僕は、差し伸べられた手を握った。

 彼は、嬉しそうに笑いながら、僕の抱えていた遺影を手でぱんっと振り落とした。

 遺影を入れていた額。そのガラスが割れる音と共に、僕の、何かも割れた。

 全身が震えたよ。熱が、濁流のように渦巻いて眩暈がした。

 彼に手を引かれるがまま、部屋に行った。そこで、ベッドへ押し倒された。

 喪服を楽しそうに脱がしてゆく姿を見て、ああ、これが僕には似合いなのだと思った。きっと僕はこうして、心も身体も彼に殺されてゆく運命だったのだ、と。

 諦めにも似ていたのかな。耳障りな愛を囁く言葉へ、虫唾を走らせながらもどこか、心地よさを覚えていたのかもしれない。

 ただ、それでも。僕は、彼が何を考えていたのかさっぱりわからなかったよ。

 妹、できたんだよね? 彼の奥さんにばったり出会って、半月前に聞いたよ。だから僕は、その日の夜、家を抜け出して僕のところへやってきた彼の、首を絞めて殺したんだ。

 セックスをしていた。というよりも僕がただひたすらに食われていた。快楽なんてなくて。乱暴に中を暴れまわられている間、彼の背中に手を回した。僕から積極的に触ったのはたぶん、あれが最初で、最後だ。

 肩甲骨を撫でた。

 肩を、首筋を撫でた。

 彼は、今までで最高の笑顔を見せてきた。

 首へ手をかけた。のど仏を、交差させた親指でぐっと、一気に押した。

 面白いくらいに、彼の顔は、色を変えていった。暴れまわられると思ったのに、どうしてか、予想よりも静かだった。

 それをずっと望んでいたとでも言いたげなくらい、彼の笑みは最後まで止まなかった。

 たぶん。死んだ瞬間に、射精したのかな。命の抜け殻は最初、軽かったけれど次第に重くなっていった。

 死体をどう始末するかなんて、何も考えていなかった。もうどうでもよかったし、どうにでもなれと思っていた。

 そしたら君が。は、はははっ、君が、学ラン姿でいきなり家に現れるでしょう? 父を惑わせないでくださいとか、言いながら玄関を叩いたでしょう?

 もう、はは、はははっ、思い出しても、笑いの嵐が巻き起こるよ、ははっ、もう、はははっ、本当に……本当に。

 笑いすぎて、涙が出てきてしまう。

 人間は、複雑な迷路だ。

 深く潜れば潜るほどに、出口が見えなくなる。迷ってしまう。

 その人一色に染まった時。迷路と一体化して初めてわかるのかもしれない。相手が何を考えているのか、何を思っているのか、その行動にどんな意図があるのか。感情に、何が含まれているのか。

 彼は、僕の迷路に入ろうとすらしなかった。そして僕は、彼の中に入ったまま、一体化もできず、出られなくなってしまった。

 では、君は? どうするのかな。

 入ってくる? どう?

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