愛撫 - 梶井基次郎
私の愛猫の頭を撫で(正確には撫で廻しているのだけれど)ながら、ニヤニヤと薄気味悪い顔をしている。彼がこの顔を見せるとき(彼は無意識でやっている)は、大抵よからぬことを考えているときだ。
梶井基次郎。彼はマフィアきってのマッドサイエンティストであり、ニヒリズム、いわゆる虚無主義者であった。幼少の頃は純情で繊細な性格をしていたらしい。だが、小学校に入学してからすぐ、彼の父が茶屋に通っては放蕩な日々を過ごし、少しも家に金を入れなかったことから、母が彼とその兄弟を道連れに、堀川に身を投げ自殺を図ったらしく、そこから彼の性格が今の状態になっていった。
しかし、この話、何処までが真実で、何処からが嘘なのか、私にはよく分からなかった。信用していい話なのかどうかすら微妙な所である。
そんな彼が私の家で、私の愛猫を撫でながら、嫌らしい笑顔を浮かべているのだから、此方としては堪ったものではない。
「なァ、斎。猫の耳ッて云うのは、ひどく可笑しいものだと思わないかィ?薄べッたくて、冷たくて、竹の子の皮のように、表には絨毛が生えていて、裏はピカピカしている。硬いような、柔らかいような、何とも云えない、一種特別の物質だと、僕は思ッているンだが。君はどう思う?」
どう思う?も何もない。唯、そんなことを今まで一度も考えたことがなかったから、そんな質問をしてくる彼に、後味の悪い何かを感じただけだった。
「一度、切符切りでパチンとやッてみようか」
彼はそんなことを云いながら、猫の耳をしきりに抓っていた。
「この考えは、何も残酷な空想などではないよ。まったく猫の耳の持っている、一種不可思議な示唆力によるものさ。こういった空想も、思い切って行為に移さない限り、僕や君や、人間の中にあるアンニュイな思いは、外観上の年齢を遥かに長く生き延びる。とっくに分別の出来た大人が、今もなお熱心にこんな事を考えているのは、実行していないからなのさ」
両の手を上げ、高らかに演説してみせた彼は、私に視線を一つ寄越した。そうだろう?とでも問うかのように。
実行力。それは正しく、彼をマッドサイエンティストに仕立て上げた、彼を彼たらしめる、諸悪の根源なのだ。近所の八百屋で買ってきた檸檬を一つ手に取ったかと思うと、手軽な爆弾のようだと呟き、いそいそと檸檬爆弾を作り、その爆弾で丸善を爆発させてしまった。私はあの店の品揃えの良さが好きだったのに。また、花見に誘えば、桜の樹の下には死体が埋まっているなどと物騒なことを云って、何処から集めてきたのか、人間やら馬やらの死体を埋めたことがあった。
そして、今度は猫の耳だ。私の愛猫は、彼の手によってお洒落なピアスでも付けると云うのか。冗談じゃない。彼の手からするりと抜け出し、私の膝の上で丸まったのを見て、彼は面白くないと云うかのように顔をしかめた。
「君の猫は僕の頭の中を覗けるのか?初めのうちは大人しくしていたのに、今じゃすっかり嫌われ者だ」
「そんな顔をしていれば、猫でも犬でも逃げ出すわよ」
それから彼は何も云わず、私の頭を何度か撫で満足そうな顔をした。
「仔猫よ!後生だから、しばらく踏み外さないでいろよ。お前はすぐ爪を立てるのだから」
誰に言うでもなく、そっと呟いた彼の横顔は酷く安心しきっていて、私はどうしたら良いのか分からなかった。
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