君がわたしを失えない呪文


「か、かわいい…」
「でしょ?まあ性格は昔から生意気だったけど」

 五条先生が手にしていたのは今となっては見ることもなくなった携帯電話だった。昔の携帯見つかったんだけど、名前に見せたい写メがあるんだよね、と言われて先生の部屋について行く。ひみつだよ、と言って見せてもらったのは昔の恵の写真。画質は荒いけれどはっきり恵だということがわかる。先生は写メ、と言っていて時代を感じた。メ、はメールの略らしい。

「これいくつの時の時の写真ですか?」
「たしか会ったばっかの頃だから、小一かな」

 小学校一年生!六歳?かなあ。ということは、九年とか十年前。半袖のTシャツを着て、ランドセルを背負った恵が携帯電話のカメラを睨んでいた。ああ、かわいい。高専生だったころの五条先生のこと、たぶん苦手だったんだろうな。そういう顔をしている。まさか十年来の付き合いになるとは思ってたなかったはずだ。
 恋人の昔の写真をこんな形で見ることになるなんて。恵が任務から帰ったら卒業アルバムとか、見せてくれないかな。絶対嫌がるだろうけど。
 五条先生にお願いして携帯電話の画面をスマートフォンのカメラで撮っておく。その画面を眺めては頬擦りしたい気持ちになった。付き合っている時間の中だけではわからないことはたくさんあるのだ。例えば小学生の頃背負っていたランドセルの色もそうだし、昔から黒い服が好きなことも、こんなに可愛かったことも。わたしは十五歳よりも前の恵のことを全然知らなかった。
 わたしは上機嫌で先生にお礼を言って部屋を出た。今日は一人で任務に行ってる恵のために夜ご飯を作って待っていよう。うまく作れたら卒業アルバム見せてってお願いしよう。

 あ、雨だ。寮の部屋に帰る道の途中で今日の天気予報は一日中晴れのはずだったのに。恵は、まあ大丈夫か。いつも折り畳み傘持ってるし。かなり降ってるなあ。
 料理をしながら窓の外を眺めていたら、玄関が開く音がした。

「わ、どうしたの、びしょ濡れじゃん」
「…傘、忘れたんです」
「嘘でしょ、置いてきたんでしょ、恵はそういう人だよ」

 たとえば、傘を忘れて困っている子供に何も言わずに傘を押しつけてきたとか、道端に捨てられた子猫の雨除けに置いてきたとか、そういう感じでしょ、わたしは笑いながらそう言うと気まずそうな顔をして恵は黙った。やっぱり、置いてきたんじゃない。恵は自分がしてきた良いことも悪いこともどちらも言わない。自分を飾ったり、守ったり、そういうことをしない。他人のことばかりを考えて、傷ついているような気がする。今だって。ほら、風邪ひいたらどうするの。
 大きめのタオルを引っ張り出してきて雨に濡れた髪の毛をわしゃわしゃと拭う。いつもは見るからに硬そうな髪が今はへたりと落ちてきている。

「今日ね、五条先生に昔の恵の写真を見せてもらったの」
「…ったく、あの人は…」
「ランドセル似合ってた」
「やめてくださいよ」
「昔の恵は可愛かったけど、今はかっこいいって感じ」

 わたしはね、誰もが誰もに平等に優しくないこの世界で、不平等に不器用に他人を助けられる恵が好きだよ。その優しさは、光が混じった雨みたいに、太陽の光が当たった金色のピアスみたいに、きらきらして見える。それをかっこいいと形容するのは間違ってないはずだ。

「もし恵に子供が産まれたらあんな感じなのかなあって思った」

 穢れのない肌膚、夜の海のような髪、そして不器用な優しさを携えて。そんな可愛い子供のことを、ほかでもないわたしが愛せたらいいのに。抱きしめて、頬を寄せて、小さな手を取ることができたらいいのに。
 高校生が抱くにしては些か、どころか、かなり重たくてどうにもならない言葉だと思ったので口には出さなかった。そんなことを考えている自分に気まずくなって、お風呂沸かしてくるからまっててね、と声をかけてわたしは恵に背を向けた。

「子供が産まれたら、名前さんに似た女の子だと良いです」

 臆さず言ったその言葉の重さの意味を、恵はわかっているのだろうか。それはわたしがいつか憧れた、魔法の呪文によく似ているんだけど。


20200424
君がわたしを失えない呪文