人生にはどんなラブハプが用意されてるか分からないものだ。
◼︎
「…ま、マジか」
私は目の前の建物を見上げて、手元の紙をグシャリと握り潰した。茂吉のヤツ…、帰ったら絶対絞める。いや、物理的に締めるのは無理だから、せめて塩漬けにしてやろう。
『ア゛ァアッ!!』
『お、女ダァ!!』
『金をよこせェエエエ!』
「う、うぷ…っ…!」
脳みその中に叩き込まれるような罵声と悲鳴に限界を迎えた頭痛は、次第に吐き気となって、込み上げてくる胃液に口元を抑えて路地裏へ駆け込んだ。
「…はぁ…ッ」
吐き気を催す事は想定内であり、敢えて朝食を取らなかった胃からは空気を吐き出すだけで済んだ。「これは、一旦休憩しないと色々ヤバい」本能的にそう察知し、その場から離れるように壁を伝いながら足を動かす。
「アン!」
「…ッ」
背後から聞こえた犬の鳴き声にふわりと意識が飛びかけた。だ、誰だこんな路地裏に散歩しにくるヤツは…大通りに行きなさいよ…ってアレ私が邪魔?
振り返ろうとするが、予想以上にひどい立ちくらみにバランスを崩す。
「さ、定春テメッ…!!急に走り出すな!!ウンコですかコノヤロー!」
「(あ、これはヤバいヤツだ)」
振り返り際に見えた巨大犬と見覚えのある銀髪、草臥れた着流し姿の男を最後に私はゴチンと頭を地べたに打ち付けて、今度こそ意識が吹っ飛んだ。
『アンさん』
「…」
元と言えば近所に住むその男がそう言ったのが事の発端で。その男をスルーして持っていたゴミ袋を持ち直して、ゴミ置き場に向かう。
『オイコラ!俺ァ知ってんだぞ!何シカト決め込んでくれてんのふざけんなクソ女!…ちょ!!待って!ウソウソウソ!俺ここからそっち行けねェ!!お願い!こっち来てェェ!!』
「…」
『オイィィイイ!人の話聞け小娘ェェエ!!!』
チラリを振り返れば、どうやらあの男はあの公園辺りからこちらには来れないらしい。
一週間分のゴミを捨てれば男がいよいよ煩くなってきたので、公園に向かいながら小袖の間にしまっていた携帯電話を取り出し、耳に充てる。
「あの、人がいるところで話しかけるのやめてもらって良いですかね?私、側から見たら一人なんですよ。頭おかしい人に見えるのでやめてもらって良いですかね?」
『何言ってやがる。俺達の姿が見えてるってんだけでアンさんの頭は既におかしい話だろうが』
「…あー、クソジジイが。生きてたら残り少ない畑をむしり取ってやろうかと思ったのに」
私の周りをくるくる飛び回る男はゲラゲラと宙で笑い転げた。よく見れば身体は半透明に透けており、常に宙に浮いている。
そう、この男はこの世に存在する筈のない、普通の人間からしたら肉眼で見ることも喋ることもできない、幽霊だ。しかもなぜかこの土地から離れられない地縛霊の類と見える。
「笑ってないでさっさと成仏してろマジで」
『それができねェからアンさんに頼んでやがるんでィ』
「…はぁあ…」
携帯を片手に深々と溜息を吐いた。チラリと辺りを見回して、長電話してても違和感のなさそうな公園の腰掛けに座ると、目の前に霊の男が宙に寝転んだ。
頼み事の割には随分態度がデカいこって。
『俺ァ茂吉ってんだ。この公園のすぐ裏にある店の店主をやってたモンでィ』
「で?なんですか頼み事って」
『荷を或る女に届けてやって欲しいんだ』
「…それだけ?」
『いや、もう名前は思い出せねェんだけどよ。場所なら覚えてんだわ。地図描くからよ、そこの女店主に荷を届けてやってくれねェかな。もうそれだけで俺ァ成仏できちゃうよ』
「…はぁ、分かりましたよ」
苗字名前、24歳。こうして幽霊の頼まれごとを渋々受け入れるクセがあるわけだか、初めてちょびっと…いや、過去最大級に後悔することになった。
―――――
「あの野郎ォオオ!!……あれ!?」
「おー、起きたかよ。随分な魘され様だったぞ」
「…は、」
怒りに任せて跳ね起きれば、目の前の人物に身体が強張った。うねりにうねりまくった銀髪に死んだ魚のような目。
「あ…」
やべぇ、これヤバいヤツだ。サァっと全身から血の気が引いた。
目の前にはみんな大好き週刊少年ジャンプの大人気漫画銀魂の主人公の坂田銀時さん。この半年ほど、遠くからだったり物陰から何度か見かけた人。
銀さんは私の顔をのぞき込んでいたようで、突然起き上がった私にびっくりしたらしく、ちょっとだけ顔をひくつかせていた。その微妙な表情すらもかっこいいわコンチキショーめ。
「覚えてるか?オメー、路地裏でぶっ倒れたんだぞ」
「……あ、…ハイ…」
「オイィィィイ!!鼻血ィィイイ!!」
私の顔見てテンパる銀さん。なにこのコロコロ表情が変わるイケメンは。空知先生なんて人を生み出してくれたんだよ。
銀さんは何処からか持ってきたティッシュを数枚、私の鼻に押し当てた。あれ、鼻血?人って興奮すると鼻血が出るってマジなんだ。
「アン!!!」
「うお!待て待て定春!遊ぶなば、か…!!」
銀さんの背からまたあの鳴き声が聞こえて、顔を上げると銀さん越しに巨大犬…定春君のふわふわした毛と肉球が一瞬見えてた。
立ち上がるとやっぱり高いんだ…と思っていると、定春君に圧し掛かられた銀さんが私の方に倒れてきた。わー、銀さんの目、近くで見ると綺麗な紅い色をしてるなぁ…。
「……」
「……」
唇の端っこに当たった柔らかいふにっとした感触。
柔軟剤とシャンプーの匂い。
ダン、とソファーの背もたれに手を着く音。
定春君の呼吸。
目の前には銀さんの顔のドアップ。
私の五感よ、どうした。やや間が空いてから、銀さんはバッと顔と体を起こした。あれ?…今…?
「……は?」
「…わ、わり……」
「え、今…の…」
その一言で顔を真っ赤にした銀さんが可愛くて可愛くて、鼻にたらりと生暖かい感触が伝った。
「鼻血ィィィイイ!!!」
「ひぎゃぁぁあああ!!」
いいいい今銀さんとキスしたぁぁあああ!!?
――――――
「アノ、エット、スミマセンデシタ。オ邪魔シマシタ」
「なんでそんな片言なの」
所変わって、玄関先。
鼻にティッシュを詰めた私は玄関先で草履を履いている。あーあ。イケメンの前で鼻にティッシュ詰め込んじゃったよ。これも銀魂マジックですか。
後ろを振り返り、ぺこりと銀さんに向かって頭を下げた。頭を下げた目線の先には銀さんの裸足。うん。骨ばっててセクシーだ…。いやいや、こんなこと考えたらまた鼻血モンだ。落ち着け私。
「その、なんつーか…、悪かったな。事故とはいえ…」
「こちらこそすみませんお気になさらず…」
ぽりぽり頭を掻きながらそう銀さんもかっこいい。どんなラブハプ用意してくれてるのよマジで。もうこれToLoveるじゃん。
これ以上の接触はマジでやばい。私の心臓と鼻がもたん。今日の思い出は胸にしまって明日からまた頑張って生きて行こうと思います。
「あの、この下ってスナックお登勢ですよね…?お登勢さんってもういらっしゃいますか?」
「なに?ババアに用なの?」
「ちょっと荷物を届けに…」
「あー…この時間なら下にいんだろ」
「あ、ありがとうございます」
「…それから俺、こういうモンね」
「万事屋…銀ちゃん…」
「そ。なんかあったらここ来れば?」
「ありがとうございます」
ぴら、と目の前に差し出された名刺を受け取った。うおおお…本物の名刺を手に入れた!!文字しか書いてないけど!!本物だ!!これはもう帰って額縁に飾ろう。
そうと決まれば早い事用を済ませて帰ろうと私は玄関の戸に手をかけて万事屋を出た。眼下を見下ろすと、和風の家の町並みと普通に人には見えないヤツらの姿。
流石かぶき町とでも言うべきか。かぶき町にうろつく連中は欲に塗れて成仏しきれない連中が多い。私はこの声が聞こえすぎて頭痛と吐き気を覚えた。
万事屋から一階へ続く階段を降りて、スナックお登勢の戸に手をかける。
「ごめんください、お登勢さんはいらっしゃいますか?」
「…あん?誰だいアンタ…まだ開店前なんだけど」
「あ…突然すみません…」
カウンターの向こうからお登勢さんが顔をのぞかせた。うおぉおお…、本物のお登勢さんだ…。漫画で見るより迫力があるってちょっとビビる。
風呂敷を抱え直して「失礼します」と言ってお店に入らせてもらう。
「あの、茂吉さんという方から荷物を預かっていまして…」
「!…茂吉だと…?」
「生前あなたにお渡ししたかった物らしく…」
「…!」
カウンターテーブル前の椅子をお借りして、風呂敷を解いて中に物を取り出し、それをフロアに出てきたお登勢さんに差し出した。
お登勢さんは受け取ったそれを大きく広げると、大きく大々的に「お登勢」と名前が書いてあった。私もそれを見たのが初めてだった。
「こいつは…!暖簾じゃないか…」
「…立派ですね」
「なんでアンタがこんなものを…!」
「えっと…、私掃除屋みたいなことやっていまして。茂吉さんのお宅を掃除して出てきたんです。この町じゃ、お登勢っていったらここしかありませんから」
うん、我ながら上手く躱せた気がする!もちろん掃除屋でもなんでもないし、お登勢さんのお店なんて知らないし、地図を頼りに来たらまさかのここだったわけで。それでも「茂吉のジジイが成仏できないって煩いんですよ」とも口が裂けても言えるわけもないし。
お登勢さんは暖簾を丁寧に折りたたむと、タバコに火を付けた。「そうかい」と一言、タバコの煙と一緒に吐き出した。
「茂吉さん…どんな方だったんですか?」
「…茂吉は…昔はここらじゃ立派な染色職人だったんだよ…。いつもここに通ってくれていてね…、先代から店を受け継ぐことになったときはそれはもう嬉しそうに飲みに来てくれてね…。ここの店の暖簾は俺が作るって喧しかったんだよ…」
「…」
「なのに急にぽっくり逝っちまってよ。あの約束…果たしてくれたんだね…。ありがとうね、アンタ」
「いえ…」
「どういつもこいつもアタシのこと置いておきやがる」
悲しそうだけれども、お登勢さんはフフと小さく笑った。
早く帰って茂吉さんに教えたくなった。
「それでは、私はこれで…」
「そういや、アンタ名前はなんて言うんだい?お礼の一つくらい、させてくおくれ」
「いえ!そんな大したことじゃ…「ぎゃぁぁああああ!!!」…!?」
突然店の戸がバンと開け放たれて、びっくりして体を強張らせて振り返ると先ほどお別れしたハズの銀さん。焦ってる表情も良い…じゃない。何考えてるんだよ。
銀さんは私の姿を捉えると、私に飛びついてきた。
「ちょ!アレ!なに!?」
「え…はい!?」
「お、おま!あれナニ!!?」
「え!?ナニって!?」
銀さんのテンパり具合が私にまで感染してしまった。なんの話!?っていうか近い!イケメン!かっこいい!
「銀時落ち着けェェエエ!!!」
「んぐ!?」
「っ!?」
お登勢さんがテンパる銀さんの頭を叩いたせいで、ガチンと私の唇に銀さんのそれがぶつかった。勢いあまって歯が……あれ?歯?
「んぎゃぁぁぁああああ!!!」
「んなぁぁああ!?」
「……何やってんだいアンタら…」
「何してくれだババア!!!」
「ま…またキ…キ…!!」
「オイィィィ!また鼻血ィィイイ!!」
先ほど詰めたティッシュの鼻血吸水率が100パーセントになってしまったらしい。ティッシュからパタリと一滴鼻血が落ちた。
私は物陰に隠れてお登勢さんにもらったティッシュで鼻血の処理。
さっきから結構な量出てるけど、鼻血で貧血なんてあるのかな…。背後では銀さんとお登勢さんが何やら揉めている。
「アンタは一体何をテンパってんだい」
「天パだけども時にもテンパりたくなるわ!外見てみろよ!!」
「…外ォ?」
ティッシュを詰め直して銀さんとお登勢さんのいる席に向かうと、お登勢さんは銀さんのセリフに釣られて外に出た。私もその後を追う。
外は相変わらず町を行き交う人間、天人、それから成仏ができない連中。最後の人種というや、ジャンルはたぶんお登勢さんが見ても分からないと思う。
2人して顔を見合わせて店内に戻ると銀さんはテーブルに突っ伏して何やブツブツ呟いている。
「あー、かぶき町終わったわ。もうこれアレでアレだわ」
「…なんだいまた酒でも飲んで頭イカれたかい」
「はぁ!?ババア目までヤキ回ったのかよ!見ろよコイツら…アレ?」
銀さんが戸を開けて外を見た。なんだその反応…。いや、いちいちかっこいいんですけどね。
外に飛び出す銀さんにまたお登勢さんが後を追うようにするので、私もついでにこのまま帰ろうと思って外に出た。
「はっ…なんで!?」
「…馬鹿に付き合いきれないね。お前さん、店入んな。一杯奢らせておくれよ」
「あ、すみません。用事があるもので…そろそろお暇させていただきますね」
「いや!マジなんだって!さっきそこにウジャウジャいて…!」
『うがぁぁああ…』
「…」
銀さんがパッと指を指した方を見れば、そこには成仏ができていない地縛霊の姿。おかしいな…これは私にしか見えないはずなのに…。
チラリと銀さんを見上げると、どうやら今は見えていないらしい。「このへん!!」と騒いでいる。それをお登勢さんが呆れたような、哀れな目で見ている。
「…銀時のことは放っておいて構わないよ。いつものことだからね」
「…はぁ。では、今度は飲みに遊びに行かせてもらいますね」
「あぁ…そうえばアンタの名前…」
本当はもうここへは来る気は無いのだけれど、とりあえずあいさつ程度に適当なセリフを告げれば、腕をガシリと掴まれた。横を見れば、焦った表情の銀さん。もうなんなのこのイケメン。
「…俺とキス、しろ」
思考がフリーズした。え?なんて言ったこの人…。
「「はぁぁあああ!?」」
お登勢さんと私の声がかぶき町に響いた。
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