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ニューヨークのマンハッタン。
高層ビルが建ち並ぶ6番街。見上げなければ空すら見えない超高層ビル群のオフィス街。行き交う人々はスーツに身を包み、商談先へ向かうのか忙しなく歩いている。
スマホで連絡を取る者、タクシーを拾う者。コーヒーを片手に話をしながらどこかへ向かう者たち。立ち止っているのは観光客くらいだろうか。
世界経済の中心地。世界の最先端。億の金を動かすリーマンのトップたちの巣穴の一つに、男はいた。
マンハッタンの道路を見下ろせる高層階。与えられている個室のワークスペースに、男は獲物を狙う目で取引先の相手を見ていた。
電話でのやり取りでは、特に面白みのない相手だったが、訪問してきて印象が変わった。
純朴そうで、従順そうな、俺が好きなタイプだ。
モーションをかけるに決まっている。
「契約を取りたいなら、俺に抱かれろ」
契約の説明もそこそこに、俺が強い眼差しを向けると、取引相手の男は視線を彷徨わせた。
黒髪に、日本人特有の幼く見える顔立ち。背は同じくらいだろうか。どちらにしろ、ベッドへ入れば関係ない。
彼は、困ったような顔をしつつ、その瞳は本能に抗えない期待が籠っていた。すぐに距離を詰める。
「君も求めているだろう?」
後ひと押し。
耳朶を舐めれるくらいの距離で、囁く。
「スイートを用意しておく。いいな?」
そう云って、馴染みのホテルのカードを胸ポケットへと入れた。
「話は以上だ。帰ってくれ」
彼は、頬を染めて強気のアプローチにくらくらしながら、部屋を出ようとする。その背中に声をかけ、「夜の10時に」とウインクをしてみせた。
今度こそ彼の顔は真っ赤に染まり、バタバタと部屋を出て行く。
元々、契約の話し合いなどしなくとも、ほぼ9割決まっているのだ。
健気に逃げていくその後ろ姿に舌舐めずりすると俺はスマホを手に取った。
かくして、契約は結ばれた。
快晴の世界。
昨夜、濃厚で甘美なひとときを過ごした久瀬啓一(くぜ けいいち)は、手に入れた連絡先へとキスをする。
世界は素晴らしい。
薄汚れたニューヨークの街並みを闊歩しながら、眼に映る景色が違って見えると豪語した。
立ち並ぶベンダーの朝食を求めるリーマンの行列すら美学を覚えるくらいだ。
それくらい、昨日の相手は良かった。乱れに乱れてくれた。海を渡って来た日本人は、外国の地だとタカが外れやすい。いや、俺も日本人だが。
啓一は、馴染みのベンダーでいつものベーグルとコーヒーを注文する。ベーグルを焼いてもらう間に、コーヒーを受け取り一口。欧州の方々から云わせれば泥水と称される薄い味もなかなかな味わいだと思えるのは、機嫌が関係しているからだろうか。
立ち上る香りに昨夜の興奮を落ちつけると、ほどなくしてベーグルが焼き上がった。
表面をカリッと焼いたベーグルに合わせるのは、ブルーベリージャムとクリームチーズだ。
ベーグル屋台のおじさんからそれを受け取り、金を払うと軽く礼を云って歩きだす。温かいベーグルにかぶりつくと、ジャムの甘みとクリームチーズの酸味が混じり、口いっぱいに広がる。もぐもぐと咀嚼して、たまにコーヒーを飲む。いつもの朝食メニューだ。
普段と変わらない街並みを進みながら、朝食を終えるとポケットに入れた紙を再び手にした。
連絡先である文字の羅列に落ち着いていた興奮が再熱する。
ピロートークでは、男を求めていたと語った彼。
契約も結べて、身体も繋げる。正にウインウイン。双方に利しかない。
啓一は、ニマニマとだらしのない顔をしたまま、スマホに連絡先を登録していく。
女は喰い飽きて、男に手を出したが、これがなかなかに面白い。
彼はしばらくこちらに滞在すると云っていた。当面は夜の相手に困らなさそうだ。
名前の入力を終え、番号の欄をタップする。入力できる段階になって、ゼロを押した時、前方からトラックが迫ってきた。炎が描かれた、アメリカ製の馬鹿でかいトラックだ。
けたたましく鳴り響くクラクション。悲鳴。
啓一は時が止まったように、動くことができなかった。体を丸めるモーションにも入ることができない。足は地面に縫い留められたかのように、動かない。指先すら折ることができない。肺すら止まった。
それは、まるで、誰かの意図だ。
トラックの軌道は逸れることなく、一直線に啓一に向かっていく。
マジかよ──。
周囲の音すら飲み込んで、鉄の塊は啓一を襲った。
吹き飛んだスマホが、地面に叩きつけられる。
衝撃でひび割れ、機能を停止したスマホの画面が、目撃者たちの悲痛な顔を映した。
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