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 人は、とんでもなく追い詰められた時、予想もしない力を発揮することがある。
 ある夜、城が白い光を放ち爆発した。
 俺の職場も、俺自身も吹き飛んだ。
 目を開くと、遠くに見える城が白く光っていた。
 この世界へトリップしてきた時もこんな衝撃は受けなかった。
 俺は、城の裏庭まで飛ばされたらしい。
 暗闇と城の爆発する光の中、必死になって辺りを見渡した。そして、見つけた。城はまだ謎の光を放っている。俺は焦りながら奇跡的に見つけたそれを担いで駆けだした。
 重いはずのそれは、俺にとってかけがえのない物だった。
 順応性は高い方だが、元の世界と食材の名称が一致するものがなかったことはショックだった。知っている食材の名称が全て異なるのだ。一番名称で似通っている物は、レタスという名のキャベツと、キャベツという名の白菜だった。混乱した。混乱して、取って来いと言った先輩に八つ当たりする程だ。
 そんな時、俺はイベリコ豚と出会った。
 形、味、名称全てが元の世界と合致した食材。少々サイズが大きい気もしたが問題ない。高級食材とは、どこの世界でも共通なのだと思ったし、普段なら絶対にしない神に感謝した。
 俺はとにかく駆けた。アドレナリンが大量放出されているのか、重いはずなのに、重さを感じない。ただ、真剣に担いだモノと一緒に逃げることだけを考えていた。
 俺は豚と生きる。
 元の世界との共通点は、俺にとってとても大切なものだったし、料理するなら絶対に自分がすると城の職場の先輩たちに威嚇するくらいだった。もはや、イベリコ豚に依存していた。
 俺は、駆ける足を休めぬまま進む。すると、風景が変わり森が深くなっていたことに気づいた。
 耳に爆発音が聞こえなくなり、ようやく深く息を吐き出した。足が止まり、ズシッと両肩、全身に重みが圧し掛かる。それでも、嫌悪はない。
 この重みに安堵すら感じる。そう思った時、違和感を覚えた。
 人は間違える。
 特に、火事などの切迫した状況下では、冷静を装って携帯を持って逃げたと思っても、パニックが顔を出し、よく見てみたらテレビのリモコンだったということがある。
 人の顔が自分の横に見える。
 よく見ると、それは全く違うモノだった。
「豚じゃないッ!」
 高級食材イベリコ豚でないと分かった瞬間、俺はそれを放り投げた。
 ドサッと音がして、人が倒れ込む。
 あり得ない。あり得ない。愛しのイベリコ豚ちゃんと、人間を間違えるなんて。
 確かに、焦っていたし、暗がりだったし、こんな風に倒れていたら豚の肉に見えなくもないが。
 混乱して色々考えていると、先ほど放り出した人が「うっ……」と呻いた。
 どうやら生きているらしい。
 近づいて、顔を覗き込むと、俺は見知った人物に驚いて、冷や汗を流した。
 王子じゃーん……
 ヤッベと、慌てて王子の服を払い、煤けた顔を拭ったりしてみる。服の袖で何度か頬を撫でていると、王子は瞼を震わせ、瞳を開けた。
 緑色の瞳に驚いていると、覚醒した王子は俺を認識すると手を取った。
「あなたは……ッ」
 瞳を潤ませ、王子は俺の手に額を擦りつけた。
「守れて、良かったっ……」
 見たことのない王子の態度に驚く。それと同時に、放り投げられたことに気づいてないとわかって、安堵した。
 王子はそんな俺の手を離さず、熱い眼差しを向けてくる。
「あなたは神です」
 変な汗が出た。
 これなら、放り出されたことを咎められた方がましだ。
 俺は神じゃない。人間だ。
「は? いや、違っ……」
 否定だ。否定をするんだ。
 そして、王子は落ち着け。急にどうした。記憶にある王子と違いすぎて、俺は混乱した。
 王子はうっとりと俺を見つめ、目を伏せる。
「あなたを愛しています」
 金髪翠緑の瞳の王子から、混乱したままの俺は、恭しく手の甲に口付けられた。
「は?」
 
 
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 みそ汁の煮立ち始めの、鼻をくすぐる香りが充満する。少し火を弱め、お玉の代わりの大きなスプーンで底からかき混ぜる。
 次の作業に移ろうと思うと、背後から人が現れた。
「おはようございます」
 程よい低さの声で、金髪、翠緑の瞳のイケメンが嬉しそうに挨拶して来る。このイケメンは、あの時の王子だ。
 俺、葛城夢人は、突然の愛の告白を受けた。が、あまりに突然の出来事に混乱を起こし、少しの沈黙の後、城に戻った方がいいんじゃねーのと提案した。告白をスルーする方法がこれしかなかったからだ。
 すると、王子はそれを強く否定した。そして、俺に国は壊したから、もうない。戻りたくないと訴えた。と、同時に俺の腕を掴んで、遠くへ逃げましょうと言いだした。
 状況がわからない。王子に何が起きて、王国ルチルで何が起こっているのか。
 俺は王子に説明を求めた。最初は渋ったが、なら俺は一緒に行けないと云うとしぶしぶ話始めた。
 曰く、王子は幼い頃から幽閉されていたらしい。常に呪いがかかった拘束具で拘束され、殺されそうになることが日常化していたと。しかも、その命令を実の両親が出していたという。俺は驚きが隠せなかった。でも、俺も確かにあの国に違和感があった。
 王子は自分に力が宿っていることを知っていた。それが、疎まれる原因だとも。
 王子はあの夜、何があったかは教えてくれなかった。ただ、自分の力で城を爆発させたと。それだけしか云わなかった。
 それから、俺たちは森を抜けた。
 王子は俺に縋った。城もなくなり、国も壊し、一人になった王子には俺しかいなかったからだろう。更には、自分を拾ったのはあなたなのだから、自分はもうあなたのものだと涙目で訴える始末だ。
 ちなみに、イケメンが瞳を潤ませて懇願して来るのも悪くないと思ってしまった俺がいた。
 森を抜けて、更にもう一つ森を抜けた。亡国ルチルの元王子という肩書のある奴が生きていける環境へ一刻も早く行かなければならず、俺はない頭をひねった。そして、誰でも受け入れる国の噂を思い出し、俺たちは東を目指した。
 まさか、山二つ、海一つ越えるとは思わなかったが。
「ハル、そろそろ……」
「夢さん」
 俺の声を遮って、王子は背後からすり寄り俺の首筋にキスをした。
 ちゅっと音がして、すぐに離れていく。
 これは、そういうあれじゃない。期待してくれるな。
 例え王子の瞳がうっとりとしていても、だ。王子のこの行動は、信仰上のお参りみたいなものだ。それ以上の深い意味はない。
 俺は、彼の行動に構わず、言いかけたことを指示する。もうすぐ、炊きあがるものがあるのだ。
 俺の指示を受けて、王子が隣で準備を始める。慣れた手つきだ。
 俺が呼んだハル≠ニいうのは、王子の愛称だ。ハルは、俺に新しい名前を強請った。俺はめちゃくちゃ困ったし、悩んだが、王子様のイメージが強いこいつに、ラインハルトと名付けた。ハルは、その日から王子の名を捨て、ただのラインハルトとなった。
 そんな俺たちが亡命した国は、ミルフィ共和国。白い壁と青色の屋根はギリシャのサントリーニ島を思わせる景観の美しい国だ。
 経済大国になりつつあるこの国は、元は王国で、それが共和国になったことで、食文化に力を入れ、政策を行った。その政策とは、食文化の発展に貢献する者は誰でも受け入れるというものだった。
 俺とハルは、この政策に飛びついた。幸い、俺は料理ができたし、知識もそれなりにあった。
 飲食業希望で入国申請を出すと、まず入国に際しての説明を受けた。
 誰でも受け入れるということは、それなりに厳しい条件を設定しているということだ。
 飲食業での入国希望者は、経営か、すでにある店舗の従業員として働くかの選択を迫られる。
 もちろん、リスクが低いのは、従業員として働くことだが、俺とハルはワケありなため、従業員は選択肢としてなかった。身分証明できるものはないし、身分証明書の発行は高額すぎた。
 だから、自然と経営を選択することになる。実は、この選択をする者は多い。皆、何かしら抱えているのだ。
 さて、入国後の経営を選んだ者は、レベル0≠ニいう区画に配属される。
 ミルフィ共和国は、街全体が商業施設になっている。
 国の中枢を担うビルを囲うように商業の建物が建っており、その間を渡り廊下が橋のようにかかっている。
 区画はレベル0からレベル5まである。
 俺たちのように新規入国者、レベル0は、建物の上の層だ。レベルが上がるごとに階を下がっていき、一番下の階がレベル5だ。人の行き来が多いのは、1階で、店も大きい。
 レベル0は、まず6畳程のスペースと3ヶ月という期間が与えられる。この3ヶ月という期間で、国が定める売上ラインを達成できなければ、即退去だ。これは、レベル0の入国者だけが与えられる条件で、他のレベルにこの制限はない。他の条件はあるようだが。
 また、与えられるスペースは場所代がかかる。無一文でも入国できるように3ヶ月後の監査の時に、売上から引かれることになっている。低く設定されているようだが、後々これが負担になってくる。
 俺たちは、この場所代を先に支払うことにした。ルチル国から出た時には、無一文だったが、ハルが付けていた拘束具を怪しい商人に売ったら、それなりの金になった。「脱げ」と言った俺も俺だが、喜んで脱いだハルもハルだ。
 ミルフィ共和国までの道のりで少し使った残りだったが、国から準備金が出るらしいので、この金はしばらく封印することにした。
 この国で生きるしかないことが決定している俺とハル。とりあえずの目標は国が定める3ヶ月後の売上ラインを越えることだった。
 目標ができれば、行動は起こしやすい。
 次に俺たちが待っていたのは、レベル0に与えられる6畳というスペース問題だ。
 この国に初めて入国した者は、6畳のレイアウトをAとBのタイプの選択を迫られる。
 Aは、客が店内で食べられるようにカウンターとテーブルが2つ程置ける配置になっており、調理スペースは狭く、居住部分はあるのかな? という構造だ。
 それに対し、Bは、居住部分が広めで、店内はカウンターのみで飲食スペースが狭く、調理スペースはやや狭め。
 店の外にも飲食スペースは設けられるが、テーブル一つに、椅子2脚までと国で定められている。
 レイアウトで、AとBが共通しているところは、飲食スペースがあることだ。
 どちらにするかの選択に、俺たちはどちらも選ばなかった。
 6畳というスペースを有効活用している店もあるだろうが、居住部分を込みだとどれかを削るしかない。そこで、俺たちは飲食スペースを無くした。
 一応選択としては、Bを選んだが、自分たちで配置を変えた。
 後に、担当者から何度も考え直せと心配されたが、秘策があった俺はその言葉に、大丈夫だからと笑って返しただけだった。
 あれから、半年。俺たちは無事に入国3ヶ月の売上ラインを余裕で突破した。
 その秘策が、これである。
 土鍋で炊いて、蒸らしたご飯。一粒一粒が輝いて立っている。こちらの世界では、コメリという野菜らしいが、名称と育ち方が違うだけで、愛してやまない米だ。
 確認のために一口。
「ん。いい出来だ」
 ハルが何かを期待した目で見て来たが、足で小突いて作業を再開させた。
 ハルが作っているのは、牛しぐれ。ざらめが溶けて、醤油の焦げた香りが充満する。牛肉の甘さに甘じょっぱい煮汁が絡んで、ご飯のおかわりをしたくなる濃い味に出来上がっている。もちろん、こっちの世界での牛肉はウッシという名称の動物の肉で、角が生えていて、時折二足歩行をするらしい。どんな生き物だ。
 俺直伝ハル特製牛しぐれの煮汁がなくなったのを見て、俺はご飯を手に取った。ハルが、牛しぐれを取りやすい位置に置いてくれる。そのハルも、大量に炊いたご飯に手を伸ばした。
 硬くなり過ぎないように、けれど、確実に形成していく。
 そう、俺の秘策とは、このおにぎりだ。
 入国者に与えられる物件には、ドアと窓がある。この窓は、人が行き交う通路に面している。だから、飲食スペースをあえて無くし、店内で食べてもらうのではなく、俺は窓から食事を提供することにした。それを可能とさせるのが、おにぎりだ。
 元々レベル0の客層は、国の中枢であるビルで働くビジネスマンが多くを占めている。安月給を嘆く者も多くいる。彼らの行動パターンから、朝そして昼が一番賑わう。
 俺は、残り少なくなったご飯を見ながら、今握ったおにぎりをハルの口に放り込んだ。
「美味い?」
 頷く前に、お返しにとハルが握ったおにぎりが口に押し込まれた。今日も美味い。
 トレイに最後に握ったおにぎりを並べて、次の作業に入る。朝の開店時間が迫っているのだ。
 ビジネスマンは、朝は出勤前。昼は、お昼休憩の時に食料を求めてビルから放逐される。
 前述したように、レベル0の物件構造から、飲食スペースがあるため、そこで食事をすることが一般的だ。しかし、店内は狭く、客は多く入れず、人気店は長蛇の列。かといって、人気のない店は飯がマズい。昼休憩は時間が決まっている。結局、食いっぱぐれてしまったということも少なくない。
 店を始めた当初は客に驚かれた。なんせ、客にとっては当たり前の店内での飲食ができないのだから。しかし、結果的に、お持ち帰りスタイルは受け入れられた。あまり待たずに食事が手に入るという利点は忙しいビジネスマンにウケたのだ。
 窓のロールスクリーン越しに、客が並び始めたのを感じる。作業を早めて、窓際の作業台兼カウンターに品を並べる。
「おっし、ハル。そろそろ開けるか」
「はい、夢さん」
 ロールスクリーンが上がる。眩しい光が差し込む。窓の鍵に手をやると、この国に亡命してから表情が増えたハルが嬉しそうに呟く。
「この瞬間、一番好きです」
 その言葉に、俺もと応えて解錠して窓を開けた。
 既に客が並び始めている。
 俺とハルは揃えて声を張り上げる。
「いらっしゃいませ!」
 ハルと目を合わせて、客を見る。
「ワケアリ♀J店します!」
 
 

 おにぎり


 ハルベリー・カールソンは、ミルフィ共和国の役人だ。レベル0区画の店の担当で、主な仕事は、不慣れな経営初心者の入国者の指導、相談。通称3ヶ月の壁と云われる監査後、退去となった者へのフォロー。レベルが上がった店や新たな入国者への物件の手配等だ。飲食店舗の担当業務、それもレベル0の担当は移り変わりが激しいため、多忙だ。業務内容から、新人ではなくハルベリーのような中堅が就くことが多い。
 激務の合間、監査対策と称して1日の食事をレベル0の店で食べている。担当する店へアドバイスするためだ。これは、他の同僚も同じだ。
 無表情で冷たい印象を持つハルベリーは、銀のフレームの眼鏡を持ち上げて、空腹で鳴く腹に手をやる。忙しくてもハルベリーの腹は定刻で空腹を訴えるのだ。
 昼食を取らなければ。しかし、どこで取るか。店の候補を浮かべる内に、脳裏に煩わしい同僚の顔が浮かんだ。
 お調子者の同僚は、ハルベリーと同じくレベル0担当だ。同僚はハルベリーと正反対の性格で、運と持ち前の性格からひょいひょいと良い成績を上げている。真面目にコツコツ成績を上げているハルベリーは、この同僚が気に食わない。が、しかし、仲は悪くないのだ。
 その同僚が、オススメだから! と、珍しく推してくる店があった。
 同僚の担当区域へと足を進める。
 店の名前を覚えるのは職業柄得意だ。その店に関する情報が耳に入ってくることも。
 ハルベリーは、コツリと革靴の音をさせ、歩みを止めた。
 眼鏡を押し上げ、例の店を見遣る。
 ここが、ワケアリ
 店内飲食が常識だった飲食業界に、敢えて飲食スペースを設けないという斬新なスタイルで参入してきた店。
 ハルベリーはちらりと時計を見る。昼休憩の時間が開始されてから40分。客足は落ち着いたのか、それでもハルベリーが並んだ時には、前に5人程いた。
 この店、ワケアリ≠ヘ、飲食スタイルが斬新なだけではない。
 ハルベリーは、列から顔をはみ出して、店の観察を始めた。
 店は、本来入店するドアは固く絞められている。その代り、通路に面する窓は開かれ、料理だけを売っている。
 店員がやたらキラキラとしたイケメンだが、視界に入れずメニューを見遣る。
 窓の横の壁に貼られたメニュー。その内容に、ハルベリーは注目した。
 この店が客にウケている理由は、これだ。一番上に書かれたメニュー。この店だけしかない、ミステリアスな料理――おにぎり、だ。
 海藻だという黒くて薄い食べ物に包まれた、炊いたコメリ。綺麗な三角に握られたコメリの中には、具というおかずが入っているらしい。
 もう常連となった客は、ほくほくとした顔で買っている。と、メニューを再度見ようとすると、おにぎりを買った客が店から少し離れた所で立ち止っているのが見えた。何をしているのだろうと首を傾げると、その客は徐におにぎりを取り出し、かぶりついた。その様子を見て、ハルベリーはワケアリ≠フおにぎりの噂を思い出した。これは同僚も云っていたことだが、おにぎりは、買ってから5歩以内に食べろいうものだ。
 ハルベリーは、眼鏡を押し上げる。
 買う前に思い出して良かった。自分の前にいた客たちは目当ての品を買って、満足げに去っていく。
「次のお客様、どうぞ」
 明るい口調で促され、俺は目の前に並んだメニューを見た。
 おにぎりという名称もミステリアスだが、具というおかずのラインナップも摩訶不思議だ。中身の説明も詳しく書いてあるが、いつの間にか後ろに行列ができていて、長々と読んでいる時間はなさそうだ。
「……ツナマヨと、ぎゅうしぐれ。一つずつ頼む」
 ハルベリーが注文すると、金額は200ベリーだと告げてくる。
 安い!
 財布を開き、値段に驚きながら、店員の様子を盗み見ると、横にいた黒髪の方のイケメンが並べられていた三角の白い塊を手に取った。そして、例の海藻だという黒い食材で包む。注文を受けてから包むというのは、パフォーマンスというヤツなのかもしれない。ハルベリーがそう推察すれば、あっという間に梱包用の葉に包まれ、おにぎり二つが用意された。
 金を払い、その二つが入った袋を受け取る。
 未知の料理に、好奇心が勝っていく。噂や同僚からの言葉の真相が知りたくて、店から一歩、二歩と離れ、三歩目で自然と立ち止った。袋からおにぎりを取り出し、するりと梱包していた葉を取り去る。黒いと思っていた海藻は、光の下では緑がかって見えた。いざ、ハルベリーはざらついた海藻に包まれたおにぎりにかぶりつく。
 バリッ!
 ハルベリーの眼鏡の奥の瞳が大きく開かれる。
 パリパリとした海苔の触感に、驚き、咀嚼が止まる。しかし、自然と噛む動作は再開され、口の中でまたパリッと気持ちのよい音がした。
 なんだこれは!?
 口の中に海の風味と香ばしさを感じる。白いコメリは、不思議と噛めば噛むほど甘くなる。少しだけ塩が効いているのもいい。
 ミステリアスだが、シンプル。地味な味だが、飽きが来ない。しかし、どこか物足りなさを感じながら、ハルベリーは更におにぎりを食べた。
 そして、第二弾の衝撃を受ける。
 地味な味に、斬新な濃い味が加わった。
 美味い!
 このおにぎりの具は、肉だ!
 甘じょっぱく煮込まれた薄い肉が、地味な味のコメリによく合う。ささやかな甘みに、濃い味が混ざって得も言われぬ美味さになる。
 気づけば、店先でがっついてしまっているが、食べるのを止められない。
 パリッとした外側が、また、いい!
 無垢なコメリの味と、旨みある濃い味の肉。そして、アクセントに海を思わせつつ、圧倒的な食感の海藻。
 メニューに表示されていた具は、確かにおかずだった。主食にメインのおかずが包まれていた。
 絶妙な食材と味の組合せに浸り、最後の一口を飲み込んでしまうと、満足感と喪失感が生まれる。
「もうないのか……」
 手元のおにぎりを食べ終え、ハルベリーはぽつりと心情を呟く。が、そこでようやく自分の状況を思い出した。眼鏡を押し上げて足早に店から立ち去る。
 カツカツと革靴の音を鳴らしながら、「もう一つ買ったではないかっ! 恥ずかしい」と、小さく声を上げながら公共のベンチを目指した。
 無事ベンチに座ることができたハルベリーは、もう一つ買ったツナマヨという具のおにぎりを手に取った。
 先ほどとは異なり、いささか外側の海藻が勢いを失っている。否、しっとりとしている。
 先ほどのパリッとした食感は味わえなさそうだと思いつつ、おにぎりを頬張った。
「!」
 ハルベリーの瞳が再び大きく開かれる。
 海の風味が強くなっている!
 先ほど食べたパリパリとした海藻とは違い、しっとりとしている。更に、コメリとの一体感が生まれ、先ほど食べたおにぎりとはまた違った、落ち着いた味になっている。
「なんてことだ」
 ここに来て、ハルベリーは店員の意図がわかった。注文してから黒くて薄い海藻を巻いていたのは、パリパリとしっとりの二種類の食感を楽しめるようにだったのだ。予め海藻を巻いていたら、パリパリを食べることはできなかった。
 パフォーマンスではなかった。なかったのだ。
 食感も楽しんでもらう。
 そんな心意気を感じて、ハルベリーはあのイケメン店員たちに感謝をしたくなった。
 心を熱くしながら、二口目を食べる。
 ハルベリーは、口に広がる味に衝撃を受け、硬直する。
 ツナマヨは、神の食べ物だった。

 ワケアリ≠ナは、ビジネスマンの昼休憩が終了したと同時に、完売したため、閉店とした。
 今日も完売することができた。ロールカーテンを下ろすと、夢人とハルは笑い合う。
「やったな!」
「はいっ」
 勝利のハイタッチ。夢人はこっちの瞬間も好きだったりする。きっとハルも嫌いじゃないだろう。
 さて、一頻り喜んだら、売り上げを数え、記帳し、買い出しの準備を始める。
 夜は開店せず、ゆっくり休む。休む時はしっかり休むが夢人の方針だ。だから、閉店後は、買い出しと明日の仕込みが待っている。
「夢さん、行きますよ」
 ドアの鍵を閉め、いざ買い出しへと歩き出した夢人の手をハルがするりと指を絡めて手を繋いできた。
「いや、ハル、これは……」
「早く行かないと、買い逃しますよ」
 繋がれた手を引っ張られて、うまい具合にはぐらかされた。
 こいつの尊敬とか、崇拝とかの方法はこれでいいのだろうか。いや、違うだろ。

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