馬鹿と煙はなんとやら
「今日はオフか……」
早朝、まだ薄暗い時間に目が覚め、日付を確認すれば待ちに待った休日であった。休日くらいお昼過ぎまで寝ていたいと思っているが、奈落にいた頃の癖が抜け切らないまま日の出前に目が覚める(すまいる勤務の日は帰りが朝方なので例外だが)。健康的かと問われればそういうわけではない。睡眠時間は短く、少しの物音や気配で飛び起きてしまうのだ。尤も今は一人暮らしなので人の気配を感じることはないが、近隣住民の生活音で起きることはままある。どんな時間帯だろうと起きている人はいるのだ。
身だしなみを整え、朝食を摂り終えた頃には太陽が顔を覗かせていた。今日は何をしよう、と考えながら外出の準備をする。かぶき町へ来てしばらくは休日を持て余していたため、一日中部屋の中で蹲っていることが多かった。じっと動かず、食事や風呂、睡眠など生活に欠かせない最小限しか行動らしい行動はしなかったのだが、時間を持て余していることをお登勢さんに溢せば「なら朝に散歩をするってのはどうだい?」とアドバイスをもらったのだ。朝散歩に出かけ、町を見回してその日はどこへ出掛けるか検討をつける。そうすれば多少は時間も潰せるし、経験値にもなるだろうと。
そうしてその日課は今でも細々と続けているのだ。
この時間帯はまだ人もまばらで、町全体に活気がない。やはりかぶき町が目を覚ますのは夜だなぁと考えながら橋の上に差し掛かったところで、「新」と名を呼ばれた。
ワンテンポ遅れて声が聞こえてきた方へ顔を向ければ、いつもの隊服姿ではなく紺の着物を着た男がひらりと手を上げる。
「土方さん、おはようございます」
「おう、おはよう。最近はめっきり会わなくなっちまったと思ったが、日課は続けてたのか?」
「ええ、まあ。ちょいと新しいお店でも開拓しようかなぁと思って、屯所方面には行ってなかったんですよ。でもそろそろ土方さんの顔も見たいなと思って」
「なんだそりゃ。ま、元気でやってるってんなら言うことねェけど」
兄貴肌の土方さんは、毎日ではないもののこうして早朝に屯所付近で会うことが多かった。曰く、早めに起きた日は外に出るか屯所で素振りをするか、というような習慣があるらしい。そんな中、私が日課である散歩を始めるようになってから、土方さんとはそれなりに顔を合わせるようになった。別にお互い約束を取り付けているわけでもないのだが、なんだかんだと気にかけてもらっている自覚はある。
「今日は休みか?」
「そうなんですよ、なので雑貨を買いたいんです。インテリアを少し変えようかと」
「インテリアねェ……男所帯の俺達にゃ程遠い言葉だな、殺風景ったらありゃしねえ。特に拘りがあるってんでもねェけどな。強いて言えば総悟の部屋で時たま書類の山がオブジェクトみてーになってるくらいか」
「沖田ってやっぱ色々やらかしてるんですね。書類って始末書ですよね、もう何かしらやらかしてる印象しかないです」
「おう、俺も近藤さんも頭痛めてるよ」
「近藤さんも問題起こしますけどね」
「それはまぁ……ウン……」
局長をやり玉に挙げられると黙らざるを得ないらしい。鬼の副長だなどと呼ばれているが、物騒な側面をあまり見ることのない私からしてみれば土方さんは常識人で苦労人である。
「そうだ新、今度土方スペシャルを奢ってやるよ。食わせたことなかったよな」
「犬のエ……あいや、脂っこいものは胃が荒れちゃうので。出来ればアイスが食べたいな〜!」
「今犬の餌って言いかけなかった?」
「イエそんなことは」
……まあちょっと変なところもあるけども。意味わからない量のマヨネーズご飯にかけたりとか……。
さらりとご厚意を回避し、気が逸れたらしいことにホッと胸を撫で下ろした。次いで「行くぞ」と土方さんに声をかけられ、首を傾げる。行くとはどこに?
「アイス、食いてェんだろ。コンビニならこの時間も営業してるからな」
「ひ、土方さん……! アイス奢るどころか強請ってくる銀さんとは懐の大きさもあたたかさも違う!」
「オイ、万事屋と同列に並べんな」
「オス!!」
一生ついていきます副長……!
アイスを買ってもらい、適当なベンチでそれを食べる。土方さんは隣で煙草を吸い、屯所に戻る時間まで私と話してくれるようだった。本当に面倒見のいい人だと思うのは、表情すら取り戻せていない頃からこうして根気よく私に付き合い、話を聞き、出来たことを一つずつ褒めてくれたからだ。
「オイ新」
「なんです――うわっ!」
名前を呼ばれたかと思えば、いきなり顔に煙を吹きかけられて少し咽せてしまう。一体何をするんだと睨んでみれば、土方さんは悪びれもなくにやりと笑った。
「いい顔するようになったじゃねーか」
ぐしゃぐしゃと掻き乱すように私の頭を撫でた土方さんは、「じゃあな、気ィつけて帰れよ」と去っていった。一体何だったのだろうと思いながら鳥の巣のようになった髪を整えていると、ふと半年以上前にも同じことがあったのを思い出す。まだ思ったように感情を表に出せず、表情が変わることはなかった頃のことだ。顔にぶつかる煙に困惑し、ただじっと土方さんを見つめていたが、彼は「ほんの出来心だ」と少し困った顔で笑っていた。その時はなぜ土方さんがそんな顔をするのだろうと不思議に感じたものだが、思えば中々変わらない私の表情に心配をかけていたのかもしれなかった。
「参ったな」
まだ残っているアイスを見て思う。こんなにもたくさんのものを貰っているのに、私は言わなくてはならないことも言えていない。――立派な大人になって彼らの恩に報いたい。その想いは変わることはないけれど、いずれは奈落に戻らなくてはならないと最近になって考えるようになった。ただ、もう少し。もう少しだけ、彼等のそばにいたい。
随分と欲張りになってしまったものだと自分に呆れる。