日曜の朝 - 岸辺露伴
岸辺邸の二階にある寝室は、さながら教会のように荘厳な空気が満ちていた。この岸辺露伴が愛してやまない恋人が、他でもない自分の寝室という云わば絶対不可侵の聖域に居て、更には――露伴自身はあまり使うことのなかった――アンティークの本場であるイギリスの家具職人に特注で作らせたドレッサーの前に座って身支度を整えている。露伴はベッドの上で寝転びながら、鏡越しに恋人、斎の様子をじっと見つめていた。太陽の光を通して細かな埃がキラキラと輝いているのも、充分に露伴の目を楽しませた。斎が身支度している様を眺める時間が、露伴は何より好きだった。
「見ていて楽しい?」
「単純に興味があるね。未知のものに対する興味心は誰にも抑えられないんだよ」
「そのせいでこの前、痛い目を見たのに?」
「でも、漫画は上手く描けた」
斎は振り返って「貴方が上手く描けないことなんて、今まで一度もなかったでしょう?」と笑って言う。露伴は心底、生きていてよかったと思った。例えクソッタレの仗助にぶん殴られようとも、今はそれさえも許してしまえる程には、露伴の心は幸福で満ちていた。
「もっと時間をかけてもいいんじゃあないの?」
露伴はベッドから立ち上がり、彼女の隣で化粧品を一つ一つ手に取って――これらをどうやって使うか、よく知らないままに――ドレッサーの上に並べていく。特に露伴の目を引いたのはアイシャドウと呼ばれるものだ。一色しか入っていない小さなケースや、何色かが並んでいる少し大きなケースなど、似た色でもラメが入っているものや入っていないものなど、いくつもあるそれらを、まるでドミノ倒しでもするように並べていった。
「こういうカラフルなのは良いよなァ」
「もう、遊んでないで元に戻してちょうだい」
「嫌だよ。ほら、この色なんかさ、君がよく使ってるヤツだろ?僕はこっちも好きだけどね」
「分かったから、邪魔しないの」
「目元の、アイシャドウだったか。今日は僕が選んでもいいだろ?なあってば」
斎は「それじゃあ」と言って、ドミノ倒しの列の中からケースを二つ選び「こっちと、こっちで悩んでるの」と言うので、露伴は第三の選択肢として自分が好きだと言った色を選んだ。
「今日はこの色だ。で、リップは……コレとかかな。うん、艶があるやつ。君は今よりもっと素敵になれるぜ。僕の見立てだ」
露伴は選んだリップを手の中で転がしながら、斎が瞼にアイシャドウを乗せていくのを黙って見ていた。もし、自分が彼女をキャラクターとして漫画に登場させるなら、どんな服装にしようか、どんな色が似合うだろうか、そういったことを今まで何度となく考えてきた。それを漫画という形にしなかったのには、露伴のほんのちょっぴり苦い過去が少しばかり関係してくるのだが、それはまた別の話で。今日のメイクは露伴の想像するものに限りなく完璧に近かった。もちろん普段の斎も最高だが、やはり自分の想像したものが、こうして形を持って成っていくのを見られるのは気分が良い。
「さぁ、露伴大先生。仕上げをするからリップを返してちょうだい」
「僕はねェ、雰囲気がちょっとずつ変わっていくのを見るのが好きなんだよ。君は素顔のままでも綺麗だし好きなんだけどさ、なんて言えば良いのかな……変わっていく、その過程を眺めるのが楽しいんだよ」
「……つまり?」
「リップを渡したら完成しちゃうだろ。僕はもっと君を見ていたいんだ。他でもない、この部屋でね。だから、今日は出かけるの止めにしようぜ」
「バカ言ってないで、返してちょうだいよ」
「返さないよ。僕が塗ってやるから、ありがた〜く僕に感謝しろ」
露伴は斎が瞬きした時の表情が好きだ。彼女が自分の前で無防備なのは、自分が彼女の前で無防備のまま居られるからだ。全ての安寧はこの部屋にあると露伴は本気でそう思っている。
「君が寝てる姿が好きなんだ」
なぜなら君はとても美しいのにそれに全く気がついていないから。斎は露伴の言葉に思わすといった風に笑みを漏らした。部屋でダラダラしていたい露伴と、出かける準備をしている斎。寝室の攻防戦は、世界で一番平和な攻防戦だ。
「貴方が外でスケッチしてる姿が好きよ。さあ、最後の仕上げをしてちょうだい」
体ごと露伴の方へ向いた斎が静かに目を瞑ったので、露伴は迷わず彼女にキスをした。柔らかくて、暖かくて、少し湿っている。
「……露伴」
「ごめん。でも、リップを塗ったらキス出来ないだろ?」
斎の咎める声も仕草も、何もかも、それこそ頭のてっぺんからつま先まで、全部が好きだと思った。
「愛してるよ。在り来りな言葉だけど、それ以外を僕は知らない」
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