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「わっ、何コレ!トノサマン!?」

目ざとすぎる。
真宵ちゃんは僕の携帯電話にぶらさがっている物を、発見するなり目を爛々と輝かせてさっそく手に入れんと取り外し始めた。
それはとある地方のご当地トノサマンストラップである。
つい最近、みのりちゃんに貰った物だ。夏祭りのお誘いに失敗してしまった折に無理やり約束を取り付けた、彼女の地元のおみやげだった。

「真宵ちゃんそれ泥棒だよ」

僕がヒョイと携帯を自分の手に取り戻すと、真宵ちゃんは見慣れたふくれっ面で僕を睨んだ。





夏休みも終盤。僕とみぬきは今、真宵ちゃんと春美ちゃんのいる倉院の里に来ている。避暑のためだ。霊験ある山郷は日陰も多くすずしい。
真宵ちゃんは数年前の葉桜院での事件のあと、霊力が増大してうまく抑えられなくなってしまった。それから霊力のコントロールとさらなる修行のためにこの倉院の里で生活している。
そう遠くはないけれどしょっちゅうは来られない微妙な距離。時々こうして顔を出すと真宵ちゃんも春美ちゃんもとても喜んでくれた。
みぬきと春美ちゃんは歳も近いのが幸いだ。
今もふたりで外に遊びに行ってしまって、僕と真宵ちゃんは冷たい麦茶を飲みながらしみじみと近況報告をしているところだ。
春美ちゃんもみぬきも大きくなったよねぇなんて言いながら。これはもう、すっかり年寄りの茶飲み友達のような状態と言えるだろう。

「ねえねえなるほど君」

「駄目」

「…まだ何も言ってないんだけど」

「言わなくてもさっき行動に起こしただろ。駄目だよ、これは」

「ケチーッ、この世のトノサマングッズはすべて真宵ちゃんのものなのに」

年寄りの―と比喩したばかりではあるが、いくつになってもきゃんきゃんとうるさい子だ。慣れたことなので不快ではないけれど。
こんなことならみのりちゃんにもうひとつ買っておいて貰えばよかっただろうか…。
しかしそれもどうだろう。何の面識もない相手の為にお土産を買って来いだなんて、さすがに言えない。

「どこで買ったの?ソレ」

「ひとに貰ったお土産だよ。みぬきがお世話になってる人。だからあげるわけにいかないんだ」

「ふーん………」

「なにさ」

真宵ちゃんが目をまあるくして僕をじっと見つめる。

「変なの。なるほど君昔からケチだったけど、物にはあんまり執着しないっていうか…ほら、事件の証拠品だって、これはもういらないやーとか言って平気でポイポイ捨ててたし」

ケチとはあんまりな言い様だが、真宵ちゃんの言いたいことは大いに理解する。
確かに僕は物に固執しない方だと思う。
このストラップだって以前だったら、真宵ちゃんにちょっとねだられれば簡単にあげていただろう。

「………」

僕が口を閉ざして黙り込むのを、真宵ちゃんは楽しそうにのぞきこむ。

「なーんか、あった?」

「なーんも、無いよ」

「うそだね」

サイコ・ローック!とふざけながらケタケタと笑い飛ばすのだから、たまらない。
彼女はみぬきのような「見抜く」力は無いのに、野性的なものなのか、妙なところで鋭い。
確信にはまったく触れていないくせに、その鋭さに、少し汗が流れた。


僕は手の中のトノサマンのストラップに目を落とし、みのりちゃんのことをぼんやりと考えた。
彼女と、キスをしたことを。
なぜキスをするのかなんて、まさか訊ねられるとは思わなかった。それもおかしなことだ。本来なら訊ねられて当然のことのはずなのに。
つまり何て言ったら良いのだろう。あれは僕にとってひどく自然な行為だったのだ。
自然に思ったのだ。彼女に触れてみたいなぁ、と。
性的な欲求はといえば、あったような、無かったような。どうだったかいまいち思い出せない。なんだかどっちでもいいと思う。
触れたい。
その一言に尽きた。
そして彼女はその僕の願いを、無言で受け入れてくれたのだ。
…いや、それはずるい見解かも知れない。彼女が僕に抱くほのかな感情の変化に、気付いていないわけではなかった。
距離感と、視線と、表情の変化。
そして彼女が、それを恋だと主張できない立場―つまり僕の娘の先生であるという立場だということも重々わかっている。
それをわかっていながら僕は、ずる賢く先回りをしたのじゃないか。
「キミこそ、どうして拒まない」と飄々と言ってのけた。
みぬきの先生なのに、恋人でもないのに、どうして拒まないのかと。
別に、好きだからとかそういう答えを待っていたわけじゃない。
僕が彼女の問いに答えたくなかっただけなのだ。
触れたかっただけ、なんて、まるで寂しがりの子供みたいで言えなかった。


理由なんて必要か?

理由なんて…。



「たとえばの話だけど、真宵ちゃんさ、」

「うん」

「御剣にいきなりキスされたらどうする?」

「は!?なっなっなっ何をいきなり…!」

「たとえばの話だってば。別に相手は僕でもいいんだけどさ」

「えー……なるほど君だったら、殴っちゃうかな」

「あははは。違いないだろうね」

「ていうか…恋愛オンチのなるほど君とこんな話はしたくないね」

「そう?」

「明らかに女運がないからね、なるほど君は!」

どうだろうな。
僕自身は、そんなことないと思う。むしろ女運はある方だと。
事実、どういうわけか昔から、周りには結構な美人ばっかりだったと記憶している。
ただ、時の運がなかっただけだ。
運命の人には裏切られ、アコガレの上司は死んでしまい、仲良くなりたかった子にはムチで打たれ相手にされず、自分が守っていると思い込んでいた子は自立して一人歩きを始めてしまった。
踏んだり蹴ったりだけど、それはそれで、僕としては受け入れているのだ。
そういう巡りあわせだったのだと思うほか無い。
みぬきがまだもうちょっとだけ小さかった時、恋人はいないのかと聞かれたことがある。
弁護士だった頃の僕は仕事に明け暮れてそれどころではなかったし、今となっては自分に恋愛を楽しむような権利すら無いと思っている。
僕はもう父親なのだ。
僕のためにも、みぬきのためにも。すべてに決着が着くまでは。
―そうでないと、あの男に対する激しい憎悪が風化してしまいかねない気がして。

「眉間にシワ」

いつの間にか自分の世界で考え込んでいたらしく、真宵ちゃんは人差し指でツンと僕の眉間を突いた。

「う」

「悩み事なら、お姉ちゃん呼ぼうか?」

「……いや、いい」

いま千尋さんを呼ばれたらたっぷりお説教されるとわかりきっている。
どうしようもない男ね、なんて渋い呆れ顔の千尋さんが浮かぶ。
すでに故人ではあるが、あの人にはいつまで経っても頭が上がらないのだ、僕は。

「ねえなるほど君」

「んー?」

「そうやってムズカシイ顔してるの見ると、法廷に立っていたのを思い出すよ」

「僕そんな顔してるか?」

「うん。自分で自分の発言にムジュンを見つけて冷や汗ダラダラ、みたいな」

「あー…うん。まあ。そんな状況なのかもなぁ」

ねえ、だってさ、真宵ちゃん。
彼女に示すべきこの気持ちの、証拠も動機も、僕は全部自分で隠してしまってる。
これがムジュンでなくて何だと言うんだ。
僕にもまだわからないことだらけだよ。


恋はしないと決めていた。
したくないんだ、恋なんて。





晴天の式日


式日