08 (3/3)
あの翌日からカカシが任務に発って二ヶ月あまりが経っただろうか。
季節は夏の盛り。
彼に言われている水分補給と換気と休息だけは自分としてはかなり律儀に守っている。
食生活についても、まあ、それとなく。
また倒れるわけにはいかなかった。
もしそうなってもちょくちょく顔を出してくれるアスマあたりがどうにか面倒をみてくれそうだけれど、そういう問題とは別に、倒れられない状況だ。
仕事がぎっしりと詰まっている。
有難いことに、カカシが声を掛けたという忍たちは皆ここへ来て注文を入れてくれた。
出来上がった忍具を手に取り、称賛してくれ、また来ると約束してくれた。
彼らやアスマがまた幾人かにクロガネのことを語り、少しずつ客が増え、どうにかこの稼業がうまく回り出したように感じている。
一番嬉しかったのは、先代親方のお客さんだった忍が、クロガネ営業再開を聞き付けて訪ねてくれたこと。
三代目火影様から聞いたのだという。
親方を手伝うかたわら何度も見たことがあるその人と、話すのは初めてだったけれど、「何か困ったことがあったら言いな。火影様もアンタを気にかけているからね」と暖かい言葉を掛けられて感激で胸が苦しかった。
今までどうしてこんなに暖かい人たちが周りに居たことに気付けなかったのか。
同じ木の葉の里に住んでいるのに。
改めて、これまでの自分の世界観の狭さを思い知る。
それから、再認識する。
私の殻を破って世界を拡げてくれたのは、カカシだ。それだけは絶対に忘れちゃいけない。
彼の顔が脳裏を過る。
あの日何かを言いたげだった、あの目が。
彼は無事に任務をこなしているだろうか。
三ヶ月とは、随分長い。過酷なものなのだろうか。
忍の任務の内容は聞いちゃいけないと親方に教えられていたし、聞く気も無いけれど、どうか無事に帰ってきてほしいと願わずにいられない。
また来ると言って十年も訪れなかったこどもの頃を、どうしても重ねてしまうから。
十年越しの再会がどうやらトラウマのようになっている。あぁ、自分という人間は案外根に持つ人間だ。これは新しい発見だ、と思った。
思わず、くく、と喉を鳴らしてひとりで笑ってしまった。
そんな自分の笑いに集中力がいささか途切れたことを実感する。
鎚を打ち付けていた千本を冷却用の棚に置いた。
クナイもそうだが、千本のようなシンプルな形状の忍具はひどく精神を消耗する。コンマ以下の狂いだって許されないからだ。
奥にあるキッチンの冷蔵庫まで走って、流した汗のぶんだけ補うように冷えた麦茶を流し込む。
自分ひとりの生活なので、ピッチャーに直に口をつけても誰も咎めやしない。しかも冷蔵庫も開け放ったまま。
喉から食道、胃袋へとその冷たい流れをまざまざと感じて、ぷはぁと息を吐いた。
もう一口、と思ったところだったが、作業場のほうで入り口の戸がカラカラと鳴るのを聞いて仕方なく冷蔵庫を閉めた。
誰だろう。
今日は誰かに受け渡しする予定の物は何も無い。
もしかしたら時々手土産をぶら下げて来てくれるアスマかも知れない。
そうでなければ、誰かに紹介された新規の客か。
作業場に戻ると、戸口に立っているその人物を目で認識すると同時に声を掛けられた。
「あ!こんにちはぁ」
鈴みたいに高くて、キャラメルみたいに甘ったるい声で。
口内に残る麦茶の芳香をいっそう苦々しく感じさせられてしまう。
「...あんず、さん」
「わあ、アタシのこと覚えてくれてるの。嬉しいな」
彼女を忘れることのほうが難しいように思う。
相変わらず艶々とたゆたう黒髪。
何故だか、悲しいけれど、人というのは嫌なことほどよく覚えていたりするもので。
「アナタのこと人から聞いてね」、と彼女はあの夜カカシに対してもそうだったように、こちらの反応や顔色などお構いなしにふわふわと微笑みながら喋り出した。
「クロガネって聞いてびっくりしちゃったの。だってまさか、アナタがそうだと思わなかったのよね、ふふ。いい意味よ。あの有名なクロガネがこんなチャーミングな鍛治屋さんだなんて」
「いえ、有名なのは先代でしょう」
「あらそんなこと無いわ、アナタ今上忍の間ではちょっとした話題よ」
「それは...どうも...」
「ふふ、あのね、それで。アタシも是非注文したいと思って来たの。こう見えても仕込み忍具での罠とか陽動がもっぱらの担当なのよ」
「...どなたからの紹介ですか」
「カカシに決まってるじゃない」
さも当然、とさらりとその名を口にする。
「...彼はいま二ヶ月も任務から帰ってないし...、その前に紹介された人は全てカカシから直接リストを貰ってます。あんずさんの名前は書いてない。だから、」
私は何か口汚く罵りたくなるような嫌な衝動を抑えながら、ゆっくり淡々と事実だけを答えた。
気を付けないと。
感情を抑えないと。
「...」
あんずは人差し指を頬に添えて、うーんと少し考えるような思い出すような素振りをしてから片目を瞑って所謂ウインク、を私の方へと飛ばしてきた。
女性からウインクを投げられるのは初めてのことだ。
いや、男性からも無いけれど。
「紹介なんて今更じゃない?アタシとカカシは何度も一緒に任務をこなしてすごく仲良しだし、ね、いいじゃない別に!なんでそのリストにアタシの名前が無いのか不思議なくらいだわ、カカシも随分うっかりしてるわねぇ」
まるでカカシが"うっかり"あんずを紹介リストから漏らしてしまったように言っているが、私はあの夜彼が言っていたことを思い出す。
人柄まで考慮して人選したと。
彼女が忍としてどれほど優秀なのか知らないけれど、確か元暗部と言っていたからそれなりなのだろう。
忍具使いというのも嘘ではないかも知れない。
ならば、人選から漏れたポイントはそこしかないのではないだろうか。
とは、さすがに本人に言うつもりもないが。
「ごめんなさいあんずさん。紹介が無いと」
譲っては、いけないと思った。
紹介制は親方の信条でもあったし、何より、カカシが心を尽くして選んでくれた紹介者たちが居るというのに、こんなごり押しが罷り通っては彼らに申し訳ない。
もちろん、カカシにも申し訳ない。
隙を見せないよう、まっすぐに彼女の瞳を見据えた。
「頑固ね。......ていうか、生意気」
言いながら、あんずは初めてその天使のような愛くるしい笑顔を崩した。
瞳が、驚くほど冷めた色に変わっていくように見える。
彼女はよく動くその赤い唇を歪ませた。
「あの写輪眼のカカシが後ろ楯だからって随分お高くとまってるのね。...アナタ、カカシと何回寝たの?」
「...、!」
答えを探すより、
彼女の言葉の意味を探すほうがずっと難しくて、
私は声を詰まらせた。
寝た、とは。
「...え?うっそ、やってないの?」
ケラケラと侮蔑の笑いが作業場に響いても、私は次の言葉を出すことが出来なかった。
ゆっくりゆっくり言葉の意味を噛み砕き、やっとのことでそれがお腹に落ちてきて、理解する。
どうやら男女のそれの話をしている、と。
「なぁんだ、アタシてっきり、そうしてカカシを手懐けたんだとばっかり。ごめんね、勘違いだったわ。...ふふふ、やぁね、でも。あのカカシが手を出さないんだから、アナタのこと本当にそういう対象として見て無いのね」
呼吸が速まって、心臓がキシキシと痛みだす。
私の痛みと比例するように彼女の眉間や口許は一層歪んでいくようだった。
「ねー知ってる?アイツすっごく女にだらしなくて取っ替え引っ替え。女の子いっぱい泣かしてるの。最低よね」
一瞬で、頭の血が沸騰しそうな。
「いい加減な、こと...!か、カカシのこと...そんな風に言うな!!」
絞り出した声は震えて、自分でも分かるくらいにか細かった。
その隠しきれない動揺を、あんずが鼻で笑った。
「いい加減?それはアナタの方じゃない?寝ても無いのにカカシのこと知った風に言わないでね」
多分アタシね、アナタよりはずっと彼のこと知っているわ。
そう言うとあんずの顔は満足したように天使のそれに戻り、また最初のようにふわりと微笑んで、やわらかな黒髪をたなびかせて踵を返した。
第8話 了
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