「名字さん、明後日暇?もし、予定なかったら一緒にお祭り行かない?」
「…お祭り、ですか」
この先輩の名前は、なんだっけ。名字は思い出せるけど、名前は思い出せない。廊下ですれ違ったふたつ上の先輩に声をかけられた。なんとなく向けられた好意のようなものは少し居心地が悪くて、後ろから歩いてきた人の腕を咄嗟に掴んで、わたしこの人と一緒に行く予定で、と言ってしまった。
「五条と一緒に行くのか、そっか」
「え、あ、五条」
「…ん?」
先輩は予定あるのに悪かったな、と言って去っていった。先輩が廊下を曲がるところまで、何も言わずに五条はにやにやしながらわたしの方を見ていた。悪ふざけをしている時の子どものような。
「五条、これは、その」
「…で、行くんでしょ、お祭り」
「え?行くの?」
「おまえが俺と行くって言ったんだろ」
「そうなんだけど、これは」
「…じゃああの先輩と行くの、名前」
「そんなわけないじゃん」
たしかに、このまま明日寮で先輩とすれ違うようなことがかったらただでさえ気まずい関係がもっとややこしくなってしまう。お祭りに行かないという選択肢は即座に排除された。
なんで、ちゃんと断らなかったんだろう。いくらでも言い方はあったはずだ。悪趣味な断り方をしてしまったことを後悔する。それと同時に、五条となんやかんやで明日のお祭りに一緒に行くであろう自分を想像して、心が躍ると同時にため息がでる。五条に大きな貸しを作っちゃったなあ。明日はお財布の中にたらふくお金を詰め込んでおこう。りんご飴、かき氷、綿菓子、とにかく割高な甘いものを買い占める心の準備をしなければ。
高専から一緒に行けばいいのに、某所で待ち合わせをしてお祭りに行くことになった。夏油や硝子に見られたら、困りはしないけど、からかわれそうで嫌だというわたしの意見を尊重してくれたからだ。なんで名前は付き合ってることそんな隠すわけ、と五条は不満げに口を尖らせる。いろいろあって、ごめん。いつもはぐらかしている。本当は、あの女の先輩とあの補助監督の人が五条のことが好きで、付き合ってるのがわたしだと知れたらちょっと怖いからだ。なんであんな女と、そう思われるのが怖い。わたしはみんなみたいに特別な才能があるわけでも、とびきりの美人というわけでもない。五条の彼女だと胸を張れる自信がない。情けない。本当になさけない。
待ち合わせ場所に着くと、女の人に大学生?なんて聞かれている五条が見える。やっぱりどこにいても五条はモテる。確かに見た目は良い。しゃべらなければ今みたいにつっ立っているだけでめちゃくちゃナンパされるし、ああいうキツい性格が好きな女の子も確実にいるので、まあ喋ってもモテるだろうな。なんとなく五条に近寄り難くて、数メートル離れた位置で携帯電話をいじっていたら気付かれた。女の子たちが待って、というのを無視してわたしの方に歩いてくる。
「おまえなんで浴衣じゃねえんだよ」
「持ってないし」
「はあ?」
「五条だって浴衣じゃないじゃん」
「男はいいんだよ、男は」
「えー、それよりあのお姉さんたちいいの」
「…いいに、決まってんだろ、おまえがいるんだから」
五条くんはモテるねえと揶揄うと、とても嫌そうな顔をされた。褒めたつもりなのに。
「おまえ、本当に彼女の自覚あるわけ」
「彼女の自覚…」
付き合って数ヶ月。そういえば友達だったころと、わたしたち、なにが変わったんだろう。ふたりで出かけることもない、指を繋ぐことすらない。メールの頻度は増えたけれど。
五条のことは、好きだ。かっこいいと思う。たまに優しくされると正直どきどきする。好きだと言われた時は、何かの間違いじゃないか三回くらい確認した。その後、人が勇気だしたのにしんじらんねえと言って怒られた。
「先輩さ、わたしたち付き合ってるって思ったかなあ」
「どーかな」
「明日になったら付き合ってるって噂になってたりして、だって五条有名人だし」
「本当に付き合ってんだから、別にいいだろ」
「んー、いろいろあるんだよ」
「またそれかよ」
さっき買ったりんご飴を食べる五条の大きな背中に話しかけた。顔を見なくても、良い気分でないことはわかる。
わたしにも特別ななにかがあったら良かったのに。胸を張って人に言えるような才能があれば。
こうやってはぐらかすたびにわたしは五条のことを傷つけている。わたしに合わせてゆっくり歩いてくれる、そういう優しさが好きだ。数歩歩くたびに後ろを振り返ってくれるところが好きだ。五条がかけたサングラスにはお祭りの明かりが映り込んでいる。そこにいるだけで、五条は特別。わたしのいちばんとくべつ。そんな人のことを、わたしは傷つけてばかりだ。たったひとりの特別な人のことをなんでちゃんと大切にできないんだろう。
少し離れた場所で花火が上がった。空が光で彩られてすぐ、大きな破裂音が聞こえる。月並みだけれど、とても綺麗だ。
「来てよかった」
「…一緒にくるの、誰でもよかったわけ」
「そんなわけないじゃん」
「俺は、おまえと来たかったけど」
そもそもだれとも来るつもりなんてなかった。たしかに、あのお誘いのしかたじゃ、そう思われてもしょうがない、でも、五条と来れることになってほんとうに嬉しかったよ。
五条にしては、信じられないくらいストレートな物言いに心臓が跳ねた。なんでそんなにわたしのことを考えてくれるの。嬉しい。うれしすぎて、怖くなる。
「…五条は、わたしのどこを好きでいてくれてるの」
「名前は強くないし美人じゃないけど」
「改めて言われるとへこむな…」
「強いから好きになるとか、美人だから好きになるわけじゃない。…特別だよ、名前は」
五条の後ろで花火がまたひとつ、煙になって夜の闇に溶けていった。
「わたし、五条のこと、ちゃんと好きだから。…全然彼女らしいことできてないけど。守られてばっかりかもしれないけど。それでも、わたし、五条のこと、好きだから」
「…名前呼んでくんない?いい加減」
頭の中では何度も繰り返し呼ぶ練習をしていたけれど、本人を目の前にするとうまく発音できない。ようやく口にした三文字を聞いて、彼はほっとしたように顔を綻ばせた。
「来年は浴衣着て来いよ」
「わたしも、悟の浴衣姿、見たいなあ」
「…考えとく」
悟が言った、来年という言葉が耳に残った。指先からわたしたちの輪郭が重なっていく。頬を撫でる八月の風が夜空に残った白い煙を拭い去る。わたしをみつめる彼の瞳は、どんな夜よりもきれいだ。
20200718
音速の色彩たち