ピアノ協奏曲第1番 - 岸辺露伴
※R-18
偏屈、変人、唯我独尊、自分勝手。またの名を岸辺露伴という。一種、偏執的なまでの他人への興味心。それら全ては漫画を描く為だけに費やされ、プライバシーの尊重など彼の前では障子紙より薄い。自分が体験したリアルと他人が体験したリアルは別物であり、露伴の作品を読んだ際、他人がリアルを感じる漫画を書くにはリアリティが重要なのだと豪語する。登場人物の眉毛の角度から口角、頭の先からつま先に至るまで、全てに拘る露伴クオリティ。私は露伴の言うそれにディテール・リアリティと名付けたが、彼はお気に召さなかったらしく「フン。在り来りで退屈だな。きみ、ネーミングセンスがないんじゃあないのォ」と鼻息一つで吹き飛ばした。
「そんなことより、きみ、集中しろよ。さっきと腕の位置がズレてるぞ」
……おっと、失礼。私は腕の位置を戻し、バックグラウンドミュージックに耳を澄ました。露伴は度々、自宅に私を招いては私をモデルにスケッチブックを埋める作業に没頭する。初めの頃はデッサン人形のように扱われることに違和感を感じていたが、それも今はもう慣れてしまった。今日はチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」が流れている。この曲について超個人的な意見を言うなれば、同性愛者の同性愛者による同性愛者の為の賛美歌だ。異論は認める。露伴が流す曲は今日のようにクラシックの時もあれば、レッド・ツェッペリンといったロック調のアルバムを選ぶときもある。多分、彼の気まぐれだろう。そこに深い意味はない。雰囲気は作るものではなく、そこに既に在るものだからだ。ただ自然と私はここに居ればいい。深く息を吸い込めば少し埃っぽい古い紙の匂いと、太陽の温もりを感じた。バニラとアーモンドが混ざったような匂いは、紙の成分であるセルロースとリグニンが分解することによって生じる匂いだ。古い本が沢山置いてある部屋は大抵この匂いがする。私は、先程からずっと当たっている太陽の光が眩しくて目を瞑った。そのことに露伴は何も言わなかった。目を瞑っているのに、赤と緑が混じり合ったマーブル模様が見えるのが少し面白い。露伴は私を視姦しながら、鉛筆で紙を擦っていく。そのリズムはピアノと共に少しずつ早くなっていく。露伴が鉛筆を置いた音が聞こえたが、私は未だ動かなかった。彼の許しが出るまで私はここでデッサン人形の役目を徹しなければならなかったし、もし勝手に動こうものならマシンガンのような罵詈雑言を聞かなければならなかった。露伴の骨ばったペンだこのある少しかさついた手が私の太腿の上を這いずり回っている。
「露伴」
「黙ってろ」
第二楽章に入った。ヴァイオリンのピチカートに乗ってフルートがたおやかな旋律を奏でる。ヴィルトゥオーソに入りピアノの音が加速すると共に、露伴の手の動きもまた私を嘲笑うかのようにクロッチの上を滑っている。譜面では感傷の幕間劇になるはずが、露伴の手にかかれば途端に浮かれ騒ぎへと変貌してしまう。露伴の熱い吐息を耳朶に感じて、私は突き上げてくる淫らな衝動に身を捩った。腰を浮かせたタイミングで露伴が下着を取っ払った。フルートによる主題が戻ってきて第二楽章が終わりに向かう頃、限界が近づいてきた。固く目を瞑り、声を漏らさないように唇を噛み締めて絶頂に備える。ヴィルトゥオーソでの暴走が嘘のようにピアノとオーケストラが調和して憧憬に満ちた終結部を緩やかに奏で終わった瞬間、全身に鋭い痙攣が走り私は身体を仰け反らせて甘い痺れに身を委ねた。
第三楽章が始まりオーケストラが咆哮を上げると共に、露伴は自らの脈打つものを奥へ沈み込ませた。ピアノの独奏部に入りオクターブ奏法が炸裂する。コーダへ向かって星々の煌めきを思わせる音色を振り撒きながら、モノクロの階段を自由奔放に駆け回る。ピアノとオーケストラが先を争うようにぶつかり縺れ合い、混沌の真っ只中で露伴は小さく呻き声を上げて、演奏は幕を閉じた。
じわりと熱く濃厚な粘液が広がるのを感じた私は、その鈍い痺れにもどかしさを感じた。
「きみって、マジに堪んないよなァ……」
私を抱きしめながら露伴は「しみじみ思うぜ」と言葉を漏らした。
「もう一度しよう。今度は浴室で。湯を溜めてくるから、いい子で待ってろよ」
一度こうと決めたからには即行動するのが岸辺露伴だ。その行動力がきっかけで時には奇妙な事件に巻き込まれたりもしているらしいが、今の私には関係のない話だった。私は自分の呼吸を整える為に大きく息を吸って、ゆっくり吐いた。バニラとアーモンドと露伴の匂いがする。ピロートークも裸足で逃げ出す速さで、さっさと風呂場へ向かった露伴の足取りは非常に軽くアレグロのリズムを刻んでいた。
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