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理想や思想を多く抱いた。得られるものは少なく。反対に失うものは多くあった。それでも、幸福だった。
 息すら止まっても、運命が残酷で染まっても、目の前の瞳があれば、悔いはなかった。
 己の人生に、悔いはない。
 目に映る瞳の感情が幾度変わっても、焦がれた。
 運命は残酷な方へ変わる。
 それでも、共に居られるなら、同じ道を辿るだろう。
 これは、過去の記述である。
 魔術師に恋をした。


 星が見えるはずの夜に、爆発音が鳴り響く。遠くで、炎が街を包み、迫ってくるのが見える。目に見える景色は地獄だ。
 熱風が吹き荒れる。丸く縮こまってそれを凌ぐ身体は所々傷つき、小さい。
 成人してなくとも、早々に自立して獣人の一員として、この国の戦争に参加している。そうでなければ、生きて行けないからだ。
 戦いの疲れで、虚ろになった瞳で前方を見据える。
 戦況は悪い。目の前の敵を捕らえながら、この国は一体何と戦っているのかと問いかける。そして、わからなくなると困惑を答えにする。
 獣人特有の爪を出して、ぶわりと尾を逆立て膨らませる。考えることは止めた。囚われたかのように、敵を見つめる。狩りに似た興奮を、息を吐いて落ち着かせる。瞳は、敵を見つめたまま。
 昂ぶりを抑え、敵を殲滅することだけを考え、駆けだした。
 鋭い爪で、敵を倒す。噴き上がる血の向こうに、新しい敵の存在を認めて、すぐに身体を反転させて、飛び上がった。
 目の前に現れた獣人に、敵は驚いて、咄嗟の防御も間に合わず、爪に引っ掻かれて致命傷を負った。
 虫の息となった敵をそのまま捨て置き、狩りの興奮と戦争への疲労と嫌悪の溜息を吐く。自慢の白金の毛並みの乱れも気にせず、敵の殲滅だけを考える。
 仔狼の獣人――ジーノは、視界の端に同じ種族の仲間を捉えた。ジーノは、獣人で構成された陣を先陣を切って前へと誘導する。成獣の獣人は、強い腕力で敵をなぎ倒している。ジーノも負けていなかった。鋭い爪で敵の喉を掻き切れば、また一人敵を倒した。
 随分と手が赤く染まり、爪がジンジンとし、感覚を失い始めた。
 それでも、まだ終わりはない。
 終わりのない戦いに、息苦しくなる。でも、一瞬の現実逃避すらも許されない。
 瞬きをせずに、前に集中すると視界に光源が映った。
 嫌な汗が吹き出た。無意識に、ぶわりと尻尾が起った。
 あの大きさの光は、砲弾だ。半端な距離にいる仲間の姿が見える。このままだと、全滅する。
 光が大きくなっていく。大きく見開いたまま、目がその光から離せない。
 絶望を感じる間もなく、光源は大きくなっていく。呼吸することすら、忘れる。
 息が、止まった。
 瞳に映る光の範囲が大きくなっていく。目を瞑ることすらできず、ただ、身体が動かなかった。
 その時、異なる方角から、強い光が放たれた。それにより、恐怖の光源は弾けるような音と共に、小さい光となって、散った。
 驚いて、光が放たれた方角を振り返ると、一人の男が頭上から降りてきた。
 黒いマントをふわりと膨らませ、穏やかに着地する。
「魔術師だ……」
 無意識に出た言葉は、男の耳には届いていないようだった。
 男は、感情のない顔で、何かを呟き始める。呪文のようだ。
 どこから来たのか、小さな風が男の髪を撫で、足元には見たこともない青白い光の魔方陣が浮かび上がった。
 男は、冷めた瞳を向けながら、手を突き出す。青白い光が生まれ、それを呪文と共に大きくしていった。
 光の球体は、激しい火花を纏わせ、塵を巻き上げながら更に巨大化していく。
 そして、男は光源があった敵陣地へとそれを放った。
 瞬間、遠くに見える敵陣地が光と共に跡形も無く消えてしまった。否、光に飲み込まれたように見えた。
 ジーノは、それを目の当たりにして、男から目が離せなくなる。
 窮地を救ってくれた。今になって、死を意識した。死と隣り合わせだった現状に、ぶわりと尾が膨れる。それと同時に、圧倒的な力に惹かれた。心臓が激しく鼓動する。強大な力に惹かれたのは、少しの間。次第に心臓が音を奏でる度、男を見る視線に熱が帯びていった。
 頬がぼっと熱くなる。心なしか瞳も潤み始めた。
 心臓のあたりも、今まで感じたことがない熱を持った。
 魔術師の男の黒髪が揺れる一つ一つの瞬間すら見逃したくないと思った。
 浮かんだ感情を一瞬否定して、でも、心に落ちてきたそれを受け入れた。
 魔術師の男を見て、次第に尾が揺れ始める。
 その時、空が光り、天が騒ぐ。
 空の天と呼ばれる、この世界の祝福の光りに当たる魔術師。黒髪が輝き、男の綺麗な顔がより露わとなった。ジーノも同じく祝福を受けながら、恋した瞳でそんな男を見つめた。
 仔狼のジーノが恋に落ちた瞬間だった。



 この世界の魔術師という存在は、残酷だ。
 感情が乏しく、冷酷な言動をする。
 それらは、魔力の強さに関係し、力が強ければ強いほど、他者や己の感情に疎い。
 ここに、魔術師の特徴の記述がある。
 魔術師は、術師同士の血による遺伝的出生と、人間同士からの偶発的な出生の二種類がある。
 魔力の強度については、生まれ持った素質であり、魔力の強い魔術師同士から生まれたからといって、強いとは限らない。
 また、魔術師は、少年期から徐々に魔術師の特徴が顕著になっていく。
 他者の感情の享受困難、己の感情への理解不足。道徳心の欠如。それらは、知識欲、探究心が上回っているからとの見方もあるが、明確にはなっていない。どちらにせよ、モラルのない冷酷な言動を起してしまうため、異業種とのトラブルが絶えない。
 次に、魔術師は価値あるものを好む習性がある。それらは、金銭であったり、社会的地位であったりする。恵まれた環境に身を置くことを良しとしており、加えて、彼らは魔術師であることにプライドを持っており、それを誇示するために、これらを好むと考えられている。
 世界的な魔術師の位置づけに関しては、世界情勢的に、魔術師は、戦力として非常に高い評価を得ている。広範囲に高い殺傷力がある魔術は、戦争に有利だ。冷戦、紛争、内戦。争いばかりの時代に各国は、魔術師を抱えようと必死になっている。故に、魔術師は引く手数多だ。
 それは、王位継承権争いから内戦に発展したこの国――王国レットルでも、同じだった。余程金を積んだのか、強い魔術師の獲得に成功したこの国は、魔術師の一撃によって内戦の勝利を収めた。これにより、王位は第二王子が権利を勝ち取り、ボロボロのレットルは束の間の平和を手にした。
 明日の希望もまだ見えぬ疲弊した人々の中、戦争の傷跡が残るレットルの町を、明るい表情で駆ける者がいた。成獣とは云えないまだ幼さを残す狼のジーノだ。
 ジーノは、内戦に勝利したあの日、この世界から称号を得た。しかし、彼の輝きと機嫌の良さはこのせいではない。ゆるゆると揺れてしまう白金の尻尾は期待の証だ。国から功績が認められて、少しだけ懐が温かいせいでもない。
 ジーノが機嫌良く目指すは、ボロボロの町に凜と佇む王国の城だ。その城の中にある王に与えられた特別な部屋。そこへ通ずる廊下から装飾の類いが煌びやかになっていた。
 ジーノは、通い慣れたその部屋へ足早に向かう。
 ノックをしても広い部屋の中では気づかれないことが分かっているので、礼儀としてひと声かけてから扉を開いた。ひょこっと顔を出して、部屋の中を覗き込むと奥の方から微かな声が届き、頭の上の耳がピンと立った。仔狼のジーノは、まだ幼さの残る顔で、銀色の丸い目を輝かせて、機嫌良く部屋の奥へと向かった。
 期待で揺れる白金の尻尾は、念入りに毛づくろいされて、艶が出ている。
 溢れ出る感情を抑えきれず、変なテンションでなぜか足音を消して忍び寄る。そして、目的の人物が視界に入ると、尻尾を大きく揺らし足早に駆け寄った。
「ち、チェザ、いる、ますか?」
 頬を赤らめて、瞳を潤ませる様は、好戦的で多くの敵を狩り、手を赤く染めた戦士とは思えないしおらしさだ。普段のジーノを知る人物が見たら、頭をやられたのかと可哀想な視線を送るだろう。それくらいの変わりようだ。
 慣れない敬語を使い、チェザと呼んだ男の気を引く。会話中だったチェザは、それを中断した。会話の相手がジーノに気づいて、話を止めてしまったからだ。
「おーう、そいつならここに居るぞ!」
 話し相手の男がジーノへ向かって手を振る。チェザからは特に反応はない。
 男の声に、ジーノはパタパタと尻尾を振りながら、二人の元へ駆けていく。チェザの隣にいたのは、金髪で大柄の男だ。名をプティ・ニクネヴィン。筋肉隆々でドワーフのように思われるが、これでもエルフだ。金髪の髪は顎髭と繋がっており、もう境目が分からなくなっている。その様からジーノもエルフと聞いたときには、三度見くらいした。一般的なエルフのイメージとあまりにかけ離れていたからだ。そのプティは、この国と魔術師を繋ぐエージェントだ。
 ジーノは、プティへの挨拶もそこそこに、チェザへ「こんにちは」と挨拶した。真っ赤な顔で挨拶するが、チェザからの反応はない。それでも、ジーノはめげずに、ドキドキと胸を高鳴らせながら、ポケットから手紙を取り出した。自慢の尻尾も、緊張のあまり足の間に丸まってしまう。
「あ、あの、これっ」
 頬を赤くして、震える手で手紙を差し出す。
 チェザは、目の前に差し出された手紙に興味が沸かないようで、視界に白いものが映ったから、見ただけという感じで、すぐに目を離してしまった。その様子に、プティが苦笑する。
「チェザ、受け取ってやれよ」
 一生懸命、お前のために書いたんだろうからと、ジーノの後押しをしてくれた。
 プティの言葉に、チェザは面倒くさそうに、目の前の手紙を受け取った。
 手から離れた手紙に、ジーノの尻尾がぶんっと、振れる。が、チェザが受け取った手紙をそのままゴミ箱へ捨ててしまったことで、尻尾は萎んでしまった。「おい」と、あまりのことにプティが声をかける。
 ジーノは、手紙も、気持ちも受け取ってもらえなかったと、耳をぱたりと伏せてしまった。
 しょぼんと、俯いてしまうジーノに、焦るのはプティばかり。チェザは、構わず中断された会話の続きを始めてしまう。興味のないこと、己の利にならないことに関してのこういった対応は魔術師の特徴だ。
 プティからも今日は帰れと優しく促されてしまう。
 ジーノは、悲しい気持ちのまま、感情と共に上がる尻尾をだらんと下ろし、チェザの前から去る。二人は既にジーノの存在に構わず、専門的な話を始めてしまった。会話に入れない、チェザに認識されているかどうかもわからない。悲しい、寂しい。とぼとぼと、背中を小さく丸めながら、ジーノはちらりとチェザの顔を見てから、部屋を後にした。
 それから、ジーノはチェザの元へ通うことは止めなかった。
 手紙を受け取ってもらえないのなら、花ならどうだと、野花を摘んで持って行った。惨敗だった。しかし、いつもなら目すら合わせてくれないチェザが、ゆるりと視線を向けた気がした。ジーノにとっては、嬉しい反応だ。
 薬草とかなら、受け取ってくれるかもしれない。
 どんなことでもいい、切っ掛けが欲しい。
 受け取ってもらえなかった野花を握りしめながら、ジーノは期待に胸を膨らませるのだった。
 翌日、早速ジーノは色々な薬草を摘みに向かった。それらは一般的によく知られるもので、幅広い使い道があるものだった。
 山から帰ってきて、泥をなるべく急いで丁寧に落として、ジーノは両手いっぱいに薬草を抱えてチェザの元へと向かった。
 結果的に、ジーノの思惑は大成功だった。
 いつもの挨拶は軽く無視されたが、薬草で興味を向けることはできた。更には、一つの薬草を手に取ってくれた。ジーノは尻尾の毛を膨らませ、喜んだ。
「あ、あのっ! 俺、薬草取ってくるからっ、だから、また貰ってほしいっ」
 これが切っ掛けだ。チェザの興味は既に他へ向いてしまったが、ジーノは一つの関わる手段を得た。

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