残酷なこと




朝起きてカーテンを開けると、真っ青な空が飛び込んできた。
最近は雨の多い日が続いていたから、こんな快晴を見るのは久しぶりな気がする。眼下の歩道を、小学校に向かうのであろうランドセルを背負った子どもの列が並んで歩いていて、思わず微笑んでしまう。
今日はきっと暑い日になるだろう。そして、そんな日に休みなんて最高だなと、もう一度ベッドに潜り込んだ。


「あっ、爆豪じゃん」

あれから少し二度寝を謳歌して、起きるとお腹がすいてきたから着替えて街へと繰り出した。平日とはいえ、そこそこ人の多い繁華街。土日だったらもっと混むんだろうな、と思いながら歩いていたら、向かいから見慣れた姿が歩いてきた。
目が合って一瞬、面倒くさそうに瞳を眇めた爆豪が、それでもちゃんと私の前で足を止めてくれる。

「奇遇だねえ。爆豪も休み? なんか私ら休みの日、被りがちじゃない?」

ケラケラと軽快に笑う私とは対照的に、爆豪はぶすっと口を引き結んだまま私を見下ろしている。私たちを避けるように流れていく人の波に視線を向けると、ゆっくりと爆豪が口を開く気配がした。

「……一人なんかよ」
「うん、一人だよ。ご飯食べに行こうと思ってたとこ。爆豪も来る?」

気兼ねなく誘ってはみたけれど、まあ、ついてくる確率はフィフティ・フィフティくらいかなと見積もってみる。
私からの突然の誘いに少し面食らったようだった爆豪は、しばらく逡巡するように視線を逸らし、それからもう一度、私を見据え直した。

「仕方ねえ、付き合ったる」




お昼時を微妙にズレていたせいで、人気店ではあるけどすんなりと入ることが出来た。最近よくネットで見かけるカフェ。淡いパステルカラーで統一された可愛らしい店内で、あまりに可愛くないイライラとしたオーラを出しまくる目の前の男。

「……ンで、こんな店なんだよ」
「ここに来たくて出かけてたんだから仕方ないじゃん」

運ばれてきたばかりのオムライスについていた、可愛らしいウサギの描かれた旗を抜き取る。隣の席の女の子がスマホで料理の写真を撮り始めたのを見て、私も撮ろうかと旗を持った手をさ迷わせたけど、結局面倒くさくなって普通にスプーンに持ち替えた。
むしろ、目の前でハート型のハンバーグを睨みつけている爆豪の方が面白いから、こっちを写真に撮りたい。

「いやあ、爆豪浮きまくりだね。さすがに面白い」
「笑ってんじゃねーぞ」
「これさ、私たちだってバレて撮られたりしてないかな。どうしよ、爆豪と熱愛報道出ちゃったら。コメント考えとこ」

スプーンでオムライスの卵を破ると、とろりと中の半熟が流れ出してきて感動する。爆豪に「見て!」と声をかけようとして顔を上げたら、そこにあった表情がやけに真剣だったから何も言えなくなる。

「……いいんかよ、俺とで」
「え?」
「おまえ、アイツのことが好きだろ」

アイツと声に出さないまま繰り返して、それがすぐに「好き」と言われたことと結びつく。そこに浮かび上がってくる彼の姿。
言い当てられたことにわずかに動揺はしたけど、まあ爆豪だしなと納得もする。

「あー、轟くん? やっぱ気づいてた?」
「視線がうぜぇんだよ」
「うざいは酷くない?」

あはは、と笑いながら、スプーンで掬ったオムライスを口に入れる。トロトロの卵とデミグラスのソース。それをアイスティーで流し込んだ。
カラン、と氷とグラスのぶつかり合う軽快な音。

「でもまあ、轟くんは気づいてないしね。たぶん、私が自分のことを好きだって可能性すら、一生考えないよ」

何の感慨もなく言ったつもりの私の意思に反して、随分と感傷的な声になってしまった。そんなわけないのに、まるで轟くんを好きでいることで傷ついているみたいになってしまって、慌てて言い直そうかと思ったけど爆豪が話し出す方が早かった。

「でも、おまえは気づいてんだろ」
「えー、何が?」
「ナメてんじゃねェぞ」

隣の席の女の子たちが楽しそうに笑っていたから、私も似たような感じで爆豪に笑ってみせたら怒られた。
爆豪が言う、私が気づいていること。あの暑かった三年生の夏の蝉の鳴き声がよみがえってくる。爆豪は私が好きだ。あの頃からずっと。だから、私の誘いにのって一緒にご飯を食べてくれるし、こんな可愛いカフェにだって文句を言いつつ入ってくれる。
私と同じ、一方通行の恋心。

「うん、気づいてたよ。爆豪も視線、ウザかったから」
「あ?」
「怒んないでよ。そんなドスの効いた声出すと本当にバレるって」

冗談じゃんと笑って言えば、爆豪は苛立った様子で軽い舌打ちをした。そして、目の前のお皿のハンバーグをぶすっとしたまま食べ始める。ハートの形が欠けていく。
爆豪のいう轟くんを見る私のウザい視線ってどんな感じだろうなと想像した。あの真っ白い世界で轟くんを初めて好きだと思ったあの日から、私の世界の真ん中は轟焦凍で回ってる。轟くんが嬉しかったら私も嬉しいし、轟くんにとっての悲しい出来事なんて何も起きなければいいと願ってる。
だけど、そんな視線まるごと受けてるはずの轟くんは、私の気持ちに気づかない。

「ねえ、爆豪」
「んだよ」

呼べば返事をしてくれる爆豪。きっとこれも私への好きの欠片なんだろう。爆豪も、私が轟くんを想うのと同じように私のことを好きなんだろうか。そこまでは分からないけど、私はちゃんと爆豪に好かれていることに気づくことができた。
店内に流れる音楽が変わる。流行りの恋愛ソング。爆豪が手を止めて私を見る。私も爆豪を見つめる。

「自分に向けられた好意に気づいているけど知らないフリをするのと、最後まで本当に気づきさえもしないのって、どっちが残酷だと思う?」

爆豪が一瞬、驚いたように目を丸くした。それから眉間にシワが寄る。

「……どっちも最悪だわ、死ね」

苦しげに呟かれた爆豪の声は、楽しげな女の子の笑い声に飲み込まれた消えた。だけど、私の耳にはちゃんと届いていたから笑って「そうだね」と頷いた。それでも、爆豪は私のことを好きなことをやめられないんだろうと確信している。私が、轟くんを好きでいることをやめられないのと同じで。



△ ▼ △ ▼




視界いっぱいの空を雲が風にのって流れてゆく。青と白のはっきりとしたコントラスト。
さっきまでの緊張感が少しゆるんだ遠くの喧騒を聞きながら、今日も無事にヴィランを倒すことができたことに安堵する。多少は建物の被害は避けられなかったけど、怪我をした人もいないし、概ねは納得のいく仕事ができたはずだ。

「みょうじ、なにやってんだ」

そんなことをぼんやりと考えていたら、目の前に逆さまの轟くんが現れる。否、正確には逆さまなのは私だけど。

「最後のドでかい攻撃の衝撃抑えきれずに、吹っ飛んじゃって。急いで戻ろうかと思ったけど、戦闘終わったっぽいから助けが来てくれるの、引っ掛かりながら待ってました」

照れたように笑うと、轟くんは少し難しそうな顔をした。私に呆れているのではなくて、私を吹き飛ばし、さらに轟くんの氷に引っかかることになったことに申し訳なさと心配を感じてくれているのだろう。そんなの全部、私の不甲斐なさが原因なのに。

「手、貸すか?」
「うん」

差し出された轟くんの手を取る。こうしていれば氷を溶かしに来た轟くんに助けてもらえるんじゃないかって、打算的な考えをしていた。それがまさか本当にその通りの展開になるものだからバツの悪さが少し込み上げる。

轟くんの手のひらの体温。そこに触れるだけで、私の心臓は猛スピードで心拍数を上げていく。燃えるように身体が熱くなって、これだけでこの氷全部、溶かせちゃうんじゃないかと思った。

「溶かすぞ」
「はーい」

でも実際、流石にそんなことは出来ないから、轟くんが氷を溶かしてくれるのを待つ。引っかかりが取れたところで、轟くんの手を握りながら体勢を立て直して着地した。
私がしっかりと地面に降りたことを確認すると、私を支えてくれていた手が離れていく。なんの名残もなく、あっさりと。その隣で、私は手のひらに残った轟くんの体温を閉じ込めるようにぎゅっと握りしめる。

「冷たかったろ」
「ううん、暑いからひんやりと気持ちよかったよ」
「ああ、今日暑ィよな」

轟くんが太陽の光を眩しそうにしながら空を仰ぐ。暑い、なんて言いつつも、轟くんの表情はどこか涼しげだ。首筋に汗の粒も見えやしない。
自然と思考があの冬の日へと飛んでいく。しんとした静寂と、凍てつくような冷たい空気の中で、私だけが熱く沸き立つ恋へと突き落とされた。あのまま時が止まってしまったみたいな、精巧に削り出された彫像を思わせる轟くんの横顔から目が離せない。

「轟くんは、綺麗だね」

ヒーロー名で呼ぶことも忘れるくらい、見蕩れて締りをなくした唇から転がり落ちてしまった言葉に、轟くんが瞳を丸くする。あっ、流石に突っ込んだことを言いすぎたかなって内心ひどく焦る。
だけど、轟くんはすぐに何か得心がいったように頷き始めた。

「なんか雑誌の話か。イケメンランキングみたいなのに載ったって、サイドキックに言われた」

真顔でそんなことを言う轟くんに、私の方が面食らって唖然としてしまう。轟くんが言っているのは、たぶん、先月に発売された人気ヒーロー雑誌のことだ。読者を対象にとったアンケートで、年々順位を上げていた轟くんがついにイケメンランキングのトップを飾ったことは女子の間でも話題になった。

「そうそう、それ。やっぱりカッコイイなって」
「自分じゃ、分かんねェけどな」
「えー、ショートみたいなヒーローに助けられたら、みんな好きになっちゃうよ」
「みょうじもか?」

何ひとつ含むものもなく、ただの素朴な疑問として投げかけられた言葉。それに一瞬で心臓を凍らされる。それでも慌てて表情を繕い直す。

「もちろん、メロメロだよ! 乙女心がキュンキュンしちゃうと思う」

両手を胸の前で握りしめて必死さをアピールすれば、轟くんが「なんだそれ」と笑ってくれる。私も一緒になって笑ってみせる。
珍しい轟くんの笑顔。それを見ていると、やっぱり好きだなと思う。轟くんが笑ってくれるなら、いつでも、誰相手でもいいけど、この笑顔を引き出せたのが私なんだということは、やっぱり嬉しい。

それと同時に、少し前に爆豪に会ったときのことも思い出していた。
たぶん、私が自分のことを好きだって可能性すら、一生考えないよ。
そう言って語った私の声。あれは限りなく真実なんだと思う。だから轟くんのことを好きな私に、こんなことを衒いもなく言えてしまえるのだ。その残酷さにも気づかずに。

「わっ」

強いビル風が私たちの間を吹き抜ける。この暑さで熱された生ぬるい風。そういえば、今朝のニュースで梅雨明けをしたと言っていたのを思い出した。今日の暑さなんて、まだまだ序の口で、これからもっと茹だるように暑くなるのだろう。

「もうすぐ本格的な夏だね」

轟くんが私を見つめる。そこにはやはりどこか、あの季節をまとわりつかせてしまっている気がする。綺麗で儚くて、どうしようもなく遠い。
道端に植えられたプラタナスの葉がざわざわ揺れる。地面に落ちた色の濃い緑陰が形を変えていく。

ふと、海に行きたいなと思った。何がこんな思いつきのトリガーになったのか分からないけど、轟くんと海が見たいと思った。
思えば、ヒーローになってから、ちゃんと海に行ったことってないかもしれない。別に遠いわけでもないのに、休みといったら近場で買い物を済ますくらいで、わざわざそうしたレジャー地に足を運ぶようなこと、滅多になくなっていた。

別に海水浴がしたいというわけじゃない。ただ、轟くんと広い広い海を前にして、果てのない水平線と真っ白な入道雲を見たい。ちらり、と隣を見上げて、そこに轟くんの横顔があったら、私はとても幸せになれるだろうなと思ってしまった。
轟くん、と彼の名前を呼ぶと、左右で色の違うガラス玉みたいな瞳が私を映した。

「もっと暑くなったらさ、海に行こうよ」





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