昨夜のこと。
ばたばたという慌てた足音の響きで、夢から現実へ意識が引き戻された。
しょぼしょぼする瞼を何とかこじ開けると、視界にはまだ暗い室内が映り込む。
どうやらまだ朝ではないらしい。
寝ぼけた頭では何も考えられず、暫くぼうっとしていると、
「――!―――!」
階下から、誰かの声が聞こえた。
何を言っているのかは聞き取れないけど、たぶん、おじさんのものだ。
どこか切羽詰まったような声音。
――何かあったのだろうか。
そんな不安を覚える頃には、意識はだいぶはっきりしていた。
枕元に放っておいたケータイを手に取る。
液晶に映された時刻をチェックすると、3:38という表示が。
やっぱりこんな夜中に起きてるなんておかしい。
そんな確信を胸に、様子を見に行こう、と温かいベッドをもぞもぞと抜け出す。
そして素足のまま床に降り立つと、その冷たい感触がダイレクトに伝わり、思わず震え上がった。
「つめたっ!」
『靴下持ってきますね』
柔らかい声が暗闇の中から聞こえた。
ケータイの光で宙を照らすと、リラがふよふよと浮いていた。
いつの間に起きてたんだろう。
リラを伴って(ぺぺちゃんは当然の様に夢の中だった)一階に行く。
すると、暗い廊下にリビングの明かりが漏れているのに気づいた。
そっと室内を覗き込むと、固定電話でおじさんが誰かと話していて、おばさんはソファに横たわっているのが見えた。
おばさんは青白い顔をして、酷く苦しそうに呻いている。
「おばさんっ!?おばさんどうしたの!?」
ややが驚きのあまり大声を出すと、おじさんはちょうど通話を切って、こちらを振り返った。
焦燥に駆られ、とても慌てた様子である。
「や、やっちゃん。起こしちまったか。実は母ちゃん陣痛が来ちまったみてーでよ…!」
ややも驚愕して、おばさんをばっと見やる。
じんつう、陣痛って…。
「ええっ!?赤ちゃんが産まれるってこと?で、でも予定日はまだだいぶ先だったよね!」
ややの記憶違い!?
『たっ、たいへんっ!』
リラすらあたふたと意味もなくそこら辺をぐるぐると飛びはじめた。
心臓の動悸が治まらない。
何か色んな思考が空回りしていく。
でもやっぱり1番興奮しているのはおじさんだった。
顔を青くしたり赤くしたりしながら早口でまくしたてる。
「そっそうなんだよ!あとひと月は先だったのに…!とにかく、こうしちゃいられねえ!早く病院に連れてかねーと」
今電話していたのは、産婦人科だったのだろう。
おじさんは慌ただしく準備を始め、ややにも指示を飛ばす。
「やっちゃんは母ちゃんの着替えを持ってきてくれ!」
「わ、わかった!」
『ではわたくしは、その間おば様の様子を見ておきますねっ』
そう叫びながら、リラが物凄いスピードでおばさんの元へと向かった。
全ての支度を整えて、いよいよおじさん達は病院に向かう運びとなった。
「おばさんっ、頑張って。もうちょっとで車だから」
「や、ややちゃん。ごめんね…ありがとう」
薄闇の中、おばさんが転ばない様に手を貸しながら玄関前におじさんが止めた車まで誘導する。
陣痛には波があるらしく、今は何とか歩ける程度の痛みなのだという。
何とか車までの道のりを乗り切り、おばさんが乗車した。
運転席から出てきたおじさんがややに告げる。
「やっちゃん、ほんとにすまねぇ。今日1日は多分戻ってこれないし、場合によっちゃあ、明日も無理かもしれん。今日の朝飯は取り敢えず昨日の残りをあっためてくれ。後のことはまた電話するから。でも、何かあったら絶対に連絡してくれよな」
ぐしゃり、と頭を撫でられて少し俯く。
この家に1人…正確には1人じゃないけど…取り残されるのは正直寂しいし、
おばさんに赤ちゃんが産まれるのにはかなり複雑な気持ちもある。
だけど、おばさんやおじさんはこれから大変なんだから。
いまおかしな表情を向けて困らせるわけにはいかないんだ。
「うんっ。おばさん、頑張って!」
すべて飲み込んで笑顔でそういえば、おばさんはこくり、と力強く頷いた。
「行ってきます」
車を見送ってしばらく、何をするでもなくそこに立ち尽くした。
おばさんを心配する気持ちとか、この先に対する不安とか、さっき飲み込んだ気持ちとかが色々ぐちゃぐちゃになって、動けなかった。
『ややちゃん。おうちに入りましょう?外は寒いですし』
リラが優しく諭してくれたことで思考から抜け出し、やっと動くことが出来るようになったものの、部屋に戻る気力が無くてリビングのソファに凭れ掛かる。
さっきまでおばさんが寝ていたのでまだ少し温かくて、安心した。
――疲れたな。
そんな風に思いながら目を閉じた。
さっきまでの慌ただしさが嘘のように静寂がこの場を支配している。
夜中に無理やり起きたせいか、ぼんやりとしているうちに、再び意識は落ちた。
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