魔女と邂逅





「はじめまして、私はこの森の魔女」

庭に行き倒れていた男を拾ってみると、目を覚ますなり食べ物を要求された。とりあえず昼間に焼いたパンを与えたら、凄い勢いで食べ尽くし、一息つくなり今度はやけに礼儀正しく挨拶をされたので、私も名乗り返してみた。
男の名前はエースというらしい。

「……は? 魔女って、あの魔女か?」
「どんな魔女のことかは知らないけど、私はそう呼ばれているの。ちなみに、滅多に呼ばれないけど、ナマエという名もあるから、好きに呼んで」

予想通りの反応を見せてもらったことに満足して微笑めば、エースは驚いて丸く見開いていた瞳を徐々に訝しげに細めた。

「本当に魔女なのか?」
「明日、村に行って聞いてみたら? 今日はとりあえずこのまま家で休んでいっていいから」

空になった皿を流しに片付けて戻ってくると、暖炉に入れた薪ががしゃりと崩れた。もう寝るつもりで一度火を消したのを、エースを招き入れたときに急いで熾き直したのだけど、上手く出来ていなかったらしい。

「あーあ、すぐ火を起こし直すから、ちょっと待ってて」

そう言って暖炉に近づこうとすると、黙ったままのエースが私の前に歩み出た。不思議に思ってその背を見つめていると、そのまま暖炉の前にしゃがみ込む。そして、その指先から炎が飛び出し、燻るだけだった薪を大きく燃え上がらせる。
その光景に目を奪われ、言葉に詰まる。

「……すごい。エースは能力者ってやつなのね」
「魔女なのに魔法で火をつけたりも出来ねェのかよ」

揶揄するように笑ったエースの表情を見るに、私が魔女であるということは信じないことにしたらしい。

「魔女にも色々あるのよ。それ、なんていう実の能力なの?」
「メラメラの実」

メラメラ、そう繰り返し言葉にしてみれば、エースは薄く笑ってもう一度指先から炎を遊ばせて見せた。その語感や仕草から察するに炎を操る能力ということなのだろう。
悪魔の実を食べた人に会ったことは初めてだけど、その実がどういうものかということくらいはさすがに知っている。海に嫌われてまでも手に入れる悪魔の力。その中から炎を掴み取った男が目の前にいるのだと思ったら、なんだか急におかしくなってきた。

「へえ、なんだか運命的ね」
「運命?」

首を傾げたエースの向こうで、暖炉の薪が爆ぜて火花を散らした。それをしばらく眺めてから、ゆっくりとその瞳を見つめる。

「歴史でも物語でも、魔女っていうのは最後は炎に炙られるものなのよ」







□■□■







「おかえりなさい」

ノックされた扉を開ければ、朝この家を出ていったエースが立っていた。また戻ってきていいと言ったのは私なので、特に驚きはしない。それよりも、納得いかないと思っているのを隠す気もないその表情につい口元がゆるんでしまう。
笑いながら家の中に招き入れると、エースは今朝と同じ椅子に無造作に座った。何かを見定めようとするように、じいと私を見つめる視線。それを真正面から受け止めながら軽く胸を張る。

「それで、どうだった?」
「……確かに、どいつに聞いてもこの森には魔物が巣食っていて、その最奥には魔女が住んでるって言われたよ」
「ふふふ、ほらね」

今朝、朝食を食べながら村に行くと言ったエースに、この島に滞在する気なら今夜も泊まっていいと言ったのだ。それから村に行ったら、この森のことを聞いてみるといいとも。

キッチンでハーブのお茶を淹れたカップを二つ用意してから、エースの向かいに腰を下ろす。律儀に言われたお礼には微笑みだけで返せば、エースは何から聞いたものかと思案する間を取った後、ゆっくりと口を開いた。

「いんのか、魔物?」
「いいえ、確かに昼でも薄暗い鬱蒼とした森だけど、住んでいるのは人も襲わないような大人しい動物ばかりよ」

だよな、と納得したように頷いたところをみると、たぶん、ここに帰ってくる前に一通り森を散策して来たのだろう。そしてきっと、見つかったのはウサギやキツネばかりであったはずだ。

「百年前から姿を変えずにいるってのは」
「百年、は言い過ぎな気がするけど……もともとこの家に住んで魔女と呼ばれていた人がいたの。私の育ての師匠なんだけど、その人の若い頃と私の姿を見間違えた老人の話が羽でもつけて広がったんでしょうね」

淡々と答えるほどエースの眉間に皺が寄る。村人たちが口を揃えて語るこの森と魔女の話と、目の前にいる私の乖離に戸惑っているのだろう。

「……魔女は気まぐれで人を食うってのは」
「この島からいなくなった人間はみんな魔女に食べられたことになるの。私の両親もそう。実際は不貞の末の駆け落ちよ」

強い風が吹いたのか窓の外で草木がざわめいた。思わずその様子を眺めてから視線を戻すと、エースがじっと私を見つめていた。

「……本当に魔女なのかよ?」
「ええ、魔法は使えないけれど」
「じゃあ、何が出来んだよ」
「庭で薬草を育てて薬を煎じて、魔女も魔物も恐れずこの家を訪れた者にそれをあげたりとか」
「……ただの薬屋じゃねェか」

ぼそりと零れた呟きが面白くて声を上げて笑ってしまったけれど、エースはどこか不機嫌そうだ。おそらくは、他にももっと私を悪く言う話を聞いたのだろう。
村で起こる災いや厄介事はすべて魔女のせいにされる。忌み嫌われ、侮蔑や憎悪を向けられることも少なくはない。

だけど同時に畏怖されてもいるのだ。子供や恋人、両親を助けてくれとこの家を訪れた者たちはみんな、代わりに金や食べ物を置いていく。それによって私の生活も成り立っているわけで、別にどれだけ悪く言われようとそれが役割なら仕方ないと割り切ることは、とうの昔に覚えている。だから、何もエースが怒る必要なんてない。
そう思いながらも、それを口に出来ないのは、目の前のその優しさに居心地の良さを感じてしまったからなんだろう。

「どう? これがこの島の物語の裏側よ」
「この島のやつらはみんな本気でそれを信じてんのか?」
「信じたいのよ。この島の人間はみんな、物語に囚われているの。退屈な暮らしや、島から出る勇気もないだけの自分を、物語のカードを演じることで慰めているんだから」

私の言葉の意味がいまいち理解できない様子のエースを、それはそうだろうと頷きながらお茶を一口飲む。

「朝はしっかり話す時間がなかったけど、何も知らずにこの島を訪れた人なんてエースが初めてなのよ」

ここはいくつもの島々が連なる諸島。しかし、その海流は特殊で一番最初の島から順々に渡り継ぐことでしか、それぞれの島に行くことは出来ない。一度島を出た船は、ここより下流の島を通り、そして再び最初の島へ向かわなければ二度とは戻ってこられないのだ。
それゆえに、諸島といえども島同士の交流はほとんどなく、それぞれが固有の文化を築き上げている。

時々訪れる旅人によって、ここより上流の島々の様子を聞き知ることはあっても、その先にどんな島がいくつあるのかは誰も知らない。今まで誰一人として、再びこの島に戻ってきたものはいないのだから。
それが、二度も訪れる価値もないと判断されたからなのか、あるいは戻ることの出来ない何かがこの海流の先にあったからなのかは分からない。だけど、そんな歴史が続くほどに人々は島を出ることを恐れるようになった。今となっては、海に出ようとするのはのっぴきならない理由で島を追われたものか、余程の変わり者だけだ。

「──だけど、物語を信じている限り、ここは魔女の棲う島で、そんな特別な島で生まれ育ったと思い込めるのよ」
「なるほどな、それで今朝はあんな反応をしたわけか」
「そうよ、そんな妙な船で来てるなんて思わないじゃない」

椅子の背もたれに寄りかかりながら話を聞いていたエースが「妙ってな……」と口を曲げて身体を起こす。

「ねぇ、エースはこれからその島々を巡るつもりなんでしょう?」
「まァ、そうだな」

エースがこの島を訪れた理由は、彼が海賊であることも含めて今朝聞いていた。家を出ていくエースの後ろ姿を眺めながら、もしもまたここに帰ってきてくれたら言ってみようと思っていたことがあったのだ。

「旅の人の話では、海流が問題なだけで島同士の距離は近いらしいの。だから、この付近の島にいる間はこの家を宿として使ったらどう? 食事もつけるわ」

そう言えば、不満げだった表情が一瞬で明るくなるのがわかった。昨日から思っていたけれど、随分と感情が顔に出やすいらしい。つられて私まで笑ってしまう。

「いいのか?」
「ええ、こうして誰かと話すのも随分と久しぶりだからエースが来てくれて実はとっても嬉しいのよ」

森の中から鳥の鳴き声が響く。高く澄み渡る、美しい声だ。だけど、森へ行けばこの声もまた恐ろしい魔物の声と囁かれるのだろう。





silent filmback