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「あいつ、ゆうべ帰ってきたらしいぜ」
冷蔵庫から勝手に出してきた麦茶を飲み干したアスマが言った。
彼はこの三ヶ月あまり、本当によくここへ来てくれ、今までのカカシの代わりと言わんばかり、クロガネの仕事の進捗や私の体調なんかを気にかけてくれた。
おかげで初対面のときの敬語やさん付け呼びはどこへやら、すっかり砕けた態度で接するようになっていた。
彼のいかつい外見がなんとなく親方に重なって見えることもまた、気安く接しやすい要因かもしれない。
カカシに感じる気安さとはまた少し違う。
心までは入り込んで来ないような、絶妙な距離感の人だった。きょうだいでも居たらこんな感じの存在なのだろうかと最近よく思う。
アスマの言葉が指すその人物が誰なのか、聞くまでも無かった。
私と彼の間で「あいつ」で通じる人物などカカシ以外居るはずもなく。
私は壁に掛かっているカレンダーを見た。絵や写真などもなく、大きな升目に日付だけが表記されている味気ないそのカレンダーは、至るところが誰それさんの納期、何々の資材入荷、という予定で埋められている。
忙しさに追われた三ヶ月。殊更ここ一ヶ月ほどは、仕事にのめり込んでいた。
忙しくして、忙しさに溺れて、余計なことを考えないように。
私はバクだ。
鍛冶屋クロガネのバク。
性別も名前も曖昧。そうしたものに左右されない。
そうありたいと、言い聞かせて。
「あいつ、お前に関しては心配しいだからな。すぐ此処に来るんじゃねぇか」
アスマが煙草に火を付けながらニッと笑う。
私がカカシの帰りを待ち遠しく思っていると見透かしているみたいに。
それは間違いではない。
待ち遠しい。
くだらないことで笑ったり、いつもの小言を聞いたり、一緒に食事を摂ったり─。そういうことを待ち遠しく思う気持ちは確かにある。
なのに、反面、会うのが怖いような気がしてるのは何故だろう。
怖い。
彼は私の心に簡単に入り込んできてしまう。
「来なくても、いいのに─」
「あん?なんだ任務に出る前に喧嘩でもしてたか?」
「...違うけど。カカシも疲れてるだろうから、あんまり私のことに気を回さなくてもいいのにって思って」
「そんなつれねーこと言ってやるなよ」
ぽん、と大きな手を頭に乗せられ、それが少しだけ気持ちを落ち着かせるのを感じて口許だけで薄く微笑んだ。
視線を上げると、目が合ったアスマは、口調のやさしさとは裏腹にどこか訝しげな面持ちで煙草をくわえてゆらゆらと揺らしている。
「なぁサキホ、ちっと変なこと聞いていいか?」
「?」
「お前ら─お前とカカシって、もしかして、付き合ってる。とか」
「な、な、な、...!!何言ってんのアスマまで...!!そんなことあるはず無い、し、あんな女ったらしなんて御免!!」
かっと耳まで熱くなって、気付くと両の拳をこれでもかと握り締めてアスマに向かって怒鳴り付けていた。
言い切ってから、は、と少しだけ我を取り戻す。
アスマが困ったように眉を下げた。
「おい何だ何だ、落ち着けよ」
「だって変なこと言うから!」
「変なこと聞いていいかって断ったろーに...。違ってたんなら悪かったよ、すまんすまん。......にしてもなァ、あいつがタラシだって?」
「......そうなんでしょ。人から聞いたんだもの」
「誰がそんなことお前さんに吹き込んだ」
いじめっこの告発を促す先生か親みたいに、極めて優しくアスマが問う。
勢いまかせにくだらないことを口走った自分を悔いた。
あんずの前ではいい加減なことを言うなと啖呵を切ったはずなのに、あの日の彼女とのやりとりが自分の根っこの部分に住み着いてしまっていると知る。
あんな言葉、信じてなんて、いないのに。
でも、とてもではないけれどあんずの名を口にすることが出来なかった。
彼女に浴びせられた嘲笑や罵倒を誰かに告げるなど、惨めになるだけなのは分かりきっていたから。
「......」
黙ったまま下唇を噛み締めていると、ふぅーと煙を顔に吹き掛けられてゲホゲホと咳き込んでしまった。
「なぁ、あんまりカカシを悪く言わねーでくれ。自分が大事だと思ったものは大事にする。そういう奴だよ。お前だって知ってるだろ、あいつの性格は」
それには、どう答えていいかわからなかった。
知っている、つもりでいた。
こどもの頃からの、忍としての確立された自意識、スタンス。
私の仕事にとことん付き合ってくれるような、情に厚いところ。
生活を疎かにする私を叱る、真摯なところ。
手先の器用さ。
笑った顔の、少し幼さのあるところ。
お好み焼きを食べて、ドキドキするって言っていた、彼のこと─。
よく知っているつもりで、いたのに。
寝ても無いのにカカシのこと知った風に言わないでね
あんずの高い声が頭の中でリフレインして、脳みそを揺さぶっているみたいだった。
にわかに吐き気がして、暑さのせいとは違う汗が吹き出た。
私、カカシのことよく知らないんだ。
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