魔女と物語の終わり



月のない夜には魔女の力が弱まるのだと、そんな噂が村人の間でまことしやかに囁かれるようになった。そして、予想していた通り、若き首長と彼に率いられた兵たちがこの家へとやってきたのは次の新月の晩だった。
抵抗もせず、薄ら笑いを浮かべたまま捕らえあげられた私のことを、兵の一人が「気色の悪い」と蔑んだ。そうして数日を牢獄で過ごし、今はこうして村の広場で磔にされている。

高く積み上げた材木の上に立つ柱に磔とされた魔女。後ろ手に縛りあげられた荒縄が肌にくい込んで痛いが、不思議と恐怖はなかった。
顔を上げれば、小高い丘の上にあるこの広場からは、私の森を見下ろすことが出来る。あの森もまた、私が処刑された後に燃やされるのだろうか。住み慣れたあの場所が灰となるのは少し悲しい気がした。だけど、森はいつかまた生まれ変わり、今と同じだけの緑を茂らせる頃、新たな魔女の物語もまた生まれるのかもしれない。

そして、その森の向こうにあるのが、どこまでも広がる青い海だ。
エースが出ていったあの日から、毎朝、庭の畑の手入れを終えてから海を眺めに行くのが日課となった。伸ばされた手を振り払っておいて、あの水平線の向こうから再びエースが私を迎えに来てくれることを夢想するなんて、あまりにも滑稽だと自嘲しながら、それでも足は自然と海へ向かっていた。

いつかまたエースがこの島を訪れた時、まず目にするのは黒く焼け落ちた森の姿だろう。そして急ぎ村へと向かい、悪い魔女が英雄の手により捕らえられ、火炙りに科されたことを知る。
私の死を受けてエースはどんな顔をするのだろう。愕然と言葉を失い、怒るだろうか、それとも悲しむだろうか。立っていられぬほど涙を流してくれるだろうか。

そのどれもが上手く思い描くことが出来なかった。エースのことを表情の豊かな男だと思いながら、結局そのほとんどを私は知らないままだったのだと、今さらになって惜しくなる。

「村の者よ、よく聞け! ここに悪名高き魔女を捕らえた!」

高らかに宣言された首長との声と、村人たちの歓声によって我に返る。私を取り囲むように広場へと集まった人々、その中にはかつて薬を与えた者も多くいる。そして、その顔に浮かぶのは、嘲りや嫌悪の色。かつて魔女へと向けられた畏怖の念はもう感じられない。代わりにみなの憧憬は、大時代的な言い回しで昂然と口上を述べる男へと注がれている。

そしてその首長の指示で、松明を持った兵が、組み上げられた材木へと火を放った。一気に勢いを強めた炎が大きな渦となり私を包み込もうとする。

「……あぁ」

すぐに身を焼く熱さと痛みで悲鳴が漏れるに違いないが、せめて魔女らしく今だけでも笑みを浮かべようか。そんなことを思いながら炎を受け入れようと、口の端へ力を込める。だけど、それは叶わなかった。
私を焼き尽くすはずだった炎が、私を避けるようにして立ち上ったのだ。村人から見れば、私は炎の渦の中にいるように見えるだろうけれど、実際は私と炎の間には数センチ以上の隙間がある。

予想外のことに呆然と言葉を失っている間に、あろうことか炎は形を変え、村人へ向けて襲いかかった。当然のように村人は逃げ惑い、広場の外へと向けて走り出す。その中には次の物語の主人公となるべき英雄の姿まであった。

「本物の魔女だ!」と誰かが叫ぶ声がする。それを聞いて思わず、力の抜けた笑いが漏れてしまった。心の奥底では私を魔女だなんて思っていなかったくせに、彼らはこうして私に火を放つことが出来たのだ。その無邪気な残酷さが何故か急におかしくなってしまった。
──ああ、なんて憐れな島。なんて可哀想な人たちだろう。それは無論、抵抗もせず刑を受け入れた私もまた。

炎がまた形を変え、私を縛りあげていた縄を焼き切る。広場から逃げ去る人の群れの中で、母親に手を引かれた少年がこちらを振り返っていた。それは前に村のマーケットで出会った少年で、その瞳は丸く見開かれている。少年の視線の先を追うように顔を上げれば、本当はずっと待っていた男の姿がそこにはあった。

「……エース」
「よォ、随分とひでェ目にあってるじゃねェか」

帽子を被り直しながら闊達に笑ったエースが、指先の動きひとつで轟々と燃え上がる炎を収めた。村人はもう誰も残っていない広間で向き合いながら、その存在を確かめるようにじっと凝視する私を見て、エースは軽く肩を竦めた。

「そんな目で見なくても、おれは夢でも幻でもねェよ」
「なんで、ここに」
「あー……使い魔の勘ってやつ」

照れくさそうに頬をかいたエースが言った「使い魔」という言葉には覚えがあった。村の市でエースを使い魔と呼んでから、私たちの間では何度かそれを揶揄う冗句が交わされていた。こんな場で、そんな緊張感のないやりとりを思い出させられて、つい笑ってしまう。

「よく出来た使い魔ね」
「困った主人がいるからな」
「あら、意地悪」

あの日の私たちの別れも、こうして再会したことも、すべて物語のシナリオに組み込まれていたことを知っていたような調子で軽口を叩く。そんな自分を不思議に思いながら、磔にされた柱の上で恐怖を感じなかったのは、村人によって放たれた炎が私を焼くことの出来ないことを知っていたからではないかとも思ってしまう。私を焼き尽くす炎など、この世界でひとつしかないのだから。

そうして落ち着きを取り戻し始めた私とは反対に、エースは急に情けなく眉を下げ、私の腕を掴んだかと思うと、そのまま胸の中へと掻き抱いた。

「……ほんと、意地が悪いのは、どっちだよ」

よく鍛え上げられた胸板へ顔を押し付けられて、今のエースの表情を見てとることは出来ない。だけどその声は、泣いてしまう寸前のようなか細さだった。

「磔にされたナマエを見て、おれがどんな気分になったか分かるか」
「……怒った?」

そう問えば、エースは躊躇いもなく大きな溜め息を吐き出した。

「怒ったし、すげェ怖かった……俺以外の炎に焼かれようなんてしてんじゃねェよ」
「うん、ごめんなさい」

もう一度私を抱き直したエースの背に腕を回す。そうしてしばらく互いの体温を確かめ合ってから、エースは何も言わずに私を抱き上げた。広場の外に様子を窺いに戻ってきた兵たちの気配を感じる

「言い忘れてたことがあったんだ」

エースの顔を見つめれば、その眼差しの熱量に目が離せなくなる。

「ナマエをここで魔女にしておきたくねェとか、建前ばっか並べて、おれがお前と離れたくねェだけだってそれを言うのを忘れてた」

兵たちの持った武器の揺れる金属音が広場に押し入った時、エースは私を抱えたまま軽々とそこを飛び出した。連なる家々の屋根の上を渡って広場から遠ざかる私たちの後ろで、炎も消え魔女の姿もないことに戸惑う人々のざわめきが聞こえる。

「なァ、ついてきてくれるだろ?」

それはもう決まりきった事柄を再確認するような気楽さでエースは笑った。
魔女であることを奪われることが怖かった。物語から弾き出されることが怖かった。その一方で、本当はずっと、物語の筋道など関係なく、私自身を愛して欲しいと願っていた。だけど、私を産んだ母親が迎えに来てくれることはなかったし、先代も死ぬまでずっと私に魔女になることを強いていた。だから、これは願ってはいけない望みなのだと鎖をかけたはずだった。その桎梏しつこくが、こんなにも簡単に崩れ落ちていく。

「……もう、連れ出してるじゃない。でも、私もずっと、エースと離れるのが寂しかったの」







□■□■







カタカタと小鳥が窓をつつく音が響く。毎日エサをくれてやっていたせいで、最近では今日の分の催促をするようになったのだ。戸棚から薬瓶を取り出しながら、「来客中だから少し待っていてね」と目配せをすると、心が通じたのか小鳥は飛び去り、近くの木へと羽を休めた。
その様子に思わず頬を緩めてしまってから、机の上に取り出した薬瓶を置く。

「かぶれてるだけだから、この薬を塗れば数日で良くなるわ」

赤く爛れた腕を擦りながら顔を顰めていた男の顔に、少しだけ安堵の色が戻る。町の宿屋の主人が「つらそうだから、診てやってくれ」と気遣わしげに連れてきた旅の男だった。

「いや、助かった。痒いし痛くて夜も眠れなくて、先生には何かお礼をしなくちゃな」
「代金は貰うんだから気にしなくてもいいわよ」

向かいの椅子に私も腰を下ろすと、男は思案するように首をひねった。

「そうか……じゃあ、おれの旅の面白い話でも聞かせようか」
「あら、それは楽しみ。本当に面白かったら、少しだけ薬代を安くしてあげてもいいわよ」
「おおっ、そりゃとびっきりの話を選ばねェとな。そうだな、とある島の話なんだが──」

──それは、かつて魔女がいたと云われる島の話だった。島の外れの鬱蒼と木々の生い茂る森の中で、魔女は魔物たちと共に孤独に暮らし、時折、村に下りてはその魔法で人々の病を癒した。
──しかし、時は移ろい、人々はしだいに魔女に対する敬意を失った。そして、ついに若き男が罪なき魔女を捕らえあげてしまったのだった。裏切りを憂いた魔女は、燃え上がる炎の中で己の使い魔を呼び出した。それは、赤く燃える炎の使い魔だった。
──魔女は消えるように島を去り、人々は己の過ちを嘆いた。しかし、そんな罪さえ赦すかのように、魔女の棲んだ森はその後、豊かな実りを村人にもたらした。
──その森は魔女の森と呼ばれ、大事に守り継がれている。そして、人々は口々にこう言うのだ。魔女と使い魔は恋に落ち、この世界の片隅で今も幸せに暮らしているのだと。




「ちょっと、先生! なんで泣いて……!」
「……ごめんなさい、気にしないで。どうもそういう話に弱い質なの」

堪えきれなかった涙が、ぽろぽろと大粒の雫となって頬を伝う。旅の男があわあわと狼狽して、椅子から立ち上がろうとするのを片手で制する。
涙を拭いながら少しだけ微笑めば、男はほっと胸を撫で下ろした。

「そうね……私も、その魔女はきっと、とびっきり幸せになったと思うわ」

その島が私の故郷であること、ましてや、その魔女が私であることも教えはしない。
島を出た私たちがどんな旅をして、何を見て、何を語ったのか。そして、何を選び、今に至るのか。そこから先は私たちしか知らないハッピーエンドの裏側だ。

立ち上がり、窓際に置いた真鍮の砂時計をひっくり返す。中に入った粒子が陽の光を浴びながら、さらさらと流れ落ちていった。

「変わった砂時計だね、中に入っているのは砂というより灰にみえる」

興味深そうな男の声を聞きながら、止まったはずの涙が一粒だけ最後に頬を伝った。

「ええ、私を焼き尽くした愛の欠片よ」







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