新月




心のままに生きてみたい。
好きな景色を見て自然に囲まれた地でゆっくり歳をとりたい、手元にある優美な暮らしは元来必要の無いものと思っていた。その違和感は大きくなった今でも変わらない。
それでも嫁ぎ先が決まった今、そんな違和感とは関係無く話が進む。きっと私が求める自由は二度と手に入らないのだろう。




「名前と申します。煉獄家に嫁げることを大変嬉しく思います。」
「そう固くなるな、これからの先に俺達は夫婦になる。気遣いは無用だ!」

耳に響くような大きな声で喋るこの男性は、先日婚約者となった煉獄杏寿郎様。
細身見えるが無駄のない体格に凛々しいお顔、一つ歳上だとは聞いたが随分と見目も人格も完成された青年にみえる。


そして私は私の夢を叶えることなく、東京府に居る。
父の駒にされたのだ…父は産屋敷家を支援している資本家の一人で結束を確固たるものにすべくその組織幹部の息子に嫁がされることになったというわけで、先程言った“嬉しく思う”はもちろん方便である。
何故息子なのか、年齢的にかもしれないが私にとっては誰でも同じ。考える必要のない事。
婚姻を結ぶ時期は相手方に任せるとのことで私は家から追い出されるように煉獄家にきた、奥方になる為に早く家業の仕事を覚えてこいというのは父の命令で反論する弁を持ち合わせて居なかった。
鬼殺隊、と言っただろうか…随分と物騒な名前だな。何をしている人達なのかはよく知らない、そんなことを聞けないぐらいには親子関係は壊れているということだ。

「俺は炎柱になる、その為に寂しい思いもさせてしまうが伴侶になる君を大切にすると誓おう」
「有り難きお言葉で御座います。杏寿郎様、この屋敷の為来りはどなたにお伺えばよろしいでしょうか」
「そうだな…弟の千寿郎に聞くといい!」

軽く自暴自棄になっていた、父に嫁ぎ先を言い渡され自由を望んでいたはずなのに…私はこの籠の中の生き方しか知らなかったから……

















「千寿郎です、どうぞ宜しくお願いします。」

まだあどけなさが残る男の子、この子がこの屋敷を一人で管理しているというのか…。弟と聞いて杏寿郎様と歳もそんなに変わらないだろうと勝手に思っていたがまだ母親から離れたばかりであろう子供じゃないか

「女主人は居ないのですか」
「母は何年も前に亡くなっています、ここには兄上と父上と私の三人だけです。」
「……そうですか、わかりました。」

私の住んでいた家も大きかったけどそれ相応の大きさのあるこの屋敷を一人で切盛りしてるなんて、凄い子供だなと頭に手が伸びてしまう。

「千寿郎様、これからは私のことも姉上と呼んで頂けますか?」
「あの…はい、姉上!俺のことも千寿郎と」
「千寿郎、これから宜しく頼みますね」

頬を染めて笑顔を見せてくれる千寿郎が可愛い、子供と言える程に小さくは無いけども子供が好きな私にこれは嬉しい誤算だ。
誰とも理解し合えることは無いと思っていたのに癒しになる存在が居ただなんて・・・

「うむ!では俺のことも気軽に杏寿郎と呼んでくれ!」
「きょ、杏寿郎様っ、旦那様をそのように呼ぶことは出来ません!」
「かまわん!杏寿郎様とは長いだろう!」
「なりません!せめて杏寿郎さんと呼ばせて下さい!」

小さい頃から家業の兵器…いや道具として育てられてきた私は良妻な賢母になるように作法や教養を教わってきた、そんな私に崩せというのは酷な話。どうもこの杏寿郎様は完成された方ではあるけど強引でもある。

「姉上、兄上は一度決めたことを中々曲げない人です。きっと諦める方が早いですよ。」
「そうだぞ、名前!杏寿郎と呼ぶんだ!」
「……杏寿郎も宜しくお願いします」
「よろしく頼む!!」

びりびりと耳に伝わってくる声は大きいのに不思議と耳障りではない、これは案外兄弟共に頑固なのかもしれないなと思うと少しだけ可笑しかった。
私が我慢出来ず少しだけ笑ってしまうと二人も笑顔をみせてくれて三人で笑い合った。
多少なりとも強引なとこはあるけど、嫁ぐはずの家が煉獄家で良かったなと少しだけ思えた。



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痺莫