら家入さんにお礼にお酒を御馳走しなければと密かに意気込んだ。
——
「…今となれば、いつ死ぬか分からない仕事してるのだから、任務終わったらとか先延ばしにしなければよかったなぁ…っ、いででっ」
地響きが続く地べたに寝転がり、帳色の空を見ながらしみじみ思う。ズキズキと痛む脇腹を抑える手は人肌温度の液体に濡れていて気分が悪いし、痛みを逃そうとゆっくり呼吸をすれば埃と灰のような臭いが肺に満ちる。感覚がすっかりマヒているせいで痛いのか熱いのかよく分からないけど、唯一分かるのは呪霊がすぐ近くにいることくらい。私を丸のみするために大口開けているのが見える。
「五条さん…すみません、おかね…返せそうにないです」
呪霊に喰われる覚悟をした途端、すぐ隣に来ていた死の概念が一瞬にしてはじけ飛び、私は目を見開いた。ついでに呪霊の体液も飛び散って、寝転がっていた私はそれらをモロに食らう。いや、食らうはずだったのだけど見えない膜が自分を包んでいるのか、体液は体にかかることなく地面へと流れ落ちていった。
「馬鹿だな、この僕が借金の踏み倒しなんてさせると思ってるの?」
砂埃の中で佇む白。全てが幻なのではないかと自分の目を疑う。
「ご、じょうさん…!」
「あーあ、また痛そうな怪我してぇー」
「うがっ」
五条さんは寝転がっていた私をやや雑に起こすと、徐に来ていたいつもの黒い上着を脱ぐ。そしてそれを私の体周りを覆うように広げると、一番怪我の酷い腹部に当たるように調整し始めた。久しぶりに五条さんの優しい匂いに包まれた途端、急に生き延びれた安堵感に包まれて目の前が揺らぐ。思わずほう、と息を吐こうとした途端、そんな私の息の根でも止めようとしたのかは知らないが、突然上着をぎゅっと結ばれて違う種類の涙がこぼれた。
「いいいいだいいい゛い゛!!!五条さん痛い…!!」
「なーに言ってんの。そんだけ呪霊みたく叫べるなら大丈夫でしょ」
「誰が呪霊ですか!失礼すぎる…!」
応急処置として腹をキツく結ばれたことで悲鳴を上げたらコレだ。流石に泣きたい。
一緒に来ていた補助監督に私のいる場所まで来るようにと連絡した五条さんは通話を切るなり「ホントお前相当馬鹿だね」と早々に私のメンタルを斬りにかかる。
「伊地知に調べさせたよ。高額報酬に飛びつくなんてホント馬鹿でしょ」
「…」
「でもまぁ、これでお前は僕から余計に離れられなくなったってわけだ」
「…どうしてそうなるんですか」
ヤンキー座りで私の近くにしゃがみ込んだ五条さんが怖くなって、痛む腹部をかばうようにしながら距離を取ろうとお尻でずり下がる。
「あ、物理的距離の話してるんじゃないよ?この僕がお前を救ったんだから、お前のその命、僕がどう使おうと勝手ってなるわけだ。アーユーOK?」
「はい…?」
「命はプライスレスって言うし?だからお前の人生の残り僕のものってことで」
どんなジャイアニズムだ。言っていい冗談と悪い冗談がある。あの人が聞いたら勘違いして発狂しそうになるセリフをつらつら吐いたりして…私がどんな目に遭ったと思っているんだ。
「そういうの、…やめてくださいよ」
「ん?」
「知ってるんですよ…前の女性、あの人が五条さんの婚約者さんだってこと」
「は?」
「五条さんは知らないかもしれないですけど、これ以上彼女を煽るために私を使うのはやめてください…!」
「…婚約者?なにそれ、そんなの知らないけど」
「とぼけるならとぼけたらいいじゃないですか。私には…私には関係ないですし」
五条さんがキツく結んでくれた上着を握ると、その手の上にうんと大きい手のひらが被さって顔を上げた。この世のものとは思えないくらいに美しい青が自分を見ていて、胸の奥がツキンと痛む。
「そうだね、お前から見たら関係ないかもしれないね。けどこれが困ったことに僕から見たら大いに関係ありありなんだよね」
「なんで、どうして構うんですか…。そりゃ借金のことも含めて、さっきも助けてくれたことには感謝してますよ?でも…しんどいんです正直…。五条さんに構われるとなんでか心が辛くなるんですよ…っ!五条さんといると苦しいんですよ!」
「…名前…」
「天性の人誑しなのか知りませんけど…婚約者持ちが人のことからかって…そんなに楽しいですか」
青をぎろりと睨める。それまで少しだけきょとんとした顔を浮かべて私の話を聞いていた五条さんが不敵に微笑んだ。
「楽しいね」
「っ」
「だって好きだからね。名前のこと」
思いもよらぬ言葉に自分の耳を疑った。私のことが、すき…?五条さんが…?事態に頭が付いていけておらず、目の奥がチカチカしてきた。あぁ、そうか、怪我してるから、血を流しすぎたのか。
「…ま、た…、そう、揶揄って…。どうせペットみたいな感覚なんですよね…」
「ありゃ、僕ってば信用ないねー」
クスクス一人だけ楽しそうに笑い始めた五条さんにもうどうにでもなれとクラクラする頭を抑えていると、手を取られて優しく顎をすくわれる。五条さんが私の顔を覗き込んできたかと思いきや、頬に優しい感覚とリップ音。
「は?」
「ドにぶちんとは思ってたけどね。これなら流石に分かるでしょ」
「へ」
唖然とする私を良いことに瞼、それから額に唇を当てた五条さんは私の額に自分の額を押し付けてきた。
「めんどくさいから一度しか言わないからよく聞いて。あの臭い女は上層部の人間。名前が僕に隠れてコソコソ会ってた女と同一人物ってわけ」
「…は?」
まさかと思うが五条さんは、ナナシさんのことを言っているのか?確かにいろんな人間に成り替わるが故に名前がない、とは聞いていたけれど。いや、そんなまさか。
「きっと僕への嫌がらせなんだろう。あの女を使って僕のお気に入りである名前を上手いこと切り離そうと目論んでたんだろうな」
続けて言った「だから嫌いなんだよ上の連中」なんてセリフは高専の上層部を語るときの五条さんの常套句だ。今度は私がぽかんとして五条さんの話を聞いている番になった。
「まぁ今は信じてもらえなくてもいいよ。お前をウチの実家に連れて帰ればいい話だし」
「…な、なぜ突然のご実家…」
「そうすれば婚約者なんていないってこと分かってもらえるし、なんならその場でお前を婚約者として発表しちゃえば一石二鳥だ」
「は……こん、にゃく、」
「ぶはっ、婚約者だってば」
頭も呂律もついてこないままゲラゲラ笑う五条さんをただただ見上げる。上手く言えないけど、いつのまにか胸に着いていた呪霊が祓われたような、軽くなるような不思議な感覚だった。
「あと何を勘違いしているのか知らないけど、そもそも貸付額は税別だし、あと利息ポイチだから」
夢見心地に浸っていた私にまさかの爆弾投下。ポイチ…?ポイチって…ポイチ?
「は…?利息ポイチ!?うそだ…!」
「ホントホント〜。ホレ」
差し出された五条さんのスマホには借用書の紙。スワイプすると借用条件の細かい特記事項が書かれていて……認めたくはないがひときわ小さい文字で確かに書かれている。
「つまり、お前が僕にお金を返そうとして働くとイコール利息爆上げしてたってわけ」
「えぇ…うそだあ…」
「こういうのはちゃんと読んでおかないとー。かもられちゃうよ?」
「五条さんがかもってるじゃないですか!あででででで」
思わず叫ぶと腹部が痛んだ。一応怪我人なんだけど、怪我人にするような話じゃない刺激の多すぎることばかり話されてる気がする。
「結局お前はこれからも僕の傍にいるしかないってこと。分かった?」
「…ぐぅ」
「いやーまさかあんなに熱烈な愛を聞かせてくれるとは思わなかったなぁ。五条さんといると苦しいーっ!ってか。かわいいなぁ」
「…記憶を抹消させる術式があったら良かったのに…」
「残念だけどそんなものあっても僕最強だからね。効かないと思うよ」
婚約者なんていなかった事実を知らされてから改めて考え直すと、これまでの自分の言動が遠回しであるものの最高恥ずかしい告白をしていたと気付いてしまって、赤面せずにはいられない。いたたまれなさすぎてありったけの手のひらで自分の顔を隠していたら、五条さんが薄く笑うような吐息が聞こえた。
「返事は今すぐにとか催促はしないけど完治したら聞かせてもらうからね。今言わせても後から貧血でよく覚えてないとか言われてもヤだし」
「わー、徹底してらっしゃるー」
「お前がのらりくらり話を躱すタイプってのはよく分かったからね」
「…さいですか」
「とにかく早く硝子に治してもらってよ。それから、ご飯食べよう」
斜め上からの五条さんの提案にぱちくりとしながら顔を見上げた。
「ご飯…?ですか?」
「そ、最近あんまりちゃんと食べてなくてね。名前のおすすめのお店が良いな。安くて美味しいところ」
「それは…構いませんけど…?」
なんでまたご飯?と疑問詞を沢山浮かべる私の耳に五条さんの綺麗な形の唇が寄せられた。
「そしたら酸欠になるくらいキスしてあげる」
「今は怪我してるからもう少し我慢だね」なんて五条さんの最高に機嫌のよさそうな声が聞こえた気がしたが、よく覚えていない。
[借金195万]−[報酬200万]+[利息]+[プライスレスな命]=[借金合計金額計測不能]