知ったかぶりの追憶


それから何かと三井くんとは顔を合わせるようになり、時々ふたりで食堂でお昼を食べることもある。心の中で三井寿とフルネームで呼んでいると、誤って本人にもそう呼びそうになるので努めて三井くんと呼ぶようにした。

「あ、三井くん」
「おー、今日はこれで終わりか?」
「うん、ちょうど帰るとこ。三井くんはバスケ?」
「いや、今日は休み」

偶然廊下で出くわした三井くんと、どちらともなく並んで講義棟を出る。夏の近づく日差しは夕暮れが近くなってもまだ強い。これから梅雨の季節を挟むはずなのに今からこんなに暑くていいんだろうか。

「そういや、オレ、今日誕生日なんだよ」
「え、おめでとう」
「おう」

突然のカミングアウトに驚いて足を止めると、三井くんは照れくさそうに笑った。そうか、三井くんは五月生まれなのか。覚えておこう。

「あ、ハタチじゃん。お酒飲めるね」

すぐには思いつかなかったけど、私と同じ歳で誕生日ということは二十歳になるのだ。なんかお酒を飲める年齢ってだけで随分と大人びて感じるのは、私の誕生日はまだ先なせいだろうか。いいな、三井くん。今度お酒の感想を聞こう。

「……今日、バイトは?」
「休みだけど」
「他に予定は」
「特には……え、まさか私、誘おうとしてる?」

まさかの展開に驚く私を他所に、「早く行くぞ」と三井くんは歩き出してしまった。

















やってきた駅前のチェーン店の居酒屋。半個室の室内で三井くんと向かい合ってメニューを眺める。

「とりあえず、やっぱビールか」

様々なお酒の名前にしばらく唸っていた三井くんだったけど、どうにか決めたらしく店員さんを呼んだ。まだ未成年の私はカルピスを頼み、あらかじめ決めていたおつまみも一緒に注文する。

「バスケ部の人とかと来なくてよかったの」
「今日は予定合わねぇから、また今度ってことになってんだよ」

せっかくだから誕生日にお酒デビューがしたくて、かといって一人は味気ないなって思ってるところに私がいた感じか。
手持ち無沙汰にメニューを眺める三井くんに、次これ飲んでみてよ、なんて話しかけているうちに、さっきの店員さんが飲み物を持ってきてくれた。

「それじゃ、三井くんの二十歳の誕生日に乾杯!おめでとー!」
「おう、どーも」

私のグラスと三井くんのジョッキをぶつければ、カツンと透明な音が響いて、中身の液体が揺れる。結露した水滴がグラスを伝ってテーブルに落ちた。

「どう? 美味しい?」
「イメージ通りって感じだな。にげぇ」

あはは、と笑って私もグラスに口をつける。意外さも何も無い、慣れ親しんだ甘い味が喉を潤す。

「本当にハタチまで飲んだことなかったんだ」
「まぁな、何かあったら困るだろ」
「何か?」
「不祥事とか」
「スポーツマンだねぇ」

続々と店員さんが運んできてくれる料理がテーブルに並んでいく。
確かにたまに、どこどこのなんとか部が未成年飲酒で大会欠場みたいなニュースあるもんな、と思いながら温玉ののったシーザーサラダを取り分ける。

「昔、色々あったんだよ」
「色々?」

ほそりと呟かれた言葉に思わず顔を上げると、唐揚げを掴もうとしていた三井くんの箸が止まる。

「あ、言いたくなかったら別に」
「いや、なかったことにはならねぇ話だから。面白くもねえ話だけど、まあ、オレの戒めみたいなもんとして聞いてもらっていいか」

ゆっくりと語られたそれは、私が三井くんを……三井寿を探し続けていた空白の二年間の話だった。怪我のこと、バスケを忘れようとやさぐれた生活をしていたこと、結局バスケを捨てきれず馬鹿なことをしてしまったこと。私が彼はどこかでバスケを続けているはずだと信じきっている間、そんな葛藤とつらい思いを三井寿はしていたのだ。
──それでも、それでも、三井寿はコートに戻ってきた。

私が三井寿を追いかけたあの日々は、まさしく今に繋がる奇跡のような時間だったのだ。瞳に焼き付けようと必死に見つめた試合のひとつひとつが蘇り、身体の中に散らばっていた欠片が結晶となって零れ落ちる。

「は? なんでみょうじが泣くんだよ!?」
「ご、ごめん、ちょっと感極まった」

私の瞳からとめどなく溢れ出す涙に瞠目した三井くんが慌てているけど、しばらくは泣き止むことはできなさそうだ。抑えきれなくなった嗚咽が溢れて、涙は勢いを増すばかり。

「あー、もう、ほらコレ」

鞄にハンカチはあるのだけど、もう取り出すのも億劫だからおしぼりでいいかなと思っていると、三井くんが鞄からタオルを出して渡してくれた。

「使ってねえやつだから」
「ありがと……」

有名なスポーツブランドのロゴのついたそのタオルはふかふかで、私が使っているのとは違う洗剤の香りがする。三井寿がバスケのために流した汗をこのタオルが拭ってきたのかと思ったら、つい少し興奮してしまったけど、あまりにも変態っぽいので声には出さない。

私が追いかけた三井寿は、当たり前だけどほんの一部にしか過ぎなかったのだ。それなのに、勝手にもう十分だと納得して、あのインターハイの舞台を最高点のように決めつけたかつての自分が憎らしい。あれが彼にとってのはじまりだと分かってるつもりで、何も分かっていなかった。
私はもう一度、三井寿のバスケが見たい。見なくてはいけない。安っぽい居酒屋の一室で、一人でボロボロと涙を流しながら、閉じ込めた青春の扉に手をかけた。






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