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薬草摘みは、獣人にとって、得意な分野だ。それは、仔狼のジーノでも変わらない。チェザがこちらに興味を示してくれるなら、どんな薬草だって摘んで持って行った。
両手いっぱいの薬草の中から、チェザが数本抜きとる。最近、チェザは魔法薬を作ることが多い。そして、ジーノは薬草を持ってくる度に、挨拶を始め、色々な声をかけた。今のところ、利になりそうな薬草しか興味を持たれていないが、暫く通っているうちに、生返事を頂戴することができた。
そして、今日も両手いっぱいの薬草を声をかけながら、チェザへ差し出す。
「今日は、珍しい薬草も摘んできた」
いつもの場所ではない、岩場にしか生えない薬草だ。その場所へ行くときに少し擦り傷を作ったが、チェザがより興味を持ってくれるかもしれないと思うと危険な場所だろうと苦にならなかった。
チェザの骨張った手が、その薬草に伸びる。その瞬間、期待していた頭上の耳がピッと立ち、尻尾が大きく揺れた。チェザは少し驚いた様子でその珍しい薬草を見た。ジーノはその薬草の価値について知らなかったが、それは市場では高値で取引される品物だった。それを手にして、チェザは少し考えてから、口を開いた。
「……フィルズィットを取って来れるか?」
初めてかけられた声は、冷たい口調での問いかけだった。嘘かと思った。ジーノは、目を見開いた後、コクコクと頷く。
彼が話しかけてくれた。それは、己が彼の中で価値ありと判断されたということだ。彼の興味を引くことができた。ジーノは頬が上気するのを感じた。自然と自慢の尻尾が揺れる。目が潤んで輝く。ジーノは興奮のまま、肯定の言葉を口にした。
「取って、来れるっ」
あまりの嬉しさに、普段の頭の良さがわかる口調や語彙力が失われて頭の悪い返答になった。
チェザに認識されている。己を見てくれている。そう思ったら、嬉しくてどうにかなりそうだった。頭がふわふわする。
チェザの瞳って、黒色なんだ。
惚けた顔で、ただ彼の瞳を見ていたら、すぐに逸らされてしまった。彼の興味はそこで終了だった。
ジーノは、すぐに取ってきます! と答え、尻尾をぶんぶんと揺らしながら、去り際にもう一度チェザの姿を目に焼き付けてから、部屋を去った。
フィルズィットとは、この世界でのモモのことだ。ただ、普通のモモと異なり、命の水と呼ばれる程、治癒効果が非常に高く、また、人が簡単に踏み入れることのできない場所に生息する。その多くは危険な場所なため、入手が非常に困難だ。このため、大変高価で貴重な物となっている。
獣人は、薬草に関しての情報に長けている。ジーノは、赤子の時からお世話になっている獣人仲間に頼み、フィルズィットの在りかを教えてもらった。
結果的に、フィルズィットは入手できた。
ジーノは、頼み事とは思えない態度で、生えている場所をお人よしな仲間に教えてもらい、意気揚々と採取に出向いた。が、ぬかるんだ岩場は、一歩間違えれば滝壺という場所で、命綱を付けていたから助かったが、全身に打身。心配して付いてきていた過保護な仲間に回収されながら、なんとか一つだけ手に入れることができたという顛末だ。
当然、全身はボロボロである。それでも、ジーノはチェザのことを考えるだけで、胸が高鳴った。
少し休めと仲間に云われたが、チェザが欲しい物を持っているのに、休むことなんて考えられなかった。小さな傷や打身の治療が施された痛々しい姿のまま、ジーノは城を目指した。
チェザは、部屋にいた。静かに本を読んでいたが、ジーノが顔を出したことで、自然と視線を向けて来た。チェザに見られている。その事実に、尻尾がぼっと膨らんだ。
顔が熱い。何だか、変な汗も出て来た。
普段なら挨拶を欠かさないのに、今日に限って、チェザの綺麗な貌を見たら、頭がおかしくなってしまって、くらくらしてしまった。
「あ、あの……、これ」
粗末な紙袋に入れたフィルズィットを、差し出す。チェザは、真っ黒の冷たいガラスのような瞳で、じっとそれを見つめてから、受け取った。そして、中身を確認して僅かに目を見開く。手にとって、小さく「本物だ」と呟くのを耳にして、何だか少し誇らしい気持ちになった。
チェザは、貴重なフィルズィットを高そうな布に包むと、箱の中へと仕舞うと、テーブルに置いてあった袋を指さした。
ぱんぱんに詰まった袋。中を見ずとも、それが金貨だろうということはわかった。思惑とは違ったが、記念に貰っておくとしよう。
ただの小間使いになっている気もするが、チェザと関われるならそれでもいい。だけど、もう一歩踏み込もう。
なかなか動こうとしないジーノに、チェザは報酬は直接渡さねばならないかと袋を掴んだ。
「あのさ、俺、チェザが欲しいものなら、何でも取ってくるから!」
だから、欲しいものがあったら何でも……、ジーノはそう続けようとした。でも、その前にチェザが金貨の入った袋が手渡される。
受け取ろうとして、慌てて手を差し出した。
手が触れた。
「びゃっ……!」
思わぬアクシデントに、尻尾と耳が反応した。ぼっと顔が赤くなり、頭もパニックだ。それでも、チェザからの初めてのプレゼントである金貨の袋は落とすことなく、しっかりと掴んでいた。
チェザの手が当たったという出来事は、ジーノの中で手と手が触れ合ったというイベントシーンとして処理された。心が嬉しさで溢れ、緊張して立っていた耳と尻尾が、へにゃりと垂れてしまう。
チェザは既に興味を失くして、読みかけていた本を読み始めていた。本来なら、挨拶は欠かさないのだが、今日のジーノはおかしくなってしまった。ふらふらとそのまま部屋を後にして、声をかけてきたエルフのプティの声も耳に届かなかった。
どうやって帰って来たのか、ジーノは狼の獣人が暮らす集落へ戻って来た。薬草とフィルズィットの報酬と云う名のチェザからの初めてのプレゼントと、手が当たったという触れ合いイベント。
ジーノの口から、吐息が漏れる。瞳は潤んで、まさに恋するそれだ。
「はぁ、チェザ、チェザ……!」
国が欲する程の強い力に惹かれ、美しい黒髪に、容姿も端麗な魔術師のチェザ。まだ、本人から名前を聞いたことはないけれど、気づいたら恋に落ちていた。
体が熱い。チェザを想うと、体が熱くなる。
手が触れ合ったことを思い出し、「うう、好きだよぉ」と、目にうっすら涙を浮かべ、顔を赤くしてぎゅっと金貨の袋を抱きしめたのだった。
幼い狼の獣人であるジーノは、魔術師のチェザに魅了された。
毎日欠かさず城にあるチェザの部屋へ通い、欲しいと云ったものは、少々無理をしてでも手に入れて来た。
そんな折、頼まれていた薬草を届け、かつ下心ありで部屋の掃除をしていると、ふいに魔法薬を作っていたチェザに、尻尾を掴まれた。
「ひぇッ! え、何?」
ふいに掴まれて、あのチェザに掴まれて、ジーノはドギマギしてしまう。
「良い毛並みだ、欲しい」
掴まれた尻尾に、ジーノは嬉しくなった。魔術師のチェザが興味を持ってくれたことで、不穏な感情を抱いても、胸の高鳴りのまま嬉しさで満たした。彼の手がすぐに離れても。
だから、自分の尻尾を持って、チェザによく見えるように問いかけたのだ。
「どの、くらい?」
チェザが自分に興味を持ってくれた。ジーノはチェザに恋するあまり、彼が望むまま差し出そうと考える。
「まぁ、長い方がいいだろう」
「わかった」
返事をすると、ジーノは部屋の掃除もそこそこに、チェザの部屋を後にした。
街を歩きながら、ジーノは異常なほど機嫌が良かった。感情が高まり、冷静さを欠いているようにも見えた。
「チェザが、俺のを、欲しいって言った……」
嬉しさのあまり、胸が苦しい。興奮して仕方がない。
「俺のこと、毛並みが良いって褒めてくれた……」
興奮で呼吸が荒くなる。
もう、なんだって、チェザが望むなら、なんだって差し出すよ。
ジーノが向かったのは、この国の処刑場だった。
内戦後、多くの者がここで処罰された。主に、敗者側の人間が多かった。これがこの時代のあり方なのだろう。
処刑台は静かだった。
オレンジ色の夕焼けを遮るように、大きなギロチンがそこに鎮座していた。
ジーノは、それに向かって歩いて行く。
チェザが欲しいって云った。
俺の尻尾を、良い毛並みだって。
俺の尻尾を手に入れたら、チェザはどうするんだろう。
毛並みを指で確かめてくれたり、頬ずりしたりするんだろうか。
それとも、綺麗な箱や額に飾ってくれたりするんだろうか。
どっちでも、嬉しい。
歩いていくジーノに、処刑台の管理をしている仲間が声をかけてきた。フィズィットを取る時に同行したお人よしだ。
ジーノは彼との会話もそこそこに、ギロチンの前に立った。不思議に思ったお人よしが首を傾げながらついてきた。
目の前の木に視線を落とす。刃は見なかった。
大丈夫。きっと痛いのは一瞬で、だって、チェザが望んだから。
縛ってあった縄を内側へ寄せて縛りなおす。「ジーノ、何してんだ?」という声は聞こえなかったことにする。
ジーノは、刃を受け止めた木にできた一本の線を確かめた。
台座に座り、尻尾を向こう側へ出す。
できるだけ長い方がいい。長くって、チェザが云ってた。
ジーノはお人よしの仲間に声をかける。
「もし、意識が飛んだら、後を頼んだ」
きっと、痛いのは一瞬だけだ。
ジーノは、結んだ縄を爪で引っ掻いた。縄が切れる。
お人よしの仲間が自分の名前を叫び、周囲が息をのんだ。
「……――ッ!」
落下した斜め刃。
ジーノは、痛みの衝撃に意識を失った。
目覚めたのは、光りが差し込む朝方だった。
見慣れた窓枠から、いつもの町並みの風景がある。
ジーノは、自分の状態を忘れたまま、ぼんやりと窓の向こうで羽ばたく鳥たちを眺めていた。次第に、ゆっくりと、覚醒してくる。
無意識に、正面を向こうとして背中にクッションが挟まっており、そして何より尻尾が痛んだことで、自分の状況を思い出した。
起き上がろうかと、上体を持ち上げた時、扉が開いて見知っ人物が顔を出した。
「ジーノ! 目が覚めたか!」
泣きそうな顔をして、寄り添ってくれたのは、お人好しのニットだった。
「大丈夫か? 気分は悪くないか? 痛いところはあるか?」
水を飲ませてくれて、声をかけてくる。
実は、ジーノを赤子の時から面倒をみてくれたのは、ニットだ。
ジーノの親は早くに亡くなってしまったが、狼の獣人は集団で子を育てる。仲間に育てられたし、特にニットは兄代わり、親代わりだった。
耳を伏せて心配するニットに対し、ジーノは尻尾のことを思い出して、彼に尋ねた。
「ねぇ、俺の尻尾は?」
のろのろと起き上がるジーノに、ニットは悲しい顔をして、部屋の机に置いてあった包みを差し出した。
それは、布に包まれた自分の尻尾だった。少しだけ艶を失ったように見えたが、綺麗な毛並みはそのままだった。これなら、チェザに渡せる。
ジーノは、すぐにチェザの元へ向かおうと、起き上がり、ベッドから出た。が、一歩足を踏み出した瞬間、途端に膝から崩れ落ちた。
「おいっ、ジーノ!?」
体勢を崩したジーノを、すかさずニットが抱き留める。混乱した。足に力が入らなかったわけではない。立てなかったのだ。
もう一度、立ち上がってみる。しかし、バランスを崩してまたも、ニットに抱き留められた。流石にベッドへ戻される。
それでも、ジーノはチェザの元へ行かなきゃと呟くと、ニットが耳を下げてしまう。
「なぁ、ジーノ、お前どうしちまったんだよ……」
最近のお前は、無茶してばかりだ。危険な場所へ行ったり、無理をして怪我をしたり。今回だって、尾を切り落としちまったり。本当にどうしちまったんだよ。もう無茶はしないでくれ。俺の心臓がもたねぇよ。
耳を伏せ、ベッドに額を押しつけるニット。でも、ジーノの気持ちは変わらなかった。
休んだのは目を覚ましたその日だけで、ジーノは翌日にはチェザの元へ行こうとベッドから這い出た。しかし、尾は痛んでも体調は悪くないのに、一歩踏み出すことができなかった。歩けなくなっていた。
獣人は、尾でバランスを取って直立、歩行する。そのため、尾を失えばそれらができなくなるのだ。
己の現状に、ジーノは沈黙した。でも、それでもチェザに会いたい、チェザの欲する事は叶えてあげたいと、ジーノは再び歩けるように訓練した。
1日目は、掴まって立つことが精一杯だった。それから、何度も転びながら、一歩、二歩と足を運ばせた。ボロボロになりながら、短くなった尾を立たせ、体全体でバランスを補った。それから、4日経った。チェザに会いたい一心で、ジーノは杖を使って歩くことを可能にした。仔狼という成長期で、順応が早かったからだろう。その翌日、ジーノは杖を持たずに、歩いて城へ向かった。綺麗な布に、切り離した尾を包んで。
城のチェザの部屋へ辿り着いた時には、服を汚してしまっていた。道中、三回転んでしまったが、無事チェザの元へ来られた。ジーノは、出来る限り汚れを落としてから、チェザと対面した。
「チェザっ、久しぶり、です」
チェザと会えた喜びのあまり、耳がへにゃりと垂れる。チェザは、難しい顔をして煮立った鍋で魔法薬を作っているところだった。
「ああ、……今日は汚れてるな」
上手く歩けなくて、転んで服を汚していたジーノを見て、チェザはそう云った。ジーノは、ただ笑って誤魔化して、これだけは汚しちゃいけないと死守した包みを差し出した。
「う、ん。それより、チェザ。欲しいって言ってた、俺の尻尾、持って来たよ」
包みの布を開いて、尻尾を見せる。
白金の尻尾は、一度梳いてあり、毛並みが良い。
チェザはこれをどうするんだろう。毛並みを確かめたりするのかな。それとも、額に入れて大切にしてくれるのかもしれない。
目の前に差し出すと、チェザは鍋を掻き混ぜる手を止める。そして――
「ああ、丁度良かった」
そう云って、チェザはジーノの尻尾を、魔法薬の鍋の中へと入れた。
「ぁ……」
尻尾は、鍋の中で溶け、跡形もなく消えていく。
茫然と立ち尽くすジーノ。チェザは、鍋の中の反応に、「対した効果はないな」と呟いた。
色々なことを考え、チェザからの気持ちを期待していたジーノは、短くなった尾を垂れさせた。
意識を失うくらい痛い思いをし、歩くことも困難になってしまった。今日だって、転びながらここまでやってきた。しかし、チェザにとって、ジーノが失ってでも得た物は、薬の材料でしかなかった。
ジーノは大好きなチェザと目を合わせることができなかった。
心がよく分からなかった。
チェザの前から去ろうと思って、歩き出したら上手く歩けなくて、転んでしまった。チェザの視線が、嫌だった。
なん、か、俺、かっこわる……。
涙も出ないくらい、悲しかった。
受け止められない心が、ジーノを埋め尽くしていく。
歩き方がわからない。視界が狭くなる。力が上手く入らない。
ジーノは、城の廊下で倒れるように転んでしまう。べしゃっと床に転ぶジーノは、目の前が少し歪んで見えた。小さな身体を起そうとすると、ふいにふわりと体が持ち上がった。
「チビ、大丈夫か!」
目の前で心配そうに顔を覗き込む金髪の髭面。いつの日か、チェザと会話していたエルフのプティだ。
「どうしたんだ、お前、真っ青じゃないか!」
エルフとは思えない声量は、精神が不安定になって茫然としたジーノの耳にも届いた。プティに抱き留められて、徐々に涙腺が緩んでいく。でも、泣くところなんて、かっこ悪くて見せたくない。
ジーノは、プティの胸を押して、離れた。でも、しょぼんとした様は、小さい身体を更に小さく見せた。よたよた、とぼとぼと歩いていくジーノに、プティは頭をがしがしとかいた。
何も考えられず、無心で歩くも、尻尾が短くなってから、上手く歩けない。精神的なことも関係してか、チェザに何とも思われていないと知ると、バランスを取ることができなくなってしまった。家へ戻るまでに、何度も転んで、服は泥だらけになってしまった。
幼い獣人であるジーノには、失うものが多すぎた。
自分勝手でも、期待は裏切られ、短くなった尻尾は一時的にでも歩くことが困難になってしまった。気を失うほどの痛みも我慢した。
夕日が落ちて、暗くなった空の下、ジーノは無意識に涙が零れた。温かい何かが顔を濡らして、それが涙なのだと自覚すると、ボロボロと後から後から零れ、止まらなくなった。
顔も服も全身ぐちゃぐちゃに汚れた仔狼。まだ子どものジーノは、始まらない恋に涙したのだった。
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