杏寿郎はお泊まりをしてその翌日もまるで馴れ親しんだ恋人のようにテレビを観たり一緒にご飯を作ったりと凄く幸せな1日を過ごした。
杏寿郎はいい男、会話していてもポジティブな言葉ばかりだし些細な気遣いも出来る。基本的にかなり面倒見が良くて優しいんだ、それに何より…カッコいい。見た目も中身も。
帰るときお別れするのが寂しくて服の裾を掴むと大きい手でガシガシと私の頭を撫でて「可愛い顔をするな、離れ難くなる。」とまるで私の欲しい言葉を知っているかのようにキスをして帰っていった。

…私と元彼の三年間って一体何だったんだろう。
そう思わざるを得ないぐらい、昨日の今日で私は杏寿郎に恋をした。今までこんなに人を好きになったことあったかな…。

そんな考えをしながら日曜日の午後、元彼の物を片付けていた。三年間という月日は思ったよりも長かったらしく、次から次への彼の私物が出てくる。

(後で取りにきてもらわなきゃ…)

それを考えると憂鬱だけど、新しい恋をした私に元彼の思い出は大きな足枷だ。捨てるにも勿体無くて取りに来て欲しい、要らないなら処分しますという簡潔なメッセージを送った。










・・・








月曜日、職員室まで着くとばくばくと心臓が鳴る。どうしよう、どんな顔して会えばいいの?普段通り出来るかな。職員室のドアの前で固まっているとトンっと肩に手を置かれた。

「おはよう!苗字」
「あ、おはようございます…」
「いい朝だな!今日も一日頑張ろう!」

苗字だ、私のこと苗字って呼んだ。急激に自分の気持ちが萎えんでいくのがわかる。
ーーーいや、でも、学校だから当たり前か…理解は出来るけどそれはちょっとキツイ
土曜日帰った後も特に杏寿郎からの連絡は無くて、あの日のことは夢だったんじゃないかって。もしかして月曜日無かったことのように振る舞われるんじゃないかって、そんな考えを逃げていた思考が急速に呼び戻される。

泣きそうになるのを抑えられなくて俯くと
片手だけ肩に乗っていたが両手を両肩でがっしりと掴まれて覗き込まれ無理矢理目が合う。


「すまない!いつも通りの方が良いと思ったんだが。…どうやら間違えたようだ」


ハッと気づく、私は何をやってるんだ馬鹿!
理解しているなんて言いながら全く理解をしていなかった頭に喝を入れる。

「すみません…苗字で呼ばれたのが少し寂しくて。煉獄先生は何も間違えていませんよ!」
「んん゛、あ…あぁそうだな!…また今週末、君の家に行っても良いだろうか」
「…!!勿論です!」

先程萎えんでいた感情が嘘みたいに胸が高鳴る、下手すれば終わりになったっておかしくはない関係だったのにまさか杏寿郎から誘ってくれるだなんて!
少なくともあの夜の行為を彼は気に入ってくれたと思っていいのだろう。

「二人きりの時は頼むから杏寿郎と呼んでくれ」
「へ?あ、はい。わかりました?」

学校では普段通りが良いという話の流れではあったが二人きりのときの話をどうして今するのだろう?と疑問には思うが、とりあえず返事をしておいた。
その時ポケットに入れていた携帯がブブっと鳴る、何と無く確認しようと無意識に携帯を取り出し顔認証がされると画面にメッセージが表示された。
ーーー元彼からだ
『今日行く、何時に帰ってくんの?部屋居るわ』簡潔だけどどう考えても慣れ親しんだ関係がわかるメッセージだ。
思わずバッと杏寿郎を見ると眉間に皺を寄せてそのメッセージを凝視していた。

「名前、どういう事だ。別れたんじゃないのか」
「違うの!昨日彼の荷物片付けてて、取りにきてもらおうと思って…」

それだけ言うと杏寿郎はもっと険しい顔になった、どうしよう…嘘だと思われてるかもしれない…。

「俺も同席しよう!」

キリリとした目線が私を射抜くと彼は少しも悩まずに私に言い放った、同席…?杏寿郎も今日来ると言うこと?予想外の言葉に驚く、真偽を確かめるためだとしても杏寿郎の利点など無い気がする。

「あの、いや…駄目、ではないですけど。何故でしょうか…?」
「何故だと思う、野暮な質問だな」
「わからないから聞いているんです、私と彼は完全に終わっていますし嘘はついてません」
「君の反応を見れば嘘を付いていない事ぐらいわかるさ」
「じゃあ、なんで…」

「ただ、俺が嫌なだけだ」

その言葉に自分の心臓がまたきゅうっとなりトキメク。そんな事を言われたら勘違いしてしまいそうになる、ただ一夜を共にしただけだけなのに杏寿郎に惚れられているのではないかと…
そんなわけが無いとブンブンと頭を振り、冷静に冷静にと自分に言い聞かした。もしかしたら杏寿郎は私が思っているよりも“仮の恋人”の役目を果たしてくれようとしているのかもしれない。
自分から言い出したくせに“仮の恋人”って何やねん!定義はなんじゃ!と心の中のエセ関西人が出てきてしまうが、今はそれでも杏寿郎が側に居てくれるならそれでいいと思い「じゃあ、同席お願いします」と言えばとびきりの笑顔を向けてくれた。
元彼には申し訳ないが、杏寿郎と就業後に会えるのが嬉しくてたまらない自分がいた。

そんなやり取りをしていたら他の先生達も出勤してきたのでこの話はこれで終わりにした。
また後で、と杏寿郎と別れてから元彼には『家に帰ったら連絡する、そしたら取りに来て。あと合鍵も返して』とだけメッセージを返した。







暗夜の焔 03

  








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