永遠の春をまっていた


三井くんと目が合った瞬間はほんの刹那であったはずなのに、一生分の鼓動を使い果たしてしまうんじゃないかというくらいに心臓がけたたましく脈を打つ。

「あ、気づいたな。ここに来ますよ」

隣で呑気な声を出す仙道くんは、一体どこまでこの展開を読んでいたんだろう。私は今日確かに、この恋を終わらせるつもりでここに来たはずなのに、今胸を占めているのは隠しようのない期待だ。
こんなにも簡単に私の覚悟は塗り替えられてしまった。

「おい、仙道。次だぞ」
「はーい」

振り返ればユニフォーム姿のまま、まだ首元に汗を滴らせる三井くんの姿。ついさっき試合の中でも姿を見ていたはずなのに、今こうして目の前に現れた三井くんとひどく久しぶりに会ったような気がする。
仙道くんが三井くんの隣を過ぎ去ろうとしたとき、不機嫌さを隠そうともせずに三井くんが声をかけた。

「……何、話してたんだよ」
「オレがなまえさんを好きだった話ですよ」
「は?」

驚きと怒りの混ざったような三井くんの声を気にもとめず、ひらひらと手を振りながら階段を下りていってしまった仙道くんを私もただ呆然と見送るしか出来ない。
仙道くんの姿が見えなくなってから、勢いよく私の方を振り向いた三井くんがずかずかと大股で近づいてくる。

「……どういうことだよ」
「あれは、仙道くんの言い方っていうか……」

しどろもどろにそう答えれば、「あー」と低い声を出しながら無造作に頭を搔く三井くん。

「行くぞ」
「え、どこに?」
「ここじゃ、ゆっくり話せねぇだろ」

私の返事も聞かずに歩き出してしまったその背中を追って階段を下りる。コートでは仙道くんたちの試合が始まろうとしていた。

そして連れていかれた体育館裏で、階段に腰かけながらスポーツドリンクを飲む三井くんの隣に座る。体育館から響く選手の声や笛の音、バスケットシューズが床を蹴る音を聞きながら、私たちの間には気まずい沈黙が続く。

「で、さっきの仙道の話、ちゃんと説明しろよ」
「……あー、うん」

あの仙道くんが高校時代とはいえ私のことを好きだったなんて話、自分でも信じられないのに、さらに人に話すなんて躊躇われる。だけど、この流れで話さないわけにもいかず、ぽつぽつと仙道くんと話したことを三井くんにも伝えていく。
すべて聞き終えた三井くんは信じられないとでもいうように大きな溜め息を吐き出した。

「はあー、鈍感すぎんだろ」
「いや、そんなことないって!仙道くんってずっとあの飄々とした感じだし、分かんないよ」
「それにオレに夢中だったしな?」
「……そ、それは」

仙道くんの言葉をなぞって、片目を眇めて私を見ながらからかってくるこのやりとりも随分と久しぶりだ。胸がちくりと痛む。
そう、間違いなくあの頃の私は三井寿に夢中だった。日がな一日三井寿のことばかり考えて、彼が私の知らないところでもいいからバスケを続けてくれているのを願っていた。そしてやっと出会えた三井寿に、私の青春はさらに加速した。瞼を閉じれば今でも、鮮明にあのインターハイのコートを思い描ける。

「私にとって三井くんは特別なんだよ。本当に、かけがえのないくらい、私は三井くんのバスケが好き」

色の薄い冬の空を眺めながら、すっかり揺らいでしまった覚悟を再び引き締め直す結び目を探すように、ひとつひとつ言葉を紡ぐ。
本当はここで、長いこと待たせてしまったことを謝って、三井くんの想いには応えられないことを伝えるはずだった。悩みに悩んで、あの宝物のような時間を守るために、あと少し手を伸ばすだけで触れられるはずだった体温を突き放すことを決めた。それなのに、ただ三井くんが隣にいるというだけで、こんなにも縋ってしまいたくなってしまう。

「だけど、あの日々がなかったら、私は三井くんを好きになることを躊躇わずにすんだのかな」

三井くんの息を飲む気配を感じながら、両足を抱え込むようにして座り直す。
ずるい。あまりにも卑怯だ。自分で考えるために三井くんと距離を置きながら、結局また彼に答えを求めようとしている。一人では進めなくなってしまった私を、また導いて欲しいと思ってる。

「……それでもオレは、なまえがずっとオレのバスケを見ていてくれたことが嬉しいし、これからもそうであって欲しいって思ってるけどな」

私の方を見ようとしないまま遠くを眺める三井くん。ここに来る前に上着を着に行ってはいるものの、冬の寒空の下にいつまでも大事な選手をいさせるわけにはいかない。
すうっと一度大きく息を吸って、その横顔を見つめる。

「私がいなくても、三井くんのバスケは変わらないって、仙道くんが言ってた」
「……そうだな。お前に今ここで振られても、オレは次の試合で確実にスリーを決められる」

苦々しく眉をひそめて重く吐き出されたその声は、この言葉が酷いものだと物語るようだった。私の存在は三井寿のバスケにはなんの影響も及ぼさないと、こんなにもはっきろと宣言されたのだ。
だけど、私が欲しかった答えは、ずっとこれだった。霧が晴れるように、すとん、と心が軽くなる。

バスケをする三井寿にとって、私は傍観者でいい。決して交わらない、影響を及ぼさない、ただ彼のバスケに一方的に魅力されただけ。私は三井寿のバスケに関われない。

「──私、三井くんが好き」

唇の隙間から零れ落ちてしまった言葉に、爆ぜるように三井くんが振り向いた。

「なっ!いきなりすぎんだろ……」
「え? あ……ごめん。私もびっくりした」

へらりと笑ってみせると、三井くんは「なんだよそれ……」と大きく溜め息を吐きながら、脱力したように足の間に顔を伏せる。しばらくそのまま動きを止めてから、ゆっくりと顔を上げる。私を見つめる真剣な眼差しに、身体の奥の方から優しく柔らかな熱が呼び覚まされる。

「オレと付き合うってことでいいんだな」
「うん、よろしくお願いします」

普通だったら、これでおしまいとでもいうような、あんな会話の流れから、こんな展開になったことが今更ながらにおかしくて、つい返事をする声に笑いが交じってしまう。
「笑ってんじゃねえよ」と眉をひそめながら、わしゃわしゃと私の髪を撫で回す大きな手が不意に止まった。

「なまえ、好きだ」
「……うん」

初めて聞く、こんなに熱のこもった三井くんの声。そして、その声で呼ばれた自分の名前があまりにも愛しくて、喉の奥が急に熱くなる。

「あー、泣くなよ」
「大丈夫、耐えるから……」

笑ったり泣いたり忙しいなと自分でも思いながら、目じりに溜まっていく涙を必死で堪える。そんな私を見つめて優しく瞳を細めた三井くんの手がするりと頬を滑った。
顎を支えるように添えられた手、近づく瞳に吸い寄せられそうになった時、はっと我に返ったように三井くんの動きが止まる。たぶん、ここが大学であることを思い出したんだろう。苛立たしげに小さく舌打ちをして、顔を背けられた。

「帰り、待ってろよ」
「え?」
「一緒に帰るだろ」

わずかに赤いその横顔を見つめながら、思わず「あ!」と大きな声を出してしまった。確認しなくても覚えている。スケジュール帳の今日の日付の下に書いた練習試合の文字と並んだシフト予定。

「……大変言い難いのですが」
「なんだよ」
「私、このあとバイト」

申し訳なさに眉を下げながら、手を合わせて「ごめん!」と頭を下げる。一瞬、面食らったように目を丸くした三井くんが再び足の間に顔を埋めてしまった。
今日の試合に誘われた時、シフトを変わってもらうか悩んだものの、もともと今日は失恋する気満々だったので、少しでも気をまぎらわせたいなとそのままにしてしまったのだ。

なかなか顔を上げてくれない三井くんの髪を慰めるように撫でいると、不意に腕を掴まれた。

「……迎えに行く」
「うん、待ってる」

拗ねたような声が可愛くて、つい笑みがこぼれてしまう。

気合を入れるように「よしっ」と声を出した三井くんが立ち上がる。そろそろ仙道くんたちの試合も終わりが近いだろう。

「次の試合も頑張ってね」
「おう、当たり前だろ」

得意げに口角を上げた笑顔。さっきまでの照れた横顔も、拗ねた声も、すべて私の大好きな三井くんだ。
だけど次の試合、コートに立てば真剣な眼差しでゴールを見つめるバスケットプレイヤーの表情に変わるのだろう。

これから先、私たちの未来がどうなるかは分からない。この恋が永遠だなんて、夢見がちなことはいえないくらいに大人にはなった。だけど、それでも出来ればずっと三井くんの隣にいたいと願う。

私がいてもいなくても三井寿はバスケを続けてくれる。それは私にとってかけがえのない愛の証だった。
三井寿は、これからも永遠に私の青春だ。





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