2



 
 
 俺とハルの店、ワケアリは、レベル1の認定を受けた。実は、3ヶ月の壁の後、最短で認定を受けていたのだが、すぐに移転しなかったこともあり、周知されていなかった。俺たちもレベル0区画での認定後の滞在期間が1年もあるのなら、次の区画を研究してから行こうと決めていたのだ。
 しかし、結局のところ半年でレベル1区画へと移転することになった。
 それは、主にこれが原因だ。
 俺の隣に、王子様フェイスの元王子様がいる。
 ここは、二段ベッドの上段。どんなに寝ぼけていても、階段を上がって入ってくることはない、上段部分だ。
 レベルが上がったことにより、6畳から8畳へとランクアップした。とはいえ、まだまだ幅が狭いベッドに、男が二人はキツい。
 原因とは、ハルが何を考えてか、俺の寝るベッドへ潜り込んでくることだ。
 しかも、俺を抱き込んで寝入ってしまうことが多い。
 今回に限っては、夢人の服の下に手が入ってしまっている。
 自分より少し大きな手が、肌に直接触れている。
 人肌が恋しいのか、何なのかわからないが、この状態は狭いし、変な気持ちになりそうで何か嫌だ。
 寝ているハルの腕の中でもがく。が、服の下から抱えられているから、腕が外れることもなく。
 夢人は、深呼吸をしてから、勢いをつけて、後頭部でハルの胸部を攻撃した。
 油断した情けない声が後ろでして、夢人は解放された。

 朝の身支度を終えると、昼の準備に取りかかる。
 鍋を用意しながら、俺は毎朝の攻防の件でハルに注意した。
「なぁ、最近朝のあれどうにかなんねぇの?」
「すみません、でも、僕も本当に無意識で……でも、夢さんを感じないと安心できないんです」
 しょんぼりとするハルに、なんだかこちらが悪い気がしてくる。何故だ。イケメンだからか。
「あーわかった。わかったから。もう、いいよ。気をつけてくれれば。俺はどこにも行かねぇし、行けねぇんだから。そこんとこ覚えとけよ」
 だから、ベッドに入ってくんなと云えば、許してもらったのが嬉しいのか、きゅっと手を握られた。鍋が焦げる。手を放せ。
「夢さん、崇拝してます」
「止めろ」
「あ、じゃあ、愛してます」
「止めろ、本当止めろ。鍋が焦げる」
 手を放してもらい、鍋を底からかき回す。ハルはまだスキンシップが足りないのか、いつかのとろけた顔で、背後からするりと夢人の腰に手を回した。いい加減、作業に戻れと注意しようとするとゴンゴンと扉を叩かれ、返事を待たず開かれた。
「おーう、邪魔する……邪魔したか?」
 男二人が抱きついているところを見たら、誰だって誤解するだろう。
 俺は、ハルを押しやって新しい登場人物の元へ向かう。
「ジャックさん、いや、何でもないッス! 今日はどうしたんですか?」
 ジャックさんは、レベル2区画に店を出すパン屋さんだ。店の名は元囚人のパァン屋さんだ。この世界でパンはパァンといい、ジャックは強面に関わらず、繊細で安定したパンを作ってくれている。
「ちょっとこっちに用があって、寄ったんだ。おら、受け取れ」
 出来たてでまだあたたかい食パンを受け取る。実は、ワケアリではおにぎりの他に、サンドウィッチも出していた。そのパンをジャックさんの店から仕入れていたのだ。
「それより、お前のところは盛況だな。まだ準備期間中だろ?」
「はい」
「それでも客が途絶えねぇってのは、すげぇことだぜ」
 大事にしろよと言われる。俺とハルは素直に頷いた。ジャックさんは悪い顔をしてニッと笑うと、俺とハルの頭を撫でた。
「にしても、お前さんらのさんどうぃっちにはまだ驚きが隠せねぇぜ」
 ありゃあ、最強だと、関心したように云う。
 ワケアリでサンドウィッチを出そうと決めたのは、おにぎりを考えついたのとほぼ同時期だった。しかし、パンを作る時間を取られるのは本末転倒。そこで、担当に相談したところ、レベル2のジャックさんがやっているパン屋を教えてもらい、交渉したのだ。この世界でも、パンそのままを仕入れるという考えはあったが、ジャックさんの店は仕入れでの売り上げで成り立っていたようで、割高だった。それを、サンドウィッチの存在を交渉材料に単価を下げさせてもらったのだ。そのため、この国でサンドウィッチを扱う店はウチとジャックさんの店の二つとなった。
 ジャックさんの店でのサンドウィッチの存在は大きいらしく、閑散としていた店内飲食スペースに客が入るようになったと喜んでいる。
「サンドウィッチって、何を挟んでも美味しいですよね。この前夢さんが作ってくれたサンドウィッチも甘くて美味しかったです」
 ハルが云っているのは、フルーツサンドのことだ。客に飽きられないようにと、試作として色々作っているのだ。
 ハルの話を聞いて、ジャックが新たなサンドウィッチの気配を感じたらしい。
「甘い……?」
 ジャックの目つきが凶悪な囚人のそれになる。
「夢人、ちょぉっと詳しく聞かせてもらおうか」
 拷問でも受けるのかなと思わせるような顔に、夢人は顔を引きつらせた。
 ジャックはフルーツサンドのレシピを聞き、果てには生クリームの度合いまでレッスンをさせた。
 ほくほく顔のジャックに、夢人はげんなりだ。
「これはいい! 俺も色々試作していたが、甘い物を挟むとは考えつきもしなかった!」
 ガッハッハ! と、フルーツサンド片手に大きく笑う。店が揺れそうだ。
「うむ、だが中身を甘くするとなると、パァンのコナの配合を少し変える必要があるな」
「粉の配合ですか」
 研究熱心だなと思っていると、ふと夢人の脳裏にうっすらとした存在が浮かび上がる。
 ジャックは礼もそこそこに、フルーツサンドに合うパァンを作らねばとワケアリの店を出て行った。
 残された夢人は、浮かんだ物の正体の思考にふける。
「夢さん、昼の準備終わりました」
 綺麗に並んだおにぎりを見せながら、褒めて褒めてと近寄ってくるハルに、夢人はこれだという料理を思い出し、ハルの頭をぐちゃぐちゃに撫でた。
「ハル、昼の店終わったら、買い出しに付き合ってくれ」
 いつも一緒に行っているが、今の夢人の気分はいつもと違うのだ。
「新しい料理、思いついたんですね?」
 目を輝かせるハルに、夢人はニッと笑った。

 白い粉が大量に店に運び込まれ、作業台には大きめのガラスの器が置かれた。こね鉢がないため、やたらお洒落だが、これしかないので仕方ない。
 夢人が考えついたのは、うどんだ。ジャックのパンの配合というのがキーワードとなり、思い出した料理だ。
 一応担当に仕入れができないか尋ねたが、うどんを作っている店がなかったため、自分たちで作ることにした。
 この世界で粉はコナという。中力粉にあたる、中のコナを仕入れた。
 ほんのり温かい塩水を作り馴染ませ、粉に混ぜる。そぼろ状になったら、しっかり捏ねる。折りたたみ、押し込みを繰り返し、ビニールに入れて踏む。その後、寝かしに入るところで、夢人は悩んだ。
「どうしたんですか?」
「これから寝かす作業が出てくるんだ」
 寝かす回数は2〜3回。時間も最長で2時間。他の料理もある。調理時間と営業時間を合わせれば数もできない。
 かといって、思いついてしまったし、これだ! とも、思ってしまっているのだ。どうしようかと呻っていると、ハルが「寝かせればいいんですよね?」と、手を上げた。
 すると、捏ねて丸めたものが浮かび上がり、小さな水色の光が輪になって囲んだ。
「俺の力なら、時間を省略できますよ」
 ハルの不思議な力に、俺は驚いた。
「え、マジで?」
「俺、小さい頃からいつも暗殺されそうになってたんで、寝るのはいつも時短してたんです」
 これでいいですよね? と、ふわりと下ろされた生地に触れてみると、しっとりと柔らかくなっている。
 驚くと同時に、ハルの身体に負担がないか尋ねると、負担は全くないという。
「お前、天才か」
「愛してます?」
「愛してる、愛してる」
 喜びのあまり軽くそう答え、喜ぶハルをそのままに夢人は次の作業に入った。ハルの時短の魔法が使えるとわかれば、より本格的な方で作る。
 その後2回ほどハルの時短を使い、出来上がったうどんを早速ゆでた。
 つゆも作り、かけうどんにする。
 初めて食べるうどんに、ハルはにっこり笑った。
 うどんを出すことが決まり、移転後の準備期間は忙しいものとなった。
 まず、おにぎりと違って、器で提供するので、外にカウンターを設けることにした。ただし、回転をよくするために椅子はなく、立って食べるようにしたのだ。立ち食いのスタイルである。器の返却口は、窓のもう片方を開け放って、棚を設けた。プレートも下げた。
 沸騰したお湯に手打ちのうどんを茹でていく。
 ハルは教えた材料を甘く煮ている。
 もうすぐ準備期間開けの本格始動だ。
 茹で上がったうどんを冷水で締めて、一人前ずつ並べていく。
 開店時間が迫ると、窓の外がざわつき始める。
「行けるか?」
「はい」
 ハルがロールカーテンを上げ、窓を二つ開いた。
「いらっしゃいませ!」
 ハルとニッと笑い合う。
「ワケアリ開店します!」
 


うどん


 めっちゃ疲れた。
 3ヶ月ごとにやってくる監査と物件移動と撤去は、役人にとって繁忙期である。レベル0では新規の入国者を受け入れ、売り上げラインを超えられなかった者は、店の撤去と他店の従業員への転職。それらの斡旋。レベルアップした店のレイアウト変更の手配。少し前に事務の女の子が辞めちゃって、書類処理も加わってめちゃくちゃ忙しい。
 同僚のハルベリーにまで大丈夫かと心配されるくらいだ。ちょっといつもの元気が出ない。
 本当に早く求人募集出して欲しい。事務処理だけでもやって欲しい。
 疲労した精神と身体でも、腹は減る。時計を見れば、昼休憩の混み合う時間帯の前だ。それがわかれば、デイジー・シューリスは、己の担当する店へと高速で移動した。
 デイジーが担当するワケアリは、最近レベルが上がった店だ。しかも、新商品が客にウケているらしい。昼には長蛇の列ができる。客の回転はいいが、すぐに食べられるならそれに越したことはない。
 同僚のハルベリーは既に食べたとのことだ。さりげなく自慢された。珍しく腹が立った。
 デイジーは、フライングでワケアリに並ぶことができた。後ろの方で、昼休憩開始の鐘が聞こえる。自分の前には、十人ほどの客がいた。
 客は各々好きに注文をしているが、既に新作を頼んでいる者もいる。
 一日限定100食と謳うそれは、数をあまり作れないとのこともあり、すぐに売り切れてしまう。
 それがわかってか、前の客も新作を注文した。おにぎりやサンドウィッチと違い、すぐに受け取ることができないため、横へずれて出来上がるのを待つのだ。その空いたスペースで次の客が注文をする。
「次の方、ご注文をどうぞ」
 デイジーの番だ。
「あ、担当さん。こんにちは」
 金髪翠眼の王子様系イケメン君が、挨拶してくる。
「ちわっス。盛況ですねー、俺も担当で嬉しい限りです」
 デイジーは実はこの人が苦手だったりする。柔らかい表情をしているようで、瞳は全然笑っていないくて冷たいのだ。夢人君と一緒にいる時は、瞳が蕩けているんだけどね。
「ご注文はどうしますか?」
「うどんを一つ」
「畏まりました。400円です。……はい、丁度お預かりします。ご用意できるまで、横にズレてお待ち下さい」
 金を払って、イケメンのハル君の指示に従い、デイジーも横にずれ、外に設置されたカウンターで待つ。隣の客を見れば、窓から既にうどんが提供されていた。
 デイジーは、店の中を監察する。
 中では、もう一人の店員である夢人が、注文されたうどんの麺を茹でている。更に、受付で注文が入ると、すぐに新しい麺を茹で始めた。デイジーの分のうどんは、もう茹であがったのか、十分に湯切りすると、陶器のどんぶりに入れられ、琥珀色のスープがかけられた。この世界のスープの色は白が普通だ。こんなに透明なスープは見たことない。更に、その上に四角いアゲが乗った。
「はい、うどん一つ、お待たせしましたー! って、デイジーさん!」
 こんにちはと、挨拶される。その一つだけで、何だかこう、男前なオーラを感じるのは、気のせいだろうか。
「こんにちはー。うどん、食べに来ました」
「ありがとうございます。嬉しいです。あ、こちらの薬味を好きなだけトッピングして、熱いうちに召し上がって下さい」
 そう云われ、カウンターに置かれた二つの容器を見る。小口切りされた緑色のネギーと、すり下ろされたジンジャーだ。
 え、好きなだけ?
 隣を見れば、常連客なのか、山のようにネギーを乗せている。さながら、ネギーマウンテンだ。
 隣の客に見習って、ネギーは彩りに、その代りジンジャーは少しだけ多めに入れさせてもらう。それでも、控えめだ。
 さて、薬味を乗せたうどんを、熱いうちに頂くとする。
 デイジーは、カウンターに置かれた箸を取り、心の内で頂きますと呟いてから、器を持った。
 まずは、スープからだ。
 琥珀色の綺麗なスープからは、鼻をくすぐるいい香りがする。ごくりと一口飲んでみれば、雑味がなく、芳醇なダシの旨みが存分に舌を楽しませる。魚で取ったダシだろうか。まろやかな酸味のあるダシと、上品な塩味が合わさって、絶妙な美味さだ。
 こう、なんというか。
「……沁みる」
 疲れ切った身体に、熱いくらいのスープ。そして、その味は、上品でどこかやさしい。
 ああ、いいなぁ。
 スープの熱と味が、心に沁みわたって、ほっこりする。もう一度スープを飲もうとすると、麺の存在が目に入り、忘れてはいけないと、箸で掴む。
 上品なダシのスープに絡んだ、白くて太い麺。口に啜り入れて、デイジーは驚いた。
 つるつるしている!
 麺の表面がつるつるとしており、啜り上げるとその滑らかさがたまらない。そして、噛んでみればプチッと音がしそうなくらいの弾力。これはコシだ! 
 旨みあるスープと、コシのある麺を楽しんでいると、ふとハルベリーに云われたことを思い出した。
 アゲは初めの方に食べろ。
 食のことに関する忠告は、素直に受け入れる方だ。これは、ハルベリーもそうだ。
 デイジーは、うどんの上に鎮座するアゲを箸で摘んで食べた。瞬間、口の中に拡がる甘みに、思わず目が輝く。
 甘〜い!
 スープとは異なる風味の、甘い味付け。この甘さがうどんの無垢さと合う。うどんを啜って、スープを飲んで、うどんを啜って、アゲをまたぱくり。厚めなアゲがまた嬉しい。
「うまいっ」
 ダシの効いた上品なスープに、甘い味付けのアゲ。二つの味が楽しめるなんて、なんて贅沢なんだろう。
 喉越しがいいうどんも最高だ。
 ずるずるとうどんを啜っていると、徐々にアゲの味に変化が訪れる。甘い味がスープに漏れ出てしまう。
 ハルベリーの云いたかったことはこれか! と、デイジーはアゲを優先して食べようと格闘する。が、スープの味が染み込んだアゲもなかなか良い。ダシの風味が生きている。それに、逆にスープにも変化が起きる。ダシと塩味に、甘みが追加されたのだ。
 味の変化はそれだけではない。端の方に入れたジンジャーがうどんを食べる毎に山が崩れて、スープに溶けだす。少しスパイシーな味になり、デイジーはこのうどんの虜となった。
 気づいた時には、どんぶりは空になっていた。胸はじんわり温かく、腹は満たされた。
「はぁ……」
 完食した溜息が漏れる。
「ごちそうさまでした」
 腹ばかりではなく、心も満たされたようだった。疲れ切った身体に、うどんは最高の料理だ。
 デイジーは返却口と示された窓の内側の棚に食べ終わった空のどんぶりを置く。
 夢人に話しかけようとしたが、忙しそうにしている背中を見て止めた。
 優しい味だけど、美味い料理。夢人の姿を見ながら、ぼんやり思う。
 なんかいいんだよなぁ。ワケアリって。
 気分も上がり、さて、次の仕事場へ向かおうと歩き出した時、見知った顔と会った。
「あ」
「あ」
 ハルベリーだ。相変わらずシルバーフレームのインテリ眼鏡だ。向こうも、相変わらずチャラついているなと思っているに違いない。
「ワケアリでお昼?」
「ああ。やっとひと段落したのでな」
「俺の担当の店人気だから、早く並んだ方がいいよー。今日のおにぎりの具は、焼き肉だってー」
「新種か!」
 ハルベリーはワケアリでおにぎりを食べたときから、店のファンだ。
 美味い飯の話は始まると止まらない。気づけば、並んでいた客の顔ぶれが変わっていた。あれと、思うと店の方から「本日のうどん、完売しましたー!」とアナウンスがある。
 ワケアリの残念なお知らせが耳に届くと、ハルベリーが怒り始める。
「貴様と話していたせいで、売り切れたではないかッ!」
 この始末をどうしてくれる! と、迫られる。「そんなの、さっさと並ばない奴が悪いんじゃん」と、返すと火に油を注いでしまったようだ。ギャーギャーと言い合いしていると、「あの」と、背後から声をかけられる。
「あっ、夢人くん!」
「さっきはどうも。美味しかったですか?」
「うん! すごく美味しかった!」
「それは良かったです」
 夢人君は、ニッと笑うとある物を差し出した。
「実はこれ、試作品なんですけど。お二人でどうぞ」
 差し出されたのは、いなりというおにぎりの仲間らしい。
「もう店の前で騒がないで下さいね。それじゃ」
 ワケアリの夢人の行動にデイジーとハルベリーは胸をときめかせた。
「俺は心臓がおかしい」
「俺も胸が痛い」
 二人はそれ以上何も言わず、とりあえず貰ったいなりを食べた。
 いなりも神の食べ物だった。

 店に戻った夢人は、店を閉めるハルを見て「あ?」と口から零れた。
 ハルの表情がなんだか不機嫌なのだ。
 この表情、ルチル国にいた時によく見た気がするが、若干違う。
「ハル、どうした?」
 店のことで何かあったのかと心配になり、問いかければ、ハルが口元をむっと歪ませて睨んでくる。
「ハル?」
 本当にどうしたんだと詳しく聞く態勢になると、ハルが苛立ちながら口を開いた。
「……あの担当の男と何話してたんですか」
 は?
 予想外のことに、間抜けな顔をしてしまう。
「あの担当に笑って、楽しそうにしてた」
 ハルの眉間に皺が寄る。
「楽しそうって……俺らの店の担当だし、ちょっと店の前で騒いでうるさかったけど、よくしておいた方がいいだろ?」
 試作品のいなりの感想も知りたいし。
 しかし、ハルの怒りはまだ収まらない。
「俺以外に笑いかけるのダメです」
 ハルの一人称が僕から俺に変化して、少しヤバいなって思った。でも、だからといって、ハルの要望を通すわけにはいかない。
「ハル、そういうわけにもいかないことは、わかってるだろ?」
 諭すように云う。何を怒っているのかさっぱりわからない。
「夢さんは、俺だけの神様なのに……」
 ボソボソと聞こえるハルの言葉に、何を言っているんだと心の中で突っ込む。
 どうやって宥めようかと思っていると、ハルの顔が急に迫った。
「ハ、ん……んぅ!?」
 驚いて名前を呼ぼうとしたら、ハルが俺にキスしていた。しかも、間をあけず舌が入ってくる。
 ちょ、お前それはアウトだろ!
 混乱しながら、どうにか舌から逃げようとするが、執拗なキスに息が上がるのが先だった。
 苦しくなってもがくと、やっと解放される。
「お前っ、なんつーことを……って、何だその顔は!」
 心底びっくりしたような、放心したような顔をしている。なんでお前がそんな顔しちゃってんの?
 ぐっと手で口元を拭うと、ハルが何かに目覚めたように喋り出した。
「……俺、夢さんに人が近づくと嫌だなって思うこと多くて、その度に夢さんに触れれば治ってたんですけど、今日は担当嫌だな、早く死なないかなって思ってて。嫌な気持ちがいっぱいで止まらなかったんです。でも、夢さんにキスしたら治まった」
「そうかよ、だけどな、普通男同士ではキスなんて、ちょ、おい」
「夢さんにキスしたら、治まった」
 恍惚としながらも、目がマジなハルに迫られ、俺は本気で抵抗した。何か、本当にこれ以上は何か変な気になりそうだったから。でも、ハルは俺より一回りデカい身体してて。壁際に追いやられて、両腕を壁に縫い止められた。
「ハルッ……んぅ、っ……」
 唇を貪られた。角度を変えて、何度も。俺は抵抗しようにも、両腕をしっかりハルの腕に掴まれてて、どうしようもなかった。
 息すら奪われるかのようなキスに、俺は立っていられなくなった。
 ハルが満足したときには、俺は顔が真っ赤で、ずるずると床にしゃがみ込んでしまった。
「スッキリした。さ、夢さん、買い出しに行きましょう」
 ハルが何事もなかったかのように、普段通り振る舞う。何を言っているのかわけがわからなかった。
 え、俺たちキスしたよね? しかも、ディープなやつ。
「……は?」 
 ぐっと手を引かれる。
「手を繋ぎましょうね。行きますよ」
 そう云うハルに、頭も身体もついていかない。ぐにゃんとして力が入らない身体に、ハルは首を傾げるばかり。
 俺は、ハルの切り替えの早さと、ごちゃごちゃとした感情の嵐に、泣いた。
 その日の買い出しは市場が閉まるギリギリになった。短時間でなんとか気持ちを立て直した俺を褒めて欲しい。
 ハルの尊敬とか崇拝はどうなっているのか、問いただしたいと本気で思った。



 ――亡国ルチル国境。
 茂っていた森は消え、草すら生えていない、荒れた土地。城は崩壊しており、民もいない。否、統べる者がいなくなった地の民は、侵略されるのみだ。
 悲しい風が吹く。平穏ではなかった国でも、他者に支配されることほど辛いものはない。



- 3 -

*前次#


ページ:



ALICE+