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 麦野という苗字の頭文字を音読みして、バク。
 親方は私の父のことをそう呼んでいて、引き取られた私もそう呼ばれるようになった。同じ苗字なんだからそれで問題ねぇな、と親方は言った。


 問題、あったよ、親方。
 やっぱり勘違いしている人がいたよ。





 彼の姿を見た瞬間、心臓をぎゅうっと鷲掴みにされるような懐かしさに襲われていたのに、のろまな私の思考回路はその記憶を引っ張り出すのに少しの時間を要した。
 右目。
 マスク。
 銀の髪。
 彼を知っている。
 ほうじ茶を手渡したあたりで、ようやく記憶が鮮明な色を付けて脳裏に浮かんできた。
 自分が初めて造ったクナイを手渡した、あの瞬間がフラッシュバックしたのだ。
 それは大事な思い出。
 彼の名は。




「カカシ君」

 まだ、納得いかないといった面持ちで彼は睨むように私をまじまじと見つめていた。
 面持ちといっても彼の顔は右目しか見えていないので、その目の表情だけであるが。

「本当にアンタがバク?」

「見てわかんないものかな」

「オレの知っているバクは顔をほとんど隠してた」

 あっ、そっか、と私は思わず手を口に当てた。確かにそうなのだ。
 今でも作業をするときはそうしているが、あの頃も確かに、親方の作業を手伝うときは頭にタオルを巻き、鼻や口もしっかりと布で覆っていた。
 作業場は炉の熱で熱いからとても汗をかく。その汗をだいじな製品に落とさないようにするために、そうしている。
 そりゃあ、私の人相を知っているはずがなかった。
 性別を勘違いしたのも無理はない。バクという呼称に、あの頃のあの出で立ちでは。声色もまだ女っぽさのない、少年めいたものだったのだろう。

「じゃあちょっと待って」

 私は彼の前を離れて作業テーブルの横のキャビネットの前へ行き、その扉を開いた。
 キャビネットの中の上段には綴じた帳票や注文書の類い。
 下段右側には親方の私物、左側には自分の私物が置いてある。
 ああそうだここも片付けなくては、という考えが小さくよぎりながら、私は私物スペースの一番奥にある古ぼけた木箱を引っ張り出した。
 カカシの目の前でその木箱の蓋をゆっくりと開けると、彼は右目を見開いた。
 私があの時クナイを突き付けたときとまったく同じ表情だった。
 彼は箱の中のそれをそっと手に取って、少し眺めて、それから私の方を見て目を細めた。
 マスクの奥で、ククッと喉を鳴らして笑うのが聞こえる。

「なつかしーね、このクナイ」

「でしょ。十年前、あなたはそれを見てゴミと言ったけどね」

「いやーだってコレ。お世辞すら浮かばなかったからね」

 結構ショックだったんだから、と私がわざとらしく唇を尖らせ、でもそんなことより温かい懐かしさが二人を支配していて、お互いに笑った。
 あれは、私達二人だけの思い出だった。
 たった一度、ほんの数分限りのあのやり取りが。



式日