心中 - 太宰治
「そこのお嬢さん。私と心中、しませんか?」
その日の仕事を終え、何となく目についた居酒屋で一人お酒を呑んでいた。人間、疲れというのはカフェインやらアルコールやら、横文字の化学製品で誤魔化すのが一番だと思う。かと言って、違法ドラッグに手を出したい、という訳ではないのだけれど。と独り言。ピリリと喉を焼くアルコールは、食道を通り胃に落ちる。身体が中から温まるのを感じて、ホッと息を吐いた。その時だ。隣のカウンターに、ひょろりと背の高い男が現れたのは。
首元や手首に見られる包帯は、その男の異常さを表しており、面倒そうな人が隣に座ったものだなと思った。そもそも、他に席が空いているというのに、何故、隣に座ったのだろう。日本人は、他人、特に初対面では、ある程度の距離を保つのが普通だとされているし、そういう考えが圧倒的に多い。かくいう私もその一人だ。だのに。思考の渦に飲まれそうになったとき、先ほどの男が声を掛けてきた。
「ねぇ、そこのお嬢さん。何を難しい事を考えているのかは知らないけれど」
男が一つ息を吐く。
「私と心中、しませんか?」
なんと。心中といったか、この男。スッと通る鼻筋や、細めの眉。中々に綺麗な顔立ちをしている。が、よく見ると、眼光のみ徒らに炯々としていた。黒の瞳孔が、闇にヌラリと、てかっていた。まるで、ビー玉を墨汁で染め上げたような目だった。そんな男が私と心中。いや、男からすれば相手など誰でもいいのだろう。偶々、一人で飲んでいた女が目に映ったから、私を選んだのだろう。そこは問題ではない。そう、問題ではないのだ。決して。
ならば、一体何が問題なのかね、お嬢さん。分かるように説明してご覧なさい。と誰に言われるでもなく、誰かに弁明を始める。
「心中。心中、ねぇ。相手が私だろうが、後ろで猿のような声を上げている馬鹿だろうと、とんでもなく美人だろうと、貴方はそんなこと、どうでもいいんでしょう」
「いや、いや。どうせ死ぬのならば、相手は美人に越したことはない。もっと言うと、猿のような声を上げるような馬鹿は遠慮したい」
「贅沢だ。贅沢すぎるなぁ、それは」
「だって、死んでしまうんですよ」
「そりゃあ、まぁ。心中ですから」
「心中だからねぇ。どうです、私と一つ」
「いや、いや。一緒に死ぬのは、甘えです」
「甘え」
「えぇ、えぇ。甘えです。心中なんて、片方か、若しくは両方の、甘えにすぎませんよ」
「いいじゃない。人生最後なのだから」
「人生最後なのだから、一人で逝くものでは?」
「そうかなぁ……」
男はため息を吐きながら、小さく首を傾げた。何をやっても様になる。見目がいいというのは、何をしても芸術品のようだから、嫌いだ。頼んでいた熱燗を、二人で飲んだ。
「ねぇ、これもきっと、何かの縁だ。心中、心中……」
名前も知らぬ綺麗な男は、先ほどから何度も何度も、心中と言葉を繰り返すものだから、店で働いている者たちからの目線が痛い。傍から見れば、不運な男女が、最後の時を一緒に過ごしている様に見えるのだろうが、それは甚だ間違いと言うやつである。心中、なんて。
「甘えだなぁ」
「違うと思うけれどなぁ」
「いいや、一緒に死にたいと願うほどの相手ならば、苦しむだけ苦しんで、苦しめるだけ苦しめて、どろどろの何かで、愛の鎖を錆び尽かせて、それから、殺してしまえばいい。それも、物凄く、残忍なやり方で。それでいて、自分は首吊りやら、身投げやら、飛び降りなんか、こう、一人でサクッと死んでしまうのが、いいんだと思うけれどなぁ」
「うーん。苦しめるのはそれなりに得意だけれども、自分が苦しいのは嫌だなぁ。私はね、お嬢さん。クリーンな死を望んでいるのだよ」
「心中の時点で、もう駄目だとおもうけれども」
「だって、一人は、寂しいじゃないか」
「あぁ、また、初めに戻ってしまったよ 」
「酔った頭で、難しい事を考えるからだよ。ね、だから、私と心中、いかが?」
「いかが、なんて、胡散臭い売り子の言葉みたい」
「うふふ、酷いことを言うなぁ」
「あなたの方こそ」
「それもそうだ」
ダラダラと、本当にダラダラと。心中についてグルグルと円を描くような言葉の投げ合いをしていれば、もう店の閉まる時間になっていた。結局、お互いに最後まで名前を言わなかったし、聞こうともしなかった。あの男と会うのに、次、があるのかは分からないけれど。もしかすると、私も明日、死んでしまうかもしれないし。ならば。
名前、なんて知らなくていい。心中、なんてしなくていい。どうせ、それを理由に次にまた会うかもしれないのだから。あぁ、ほら、やっぱり。心中、なんて、甘えだなぁ。
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