君が世界を覆ってく


溢れ返る雑踏。四月の駅の朝はどこか浮ついている。真新しい制服に身を包み、どこか少しぎこちなく友人と会話をする高校生を見ていると、私だってその制服を脱いで、まだやっと一年が経ったばかりだというのに随分と遠い日々の出来事のように感じる。

青春。長いようで短かったあの時期を思い出すとき、私はいつもある一人の男の名前を思い出す。いや、そんな甘いものではない。
私の青春は、三井寿がすべてだった。

中学三年生のとき、たまたまバスケ部のキャプテンがいた私のクラスは全員で県大会の応援に行くことになった。バスケなんて今まで授業以外で触れたことがなかったし、キャプテンだったクラスメイトだって、バスケ部員として意識したこともなかった。だから正直、わざわざ暑い体育館に行くなんて、と口には出せない悪態をつきながら渋々応援にいったはずだった。
そこで、私の人生における青春そのものと出会ってしまうとも知らずに。

今でも鮮明に思い出せる。
体育館のむせ返るような熱気と歓声、ボールが跳ね返る音。クラスメイトを応援する友人の隣で、私の瞳はただじっと相手校の選手を捉えていた。
武石中、三井寿。試合前に友人が言っていた、県内ではそれなりに名の知れた選手だという彼の声だけが、彼のバスケットシューズが床を蹴る音だけが、雑多に溢れる音の中で特別な響きを持って私の鼓膜を揺らした。
そして試合終盤。私の学校が一点のリードをし、試合も終わりを迎えようとしたとき、三井寿の投げたボールが吸い込まれるようにゴールに入った。一瞬遅れた歓声も耳に入らないくらい、私はあの瞬間、青い春に落ちた。

それからの私の行動はあらかじめ決められていたかのように早かった。試合の翌日、早速クラスメイトに三井寿のことを聞いた。彼ほどにもなれば、おそらく色々な高校からスカウトが来ているだろう。だけどきっと、三井は陵南に行くんじゃないかな。その言葉を信じて、即座に志望校を変えた。
普通に公立校を受けると思っていた両親は面食らったようではあったが、それほど難色は示さずに陵南の受験を許してくれた。

そして勉強に励んだ私は無事に陵南高校に入学した。しかしそこに三井寿はいなかった。
クラスメイトのバスケ部員、魚住くんに三井寿の話をしたら中学MVPにもなった彼のことを当然知ってはいた。だけど彼が結局どこの高校に行ったのかということは知らないという。
きっと他の強豪校に行ってしまったのだと肩を落としながら、それでもまあ彼の試合の応援に行こうとは心に決めて以降の県大会の出場校のメンバーを見せてもらったりしたけど、そのどこにも三井寿の名前はなかった。
もしかして県外の高校へ……?と頭を抱えながらも、私は密かに三井寿を探し続け、バスケ部員でもマネージャーでもないのに、無駄にバスケのルールや全国の高校バスケについて詳しくなった。そんな中、高校三年生、予想外の形で三井寿と再会することになった。

結局三年間ずっと同じクラスだった魚住くんがある朝、「みょうじ、三井がいたぞ」と言ってきたのだ。あまりの衝撃に思わず魚住くんに掴みかかってしまった。朝からバスケ部主将の胸倉を掴む帰宅部女子という異様すぎる構図をクラスメイトはぎょっとした目で見ていたのは忘れられない。
とにかく、三井寿は湘北高校にいるらしい。湘北?と一瞬首を傾げてしまったものの、県内の高校は一通りチェックしていたので、湘北バスケ部の公式戦のメンバーにこの二年間、一度も三井寿の名前がなかったことは知っていた。それが何故いきなり?転校とか?と思いながら、半信半疑で次の湘北のインターハイ予選を見に行った。

そこには確かに三井寿がいた。
雰囲気は中学のころから随分と変わり、なんだかワイルドになってはいたけど、あの美しいフォームは紛れもなく三井寿だった。
もしかしてバスケを辞めてしまったんじゃないか、なんて心配していたので、彼が再びコート上にいることが嬉しくて、両手を挙げて踊り出したい気分だった(家に帰ってから実際に踊った)。

それからその夏はずっと陵南そっちのけで湘北の応援をし続け、インターハイへの出場が決まったときなど、綾南が出場を逃したことなど忘れて、魚住くんに祝杯をあげないかと炭酸ジュース片手に声をかけてしまった(魚住くんは優しいので何も言わずに付き合ってくれた)。

そうまでして三井寿を応援しながら、私は別に彼にファンとして認知されたいとか、お近づきになりたいとか、そういう思いは一切なかったのだ。湘北の流川くんには随分と熱心な女子ファンがいたけど、そんな真似はしなかったし(そういえば三井寿の応援弾幕を掲げるガタイのいい男子生徒もいた)。ただ、少しでも長く三井寿がバスケをしている姿を見ていたかった。それだけだった。

無論、私は貯めていたバイト代をはたいてインターハイが行われる広島まで行き、湘北の試合を観戦した。二回戦、山王工業との戦い。ボロボロになってもコートを駆ける三井寿の姿を見て、そして彼らの勝利に、私は崩れ落ちるほど泣いた。
今までも彼の試合を見て涙ぐんだことは幾度となくあったものの、あんなに泣いたことは初めてだった。だけど、あの会場には、あの試合を見て涙を流した人が他にも多くいた。私もただ、その一人にすぎなかった。

それでいい、これで終わりにしよう。
歓声の降り止まないコートを見つめながら、私はあの試合を最後に三井寿を追いかけることを止めた。三井寿という名前の青春に別れを告げた。

それからは夏休みを終え、受験生としてのフェーズに本格的に突入し、大学受験を終えた私は無事に次の春から大学生になった。三井寿があの後どうしたのかは知らない。バスケを続けるために大学に行ったのだろうか。大学バスケの情報は意識的に耳に入れないようにしているけど、出来ればバスケは続けてくれていたらいいなと思う。
すっかり習慣になってしまったBリーグの試合観戦は続けているので、ある日どこかで三井寿の名前を見かけたら、今度は青春ではなく、大人の趣味のひとつとして彼の応援をしよう。









「なんか、今日は人が多いな」

そんなかつての青春へと思いを馳せながら辿りついた大学の校内は、いつもより人が多いような気がする。そこでふと掲示板を見て、ああと納得した。この大学は二年次からの共通科目の講義は、ここのキャンパスで行われるものが多いから、昨年までは別キャンパスにいた学生を一気に見かけるようになったのだ。

「あの、201の講義室って」

掲示板を前にうんうんと頷いていたところに、背後から声をかけられ慌てて振り返る。そして思わず目を瞠った。

「え……三井、寿」
「は? なんでオレの名前」

慌てて口を押さえるも、もう遅い。見間違えるはずもない私の青春が今目の前にいて、怪訝そうに私を見下ろしている。





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