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 部屋の位置は五階。
 窓枠に脚をかければすぐ手前の木の枝に乗り移るくらいは出来そうだ。
 しかし落ちたら死ぬ。
 くるりと振り返り、部屋のドアがしっかりと閉まっていることを確認した。
 部屋の外にはいつも見張りが二名居る。
 脱走が見つかってもたぶん死ぬ。
 でも、このまま此処にいても恐怖と隣り合わせでいることに変わりはないと解った。
 それならば、小さな可能性でも自分で行動を起こしたほうが幾分ましじゃないか。


「...よし、」


 決めた。
 逃げよう。
 ドレスのスカートの裾が邪魔だったので、膝上までたくしあげてぎゅっと裾を結んだ。
 刃物があれば切ってしまえただろうけど、流石に警戒してか、私の目につく場所に刃物は無かった。

 窓枠に脚をかける。
 びゅお、と強い風が吹き込んで、少しだけ身体が煽られて仰け反った。
 深呼吸し、もう一度身を乗り出して眼下を確認した。
 地面が遠い。
 意を決したつもりでも、気持ちとは裏腹に膝ががくがくと震えている。
 なんで私は忍者に生まれなかったのか、と場違いな後悔に支配される。
 忍だったらこんな処ぴょんと飛び出して、木の枝を跳ねて何処へでも行けるのに。
 熱射病で倒れて、カカシに抱きかかえられて宙を跳んだことがあったな。
 朦朧とした微かな記憶だけれど、身体が浮く爽快感と、厳しい彼の面持ちだけははっきりと焼き付いていて。
 彼が居なければ、跳ぶことも叶わないのか、私は──。
 カカシが、居てくれたら。
 唇を噛み締め、せめて心に彼を思い浮かべる。
 錯覚でも妄想でも、一緒に居てくれると思い込もう。
 もう一度深く呼吸する。
 大丈夫、できる、ここから逃げなきゃ。

 おねがい、力を貸して─

「カカシ」

 祈るように、愛しい人の名を呼んだ。













「呼んだ?」













 遥か遠い地面ばかりを見つめていた私は、思いがけないレスポンスに息を止めそうになった。
 聞き慣れた飄々とした声がごく近くから聞こえたような。
 ゆっくり、ゆっくりと顔を上げた。
 声のした方向。
 それはすぐ目の前だった。人の体重で、木の枝が少ししなっている。
 風が吹いて相変わらず邪魔くさい髪が私の視界を遮って、それを振り払おうと、窓枠を掴んでいた両手を思わず離してしまった。
 ぐらりと身体がバランスを失う。

 あ、やばい。

 内臓が一瞬だけ重力を忘れて持ち上がる感覚。
 ─落ちる。
 死んでしまう?
 たった今目の前に、幻みたいにあの人が現れた気がするのに。
 ぎゅ、と目を閉じた。


 さあ。
 この瞬間か、それとも次の瞬間か、と地面にぶつかる衝撃を待ったけれど、何秒待ってみてもその時は一向に訪れなかった。
 代わりに、身体はがっしりとした腕に抱き込まれていて。
 今度は吹き上げるように風が私の前髪を払い除け、ようやく彼の顔をはっきりと捉えることができた。
 幻なんかじゃ、なかったらしい。
 銀の髪も、右目も、私を抱きかかえるこの腕の感触も、そこから触れる体温も、全部知っている。
 大好きな彼の。

「か、」

 カカシ。
 息をするのもやっとで、さっきは口にできたはずの彼の短い名前すら呼べない。
 戸惑いと、安堵と、愛しさで、涙が溢れるのが止められない。
 唇を噛んで嗚咽を堪えようとしたけれど、うまくいかずに情けない声が漏れだしてしまった。

「なぁんて顔してるの、花嫁さん?」

「...っふ、うぅ、...っく、」

「マリッジブルーってやつかねぇ」

 ぐしゃぐしゃに濡れた私の目元や頬を親指で拭いながら、困ったようにカカシが眉を下げて笑った。
 こどもか仔犬をあやすみたいに優しく、私の髪を何度か撫で付ける。

「でも大丈夫。オレがおまえをさらってやるよ」

 冗談めかしたセリフで、それでも真っ直ぐに私の目を見てカカシは言った。
 言葉をなくしたまま、頷いて、その胸に顔を埋めた。
 この腕の中に居れば、何処へでも行ける。
 彼の側以外、何処へも行きたくない。



第14話 了



式日