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 波の、音。


 寄せては返すその耳に心地好い音が、意識を深い方へ深い方へと誘っていこうとする。
 目は、もう随分前に閉じていた。
 眠くてたまらない。

 面を外しているおかげで、風がそよぐのを肌で感じていられた。

 ふわ、

 そよそよ、

 頬を撫でる。

 これは風じゃなくて...

 あいつの...髪、か






「先輩、起きてください」

「!!」

 低いその声と自分の甘やかな夢の世界のギャップがひどく、瞬時に眠りから覚めたオレは右目を大きく開いた。
 猫の面が、覗きこんでいる。
 暗部の後輩の男だった。
 ああ、そうだ、つい先程任務を終えたところで。報告の役目を目の前にいる猫面の後輩に押し付け、自分は木の上の太い枝に腰を下ろし、まったりと読書をしていた...、はずだ。
 眼下に広がった青々とした麦畑の光景と、その麦穂の波が風に音を立てているのがやたらと心地好く、眠気を感じたところまでは覚えている。
 愛読書はすでに閉じた状態で太股の間に落ちていた。
 ほんの少し眠気に従って目を閉じた、というよりは、けっこうしっかり眠っていたらしいことに気付く。

 猫面の後輩─テンゾウはオレが目を覚ましてもなお、右手に持った何かでオレの頬の辺りをこちょこちょとくすぐっていた。
 先程ゆめうつつの中で感じていた感触の正体はこれだ。

 そこの麦畑から拝借してきたのであろう。
 麦の、穂先。

「テンゾウ君。なんの真似よこれ」

「それはこっちの台詞ですね。こんなところで居眠りして、しかも面も着けないで」

 それでも暗部のエースなんですか貴方は、とテンゾウは言う。
 これでもオレを慕っているらしいが、如何せん真面目で口煩い。
 彼の小言はすっかり聞き慣れていたので無視をした。
 彼もまた、オレにそうして小言をスルーされることには慣れている。
 びゅう、と初夏の風が麦畑の青々とした穂を波立たせ、ザワザワ、と音を鳴らす。
 テンゾウは眼下の風景を見下ろした。

「...まぁ確かに気持ちいい風景ですけど。先輩、幸せそうな顔して眠ってましたけど、どーせイチャイチャなんとやらの夢でも見てたんでしょう」

「まーね」

 表情を崩さずにそう言うと、やっぱり、と彼は溜め息を溢す。面をしてはいるが、呆れた顔はだいたい想像がつく。
 イチャイチャなんとやらとオレの愛読書を揶揄したことについて否定はしなかった。
 それは、彼の思うイチャイチャなんとやらの卑猥さよりも、ずっとずっと気恥ずかしい夢を見ていたからだ。


 サキホの髪が、頬をくすぐる夢を。


 しかしそれはテンゾウのせいでもあるのだ。
 柄にもなく茶目っ気を出してみたつもりか知らないが、オレを起こすのにいたずらっぽく麦穂で頬をくすぐった。
 その感触が。
 あの日の、サキホに抱き付かれた瞬間、髪が頬を掠めた感触とまったく同じで。
 だから。


 感情の昂りで"つい"取ってしまった行動だと彼女は言っていたのに。
 あんな子供じみた感情表現だというのに。
 こんなにも、この身に、染み付いて。






「てか、今日はもう解散したじゃない。なんで戻ってきたの?」

「あ、そうそう。先輩、探されてましたよ。アスマさんに」

 それを伝えに来たんです、と言う。

「アスマ?」

「任務終わりで会う約束してるのにって言ってましたけど」

 ああ。

「やべ、忘れてた」

 テンゾウがまた溜め息をつく。
 これはまた、暗部の精鋭がーとかセンパイの沽券がーとかいつもの小言がもうワンラウンド始まってしまいそうだったので、オレはそんな生真面目で親切な後輩に短い礼だけ言い残してその場を離れた。



 ようやく再び看板を出したクロガネへ、今日アスマを連れていく約束だった。



式日