おやすみの国の恋人へ

※若干の不健全



 
 毛布、七海さんの身体、春の終わりから夏にかけての束の間、全部あたたかくてとても好きだ。白いシルクのベッドリネンとわたしの爪先は冷たくて、あたたかいものと同じくらい愛おしい。だって、まるで雪みたいな薄い布も、足の指のひとつひとつも、七海さんの身体が暖めてくれるから。
 朝目覚めると七海さんはまだ眠っていた。朝といってももう昼前だけれど。わたしの身体はちゃんと爪先まで暖かいままだった。足を絡めあったまま眠ったせいで、七海さんを起こさずに抜け出すことができない。もちろんそれは言い訳で、これで七海さんの寝顔を存分に堪能できるな、とふしだらなことを考える。
 どこか異国の血が混ざっているとか、何歳だとか、男だとか女だとか、そんなことはどうだっていい。とるにたらないことだ。七海さんの傷ひとつない身体に指を這わせる。耳のうらがわから首の血管を経由して鎖骨まで人差し指の腹で旅をした。

「…あんまり触られると恥ずかしいので、やめてもらえませんか」
「あ、起こしちゃいましたね」

 今日は久しぶりに二人揃っておやすみだったので、映画でも見に行きましょう、昨日の夜はそう話していた。いつもならそんなおやすみの日には、わたしが起きる頃には七海さんはもう起きていて、朝ごはんを作ってくれている。わたしはおいしい香りで目が覚める、そんな朝がたまらなく好きだ。でも、こうして、七海さんが目を覚ます瞬間にわたしが目の前にいるのも悪くない。
 冬の終わりに風が吹いて、植え過ぎた杉の木の花粉が山の下まで降りてきた。幸いなことに、わたしにはアレルギー反応は出ないのだけれど、七海さんは辛そうだった。花粉症のお薬はあたまがぼーっとして眠くなるのだと聞いた事がある。眠たそうな顔をしながら、わたしの額に唇を寄せた。随分とかわいらしい。まだ夢でも見ているのだろうか。

「七海さん、まだ眠いんですね」
「…すこし」

 すこし、と言いながら首すじにごつごつとした指が這う。耳たぶを甘く噛まれる。ああ、かわいい。何も言わずにあまえてくる、七海さんはとてもかわいい。

「夢でも見てるんですか」
「ゆめ…夢かも、しれませんね」
「夢の中で夢だと自覚するの、明晰夢っていうんですよ」
「そんな難しい言葉を知ってたんですか」
「それ、褒められてます?」

 七海さんはなにも言わずに鎖骨あたりに歯を立てた。
 せっかくのおやすみだし、セックスでもしますか。ご飯を食べるよりも、映画を見に行くよりも、そっちの方がきっとたのしい。
 わたしの言葉には触れるだけのキスで答えてくれた。やっぱり、今日の七海さんはあまり話たくないみたいだ。

 七海さんは眠たそうにしながら身体を起こした。彼に続いてベッドの上から降りると寒かった。ふたりで洗面所に行って、歯を磨いてうがいをして手を洗う。手際が悪くて、行儀が良い。なんて清潔な前戯だろう。

「名前」

 あ、ようやく名前を呼んでくれた。きっと夢からさめたのだ。手招きされるままにベッドに潜り込んで、何度もキスをした。


 七海さんは抱き合ったあと、ふくらはぎがやわらかいだとか、足の小指が小さいだとか、二の腕が冷たくて気持ちいいだとか、そういうとるにたらないことを褒めては微笑んでくれる。わたしの身体は七海さんを笑顔にする天才なんだと思った。他の誰にとって意味がないことであろうと、七海さんを笑顔にできるということは、わたしにはなによりも重要なこと。
 わたしの足の爪はサファイアのように濃いブルー。白く澄んだベッドリネンの上で本物の宝石みたいにつやつやと光っている。それもべつに、とるにたらないことなのだけれど、七海さんは綺麗ですね、とほめてくれる。七海さんもわたしを笑顔にすることが得意なのだ。
 ゆるい太陽の光が射し込むあたたかい部屋の中で、ドレッサーの上に置いた香水瓶がオーロラのように部屋を彩る。少しだけ眠いな、と思って目を閉じた。つかれた。五分だけ寝て、ご飯を食べたい。お腹がすいた。でもきっと、五分で起きることは難しいだろうな。
 七海さん、このままうっかり二時間とか三時間とか眠ってしまって、お昼ご飯を食べ逃したりして、だらだらしましょう、そんな休日はどうですか、と聞く前に七海さんはもう眠っていた。吐息がわたしの睫毛にかかる。お昼ご飯になにを食べるかなんて、起きたら映画に行くかどうかなんて、あなたの寝顔を見る幸せにくらべたら、本当にとるにたらないことだ。


20200501
おやすみの国の恋人へ